2021年5月 1日 (土)

常滑時間旅行04、登り窯60基の風景を想像する

常滑は尾道のような坂の町だった。その諸所にレンガ煙突が見え隠れする不思議な光景が広がる。町が坂にあるのは登り窯を作るためだろう。

陶栄窯は全長が22メートルもあるそうだ。沖縄県読谷村やむちんの里で見た登り窯(戦後の建設)の22.7メートルに匹敵する。大小の登り窯がこの坂の町に60基ほどあったという。壮観だったろう。

陶栄窯のまわりに焼き損じた製品があるのでなにを作っていたのかよく分かる。大型の水がめのほかに寸胴型の直径1メートルほどの桶がある。染色用ではないかと思う。明治後半に化学染料が普及したことから耐薬品性の高い焼き物の染め桶の需要が伸びたのだろう。あとライブミュージアムで見たような土管があった。

明治20年代は薪だった燃料を30年代には石炭に変えたそうだ。日露戦争のあと常滑の生産量が飛躍的に伸びたことを示すのだろう。やはり染色工業との関連を思わせる。陶栄窯は昭和49年まで操業したそうだ。戦前の技術が高度成長を下支えしたということだと思う。

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2021.04.20、愛知県常滑市

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