2021年5月26日 (水)

武田的ディテール(29)高山彦九郎銅像のいきさつ2

高山彦九郎銅像のいきさつを整理してみた。あらましは次のとおり。

1928・昭和3年 建立
1944・昭和19年 金属供出
1944・昭和19年11月 跡碑建立
1949・昭和24年12月 京阪三条駅改築、台座の移動と改変
1951・昭和26年11月 銅像再建
1970・昭和45年 三条駅前歩道橋設置、銅像が歩道橋下になる
1983・昭和58年1月 京阪地下化工事のため撤去
1989・平成元年3月 工事完了につき復元、銅像移動

建立が昭和3年なのは昭和天皇の即位大礼を記念したのだろう。ところが戦時中に銅像は金属供出され台座だけが残された。同時に高山彦九郎先生銅像跡記念建碑会が銅像の代わりに記念碑を台座上に据えた。そのときの写真がジャパンアーカイブに残されているのでリンクしておく。

ジャパンアーカイブ【1945年】京都府(昭和20年)▷京都・高山彦九郎銅像跡
https://jaa2100.org/entry/detail/039108.html

記念碑が斜めなのは御所の方角を向いているためだ。写真は三条大橋の上から撮られている。そしてこの時点で武田の台座がそのまま残っていることが分かる。

次にようすが変わるのは三条駅改築に当たって駅前が整備されたときだ。そのときの写真が個人ブログにあった。

「三条京阪」地上に駅があったころ(島本由紀)Kyoto Love.Kyoto京都通リズム
https://kyotolove.kyoto/I0000301

跡碑が写っているが高さが低くなっている。このときに武田の台座が改変されたことが分かる。碑の向きが変えられている。駅前広場からよく見えるようにしたのだろう。三条大橋の欄干が写っている。碑は元の位置から数メートルほど南へ移動したことが分かる。

わたしはこのときに3段の基壇を1段に変えたのだと思う。

駅が新しくなってから2年後に銅像が復元された。制作は伊藤五百亀氏だった。京都新聞(昭和36年11月28日「18年ぶり英姿再び」)によれば除幕式は11月27日だった。マイクロフィルムの写真が悪くて姿を確認できないが、このときに現在のかたちになったのだろう。

記事によれば高山彦九郎像再建同志会と銅像跡記念建碑会との折り合いがつかず除幕式は2度にわたって延期されたそうだ。京都市の仲裁によって無事に除幕式を挙行できたとある。11月25日付けの関連記事「彦九郎像やっと建つ」によれば市が仲裁に入ったのは台座が市の所有だったからとある。

また再建費を寄付したものに京阪電車が入っている。駅舎改築にあたっての銅像の再建は京都市と京阪電車による駅前再開発が背景にあると考えてよかろう。ひょっとすると昭和3年の建碑の時点でも駅前整備が背景にあったのかも知れない。

最後の変化は京阪地下化工事だった。やはり再開発ごとに碑は変化する。工事が終わって再設置された場所は撤去時の位置から東へ10メートルほどずれている。これで碑は2回移動したことになる。

以上が銅像台座の移動と改変のあらましだ。昭和24年の三条駅整備のさいに台座は改変されたことは間違いない。はたして武田デザインの台座は本当に失われたのであろうか(つづく)

|

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。