2021年7月 6日 (火)

天龍寺庭園の夢(5)

現在の天龍寺庭園は夢窓国師の作庭のままではないと言われている。わたしもそう思う。庭としておかしなところがふたつあるからだ。

ひとつは鶴島・亀島がありながら肝心の蓬莱島がないこと。

鶴島・亀島はそれぞれ陽気と陰気を示し、蓬莱島の東西もしくは南北に配置することによって蓬莱島が正しくレイアウトされていることを示す役割がある。したがって鶴島・亀島がありながら蓬莱島がないことはあり得ない。

蓬莱島のない原因として考えられるのは、蓬莱島がなんらかの理由で失われたか、もしくは現在鶴島・亀島と呼ばれているものが実は鶴島でも亀島でもないということ。わたしはその両方がからんだ複合的な原因だろうと考えている。なぜか。それは二つ目の違和感に関わる。

どう考えても瀧石組みが小さすぎるのだ。正面であるはずの書院から眺めても鯉魚石の判別つかないし、瀧の周囲にある夜泊石も鶴島もよく見えない。

これは今の書院の位置が瀧石組みと離れすぎていることが原因だ。本来はもっと近かったに違いない。瀧石組みがきれいに見えるのは今の距離の3分の1くらいだろうと思う。だから池はもっと小さかったはずだ。

秀吉のころ天龍寺は慶長伏見地震に被災したがただちに再建されたという。家康も天龍寺をあつく保護し伽藍は復興した。現在の庭はそのときに今の姿に再整備されたのだろう。しかし夜泊石から瀧石組み、鶴島あたりが古いままに見える。

とくに三段の瀧の周囲にひとかかえほどの比較的小さな石が散在しているが、これこそ夢窓国師の作庭の名残りなのだと思う。なぜなら同じようなものは苔寺にもあったからだ(瀧石組みと潭北亭北庭)

夢窓国師の作庭は桃山時代のものと比べるとずいぶん小さくてこじんまりとした箱庭のようなものだったのではないか、というのが今のところのわたしの結論である。

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2021.06.27、京都市、天龍寺庭園の瀧石組み、瀧のまわりにも小振りな石が散在する。
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2021.06.20、京都市、西芳寺庭園の潭北(たんほく)亭北庭、小振りな石組みが残る。

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