天龍寺庭園の夢(6)
夢窓国師の作庭がどのようなものだったかを追ってきた。ひとまず分かったことは3つあった。
ひとつは後醍醐天皇鎮撫のようなテーマがあること。もうひとつは、一抱えほどの小振りな石を多用すること。あとひとつは斜面を使った作庭手法があったこと。ここでは斜面庭園の遺跡の存在を確かめてこの天龍寺編を終えたい。
瀧石組みから直線距離で30mほど上の斜面に古い庭の跡があった。ひとかかえほどの石が散在している。これは瀧石組み周辺の石と大きさが共通するので夢窓国師作庭の名残りではないかと思う。
夢窓国師の作庭には、おそらく山中の湧水から瀧石組みまでの斜面庭園が重要なパートとして存在したように思う。この遺跡はそのパートの存在を示すものだろう。
桃山時代以降は瀧石組みから上を作ることはあまり聞かない。しかし夢窓国師のころは瀧へ至るまでの水流のほうにも重点があったように思う。斜面全体を瀧に見立てた立体的な造園構成が存在したのではないか。それは平安時代の寝殿造の庭園にはない新しい風景だったろう。
2021.06.27、京都市、天龍寺
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