常滑時間旅行16最終回、煤煙のまち
わたしは旅に出るとき、行先のことを事前に調べない。歩きながら手掛かりを見つけ、そこから町の歴史を推理するのが楽しいからだ。それをわたしは時間旅行と称している。
常滑はレンガ煙突が丘陵地に林立するという相当特異な姿をしている。なぜこのような姿になったのか。それは登り窯から倒焔式角窯へという技術革新がこの町で行われたからだった。J・ジェイコブスのいうように技術革新と輸入代替とが都市経済の証しだとすれば、たしかに昭和40年代までの常滑は都市であったといえる。
今回の旅で風景の復元が完成したのはこの門柱を見たときだ。ご覧のように黒ずんでいる。わたしは最初、空襲の名残りかと思った。でもすぐに思い直した。これは石炭燃料による煤煙だと。そう考えれば常滑に多く残る工場群がなぜ黒いのかも分かる。煤で汚れるので最初から黒くしているのだ。この町は技術革新による経済成長を享受するとともに煤煙による環境悪化をも受容していたのである。
洗濯物も外へ干せないような煤の降るまちで鼻の奥まで真っ黒にしながらこの町の住人は生きてきた。この町が操業を止めたのはおそらく大気汚染に対する法規制によるのだろう。ある程度大きな工場は生産拠点を海外に移したろうが、そうでない中小の工場は窯の火を消した。道が狭いため建築基準法によって建て替えのできない工場群がそのまま残ったのだ。これがこの町の特異な風景の生まれた理由だろう。
いまではどこへ行っても空気はきれいだ。そのかわり、かつてのようなエネルギッシュな技術革新はどこにもない。きれいな空気と引き換えに私たちが都市を失ってしまったのではないか。活気のある町を取り戻そうと考えるためには昭和40年代のまま時を止めた常滑の町の風景こそ貴重な手掛かりになるように思う。
2021.04.21、愛知県常滑市
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