2021年8月
2021年8月31日 (火)
2021年8月30日 (月)
湯之島館・娯楽棟がすごすぎる(8)
ダンスホール2階席の壁は青海波(せいかいは)模様だった。どうやって描いたのだろう。最初に表面を少しデコボコにしておいて、その後で波の形の型を押し当てて作ったのかも知れない。
ここはタイルで有名だが左官仕事も見逃せない。さまざまな仕上げを駆使しており左官仕上げの博覧会のようになっている。この青海波のように凹凸があると陰影が生まれて表情が柔らかくなる。左官仕上げは建物の表情に深みを与えるためには欠かせないだろう。
石柱の下の腰壁には碧玉色のボーダータイルが使われていた。釉薬が青から黄緑に窯変するところで、そのグラデーションが美しい。左官仕事の陰影と同じようにタイルの色むらが表情に深みを作り出している。
窓枠の幾何学的な彫りものもアールデコだ。こうした幾何学的なデザインは石工、鉄工、木工など異なる職種を横断して行われている。素材の違いによる違和感がなく、自然に調和してアールデコの華やぎを表現している。これはそれぞれの職種をよく知っていないとできないことだ。
2021.08.20、岐阜県下呂温泉
2021年8月29日 (日)
2021年8月28日 (土)
2021年8月27日 (金)
湯之島館・娯楽棟がすごすぎる(5)
会議室の先に八角形の展望室がある。ガラス屋根なのでサンルームという趣だ。部屋全体が竣工当時のまま残っているのがとてもいい。
窓下は白い陶器質タイル貼りなので清潔感がある。日光浴が科学的な健康法として昭和初期にサンルームが流行した。白タイルには衛生的で健康的なというイメージがあったのだろう。
床は小幅のフローリングの模様貼りだ。色目が暗いので白タイルとの対比で落ち着いた雰囲気を作り出している。うまいと思う。
家具もそのままなのかも知れない。丸テーブルの足元はおそらくアールデコ模様のラグが敷かれていただろう。その上の照明器具は真鍮製の金具に板ガラスを吊り込んだモダニズムである。
ガラス天井の温室のようなサンルーム
小幅のフローリングの模様貼り
モダンな照明器具
タイルを不揃いにしたのは意識してそうしたと思う。そのほうが表情にゆらぎができて温かいデザインとなろう。
2021.08.20、岐阜県下呂温泉
2021年8月26日 (木)
湯之島館・娯楽棟がすごすぎる(4)
少し歩けば様々な素晴らしいディテールを見ることができるので、なかなか前に進めない。5ミリずつディテールが展開する感じだ。探せばもっとあるだろう。いつまで居ても見飽きない。
1 ステンドグラス アールデコ模様を色付き型ガラスで仕上げている。型ガラスはダイヤモンドパターンが多い。型ガラスは光を拡散させるのでステンドグラス全体が光って見えておもしろい。
2 階段上の照明吊元 たいがい左官仕事なのだが、これは木彫かもしれない。細かい幾何学模様がいかにもアールデコだ。
3 絵の具を流したマーブル紙だと思う。これを太鼓貼りにしている。太鼓貼りはフスマのように紙の裏側を浮かした張り方だ。湿気による伸び縮みを吸収してしわが寄らない。茶室などの数寄屋建築で使う手法である。
会議室入口ステンドグラス
階段室照明取り付け部分
マーブル紙のたいこ貼り
2021.08.20、岐阜県下呂温泉
2021年8月25日 (水)
湯之島館・娯楽棟がすごすぎる(3)
西棟の2階の会議室は元はラウンジだったのだろう。右側の窓からは下呂の町が一望できる。左の窓からはよく手入れされた樹林を眺めることができる。落ち着いたとてもよい部屋だ。
奥のドアの右は八角形展望室、左は小図書室になっていた。
梁を見せるデザインはスイスの山小屋風だ。梁下にシンプルな彫りこみ模様がついていた。こうするだけで華やかさが増す。細かいところを見過ごしにしない丁寧な設計だ。
ホワイトボードで隠れているがライト風の暖炉型装飾があった。なかなか力の入ったデザインでおもしろい。
これはほかの部屋では見たことがなかった。2棟の洋館のなかでこの部屋は特別なのだろう。おそらく湯之島館はリゾートホテルとして構想されているが、長期滞在する宿泊客のための居場所としてこの部屋は設計されているのだろう。
西菅2階のラウンジ
梁の彫刻彩色模様
正面のライト風暖炉型装飾
2021.08.20、岐阜県下呂温泉
2021年8月24日 (火)
湯之島館・娯楽棟がすごすぎる(2)
西棟前の展望テラスに足湯があった。なかんか気持ちがよい。元はテラス外の噴水だったようだが、手すりを外して足湯にしたようだ。粋なはからいである。噴水そのものは竣工当時のままだ。
おもしろいのは足湯の横に滑り台の跡があること。2階分ほど下るアトラクションだ。最初これがなにか分からなかったが、設計者の丹羽英二のパースを見て滑り台だと分かった。楽しそうな設計でとてもよい。パースは本館の階段ホールに展示されているので見るといいよ。
テラス床はモザイクタイルの幾何学模様貼りだ。すっきりとしたアールデコである。ちなみにアールデコとは1925年にパリで開かれたアールデコ博覧会(芸術装飾博覧会)で一世を風靡した幾何学的なデザインスタイルをいう。アールデコは100年経ってもおもしろい。
噴水を改造した足湯
床のモザイクタイル
西棟は外装を板張りとして山小屋風に見せている。右側2階に八角形の展望台が見える。
2021.08.20、岐阜県下呂温泉
2021年8月23日 (月)
2021年8月22日 (日)
姫路城の心柱(2)
継いだ西側の心柱のことだが、ひょっとすると継いでから立てたのではないかと思い始めている。そうでないと人力だけで仕上げるという目標が達成できない。継手部分に骨折治療のときの添え木のようなものを当てて荒縄でグルグル巻きにすればできないこともなかろう。
そうやって立てた心柱はタワークレーンになると思う。2本をつなぐ桁は滑車の取り付けにちょうどよい。城郭の構造は出来上がってからの耐力だけではなく、資材の搬入経路と作業足場の機能を考えて決めているに違いない。
ちなみに東が丸柱で西が角材なのは天円地方を東西の陰陽に置き換えたデザインだろう。風水的にもよくできている。
今回はじめて姫路城を訪れて城郭構造について考えることができた。もう一度見学したいものだ。
2021.07.23、姫路城
2021年8月21日 (土)
湯之島館をスケッチした
昭和6年、丹羽英二設計の湯ノ島館本館をスケッチした。いかにも鈴木喜一がスケッチしそうな場所だ。そう思って描いたら鈴木先生みたいなスケッチになったのでうれしい。
複数棟のうち前面に建つ本館を木造にしたのは隣接する温泉寺に配慮したためだろう。本館の後ろ側に鉄筋コンクリート造の洋館がある。斜面で敷地が狭いので施設を複数に分割して渡り廊下でつないだ。そのおかげで変化のある魅力的な名建築になっている。
丹羽英二を知らなかった。丹羽英二建築事務所のHPに略歴があった。丹羽は武田五一が校長のころの名古屋高等工業学校卒業生らしい。実質的には鈴木貞二の教え子ということだろう。この時代に木造が得意というのは珍しい。鈴木グループもおもしろい。
2021.08.20/ヴァフアール紙粗目F3 、グラフィックペン0.3、固形透明水彩 /岐阜県下呂温泉
2021年8月17日 (火)
姫路城の心柱
東西2本ある心柱のうち西側のものは昭和の大修理で取り換えたものだ。その継ぎ目があった。ここで上下2本を継いでいるのである。
「追っかけ大栓継かな」
「先生、そんな単純なもんですか」
たしかにこれだけじゃ追っかけ大栓継なのか金輪継なのかそれ以外なのか分からない。金輪継かもしれない。
さて24メートルもある柱(2本なので12メートルずつだが)をどうやって立てたのか。当時どうやったのか謎だった。
昭和の大修理のときには巨大な素屋根(現場を覆う小屋)を建てたので、その頂上にクレーンを取り付けて引っ張り上げればよいのではないか。わたしはそう思うが、どうやら建設当時と同じように人力で立てたらしい。復元したのは形だけではなく城づくりの技術全般にわたっていたようだ。さすが棚橋先生である。
心柱をひっぱりあげるために長さ200メートルの傾斜路を作った。天守閣の2階から三の丸を飛び越してその下の三の丸公園の半ば以上まで達した。ちょうど桟橋をかける余地があったわけなので、当時もこうやって立てたのだと思う。天守閣の前面広場の大きさはこの傾斜路の長さで決まるのだろう。
2階までというのはなぜか。それは傾斜路の先端から突き出た柱が自重で傾いたところを下へ落とすのだと思う。もちろんロープで吊って徐々に落とし込むわけだ。心柱が2分割されたので、2本目は落とし込んだあとクレーンで釣り上げるしかなかっただろう。用材不足のため仕方なく2本継となったが、本来は1本だった。1本ものならクレーンなど使わずに人力だけで立てられたわけだ。よく考えられていると思う。
2021.07.23、姫路城
2021年8月15日 (日)
2021年8月14日 (土)
2021年8月13日 (金)
姫路城の耐震補強
これらは昭和の大修理時の補強だ。補強設計は天才構造学者・棚橋(たなばし)諒だった。
修理前に天守閣は東南に50センチほど傾いていた。これは江戸時代から傾むき始めていたようで「東傾く姫路の城は花のお江戸が恋しいか」と言われていたそうだ。
傾いた原因は地盤、木材の腐朽、木材の変形などだった。木材の変形にはたわみとめり込みのふたつがあった。めり込みとは荷重があまりに重いので柱がそれを受ける横材にめり込むのである。最大で6センチあったという。
棚橋は基礎をコンクリート造りとし、腐朽した木材は取り換え、変形の起こりそうな木材は大きな断面のものと取り換えた。そのうえで江戸時代に付加されたおびただしい補強材を一切取り除いて建設当初の姿に復元したのである。
写真1枚目には材を繋ぐ帯金と水平筋交いの端部が写っている。いずれも材のつなぎ目の動きを止めるのが目的だろう。再建工事中は重しとなる上層階がないので建物が風で揺れやすい。それを防ぐのが主目的ではないか。
2枚目は材のめり込みを防ぐための金物だ。これは他では見たことがない。天守閣傾斜の原因のひとつに材のめり込みがあったから、そのことへの対応だろう。
棚橋の修理は350年間の変化を読み込んでそのことへの細やかな対応を行っている。そして目立たぬように補強しながら天守閣当初の姿を復元することに成功した。天守閣を建設した先人への敬意を感じさせる修理であろう。
2021.07.23、姫路城
2021年8月12日 (木)
2021年8月11日 (水)
2021年8月10日 (火)
姫路城の鉄砲掛け
天守閣の1層目におびただしい鉄砲掛けがあった。本丸用だと思うが、ここに何挺あったか数えれば部隊配置があるていど復元できるのではないか。本丸と天守閣の銃眼合計数×3挺かな。城郭は立てこもり用だからこれほど大規模だと不利だろう。なにか大規模城郭用の兵員運用の手法があったのだろうか。
202107.23、姫路城
2021年8月 9日 (月)
2021年8月 7日 (土)
2021年8月 6日 (金)
2021年8月 5日 (木)
2021年8月 4日 (水)
2021年8月 3日 (火)
コロナワクチン接種
昨日2回目のワクチン接種をした。ファイザー社製である。厚労省の発表によれば発症予防確率は95%だそうだ(参照)。これで自分からまわりの高齢者やこどもたちに感染させる可能性は5%まで減った。激減である。しかも無料で受けられたのがありがたい。
参照 https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/vaccine_pfizer.html
今回のコロナ騒ぎはネット上をさまざまなデマが飛び交ったことが特徴のひとつだろう。それはそれで興味深いがコロナのせいで仕事の減ったわたしとしては有害なデマに対して憤りを禁じ得ない。最近ブログでコロナを扱わないのは、どうしてもデマに言及せざるを得ないのが腹立たしいからだ。でも自分にとって節目でもあるので概況だけメモしておく。
<ワクチン接種者の増加>
ワクチン接種を1回以上受けたものが5000万人を超えた(参照)。ワクチン不足を取沙汰する向きもあるが、わたしは実質2か月間で全国民の約半数に接種できたのはすごいと思う。過去の大規模接種でもこれほどの規模はなかろう。世界的に見ても有数の規模だと思う。ここまで急速に進んだもっとも大きな理由はコロナを収束させたいという国民感情だろう。
参照 https://vdata.nikkei.com/newsgraphics/coronavirus-japan-vaccine-status/
<増加する重症者数>
厚労省の統計によれば(参照)5回目の波が7月なかばから始まっており、重症者数も先週から増えて現在700名ほど。5月末の第4波ピークの重症者数1400名の半分まできた。このまま事態が進行すればお盆明けまでに過去最高の重症者数に至るのは目にみえている。今回の緊急事態宣言はそれを見越した措置だと思う。
参照 https://toyokeizai.net/sp/visual/tko/covid19/
<コロナ医療体制の構築の失敗>
ようするに医療崩壊を防ぐのが目的なのだが、問題はコロナ対応の医療体制の構築に失敗していることだと思う。原因は重症者専用病床が民間に普及しないことがもっとも大きい。その理由は主に民間病院経営に関わることのようで一筋縄ではいかないようだ(参照)。ひとつずつ問題をつぶして協力体制を広げていくしかないが、それがいつまでたってもできないので疑似的ロックダウンへ逆戻りしたというのが今回の緊急事態宣言だろう。なさけない対応と言わざるを得ない。
参照 https://www.medius.co.jp/asourcenavi/numberofbed/
<減少する死者数>
ただし重症者数は伸びているにもかかわらず死者数は減り続けている(参照)。第4波ピーク時の死者は1日100名だったが、このところ10名程度で推移している。これは高齢者へのワクチン接種が進んだ成果だろう。それと治療薬が各種使えるようになったおかげでもあろう(参照)。ワクチンと治療薬という薬学によって平静が保たれているというのが現状だ。
参照 https://toyokeizai.net/sp/visual/tko/covid19/
参照 https://www.medius.co.jp/asourcenavi/anchi_infevtive/
<深刻化する医療ひっ迫>
今後の展開だが、残念ながら関東地方では医療ひっ迫が深刻化するのは間違いない。国が介入して埋立地に野戦病院を作るしか対応策はなかろう。ただし第5波が欧米のような感染爆発につながる兆候はいまのところない。ニューヨークは感染拡大が始まってから2週間ほどで死者が1日あたり600名を超えた(参照)。第5波はすでに感染拡大が始まって2週間がたつがニューヨークのような状況にはいたっていない。
参照 https://news.yahoo.co.jp/byline/abekasumi/20200418-00173917
<今後の展開>
だから大丈夫だとは言えないが、これから感染爆発が必ず起きるとも思えない。これまでの波は拡大が始まって45日ほどでピークを迎えその後は30日ほどかけて下がっていく。第5波もお盆明けから8月後半ごろにピークを迎えて9月末までに下がっていくだろう。しかしそのころにはワクチン接種者が6000万人を超えて集団免疫が発動すると言われる人口の7割に近づく。一部で混乱が起こるとしても全体としては収束の方向だろう。10月の新学期からは通常の生活に戻ることができるのではないかと思う。
2021年8月 2日 (月)
釣りたぬき 小島漁港(2021.08.01)
久しぶりに釣りに行った。ひどく日焼けをしたが楽しい釣りができた。前回は5月連休だったので家族連れでにぎわっていたが、今回はその3分の1ほどの人出で空いていた。ただし残念ながら海がにごっていて魚がまったく見えなかった。小島漁港でこれほど透明度が低いのは初めてだった。雨のせいだろうか。
10時に竿を出して14時過ぎに納竿した。午前中は釣れなかったが、12時ごろにウミウがやってきて目前で潜り始めた。とたんにサバがかかり始めて忙しくなった。ウミウは港内を回遊しているサバの群れを追いかけているのだろう。ウミウがいれば魚が釣れるというわけだ。
釣果はサバ17センチ1尾、16センチ4尾、15センチ8尾、イワシ11、9.5センチ各1尾の計15尾だった。楽しい釣りをありがとう。
(左)最初に釣れたオニオコゼ、2時ごろまた釣れて刺されて痛かったので納竿した。
(中)午前中に釣れたクサフグ、小島漁港のフグはクサフグしか見たことがない。
(右)5センチほどの白いウミウシがくねくねと泳いでいた。ウミウシの泳ぐところを初めて見た。
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