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2021年4月

2021年4月30日 (金)

常滑時間旅行03、手作り土管の木型を見た


明治後半に機械化される前は木型に陶土を塗りつけて形を作っていたらしい。手作りである。

木型は円筒をふたつに分けたもので、これは武田五一が沖縄でスケッチした琉球赤瓦の木型とよく似ている。内側に刻印があるので木型の内側に陶土を貼るわけだ。

ふたつに分かれているのは型をはずしやすくするためだ。手作り時代の土管にはこの木型の分かれ目のタテ筋が残ることが多い。同じく常滑で作られていた焼酎ビンにもタテ筋がある。タテ筋があれば手作りというわけだ。

ひょっとすると焼酎ビンのほうが早くて、その技術を応用して土管を作ったのかもしれない。いずれにしても瓦の製法を参考にしたことは間違いなかろう。

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2021.04.20、愛知県常滑市、イナックスライブミュージアム

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2021年4月29日 (木)

薬品名インフレーション

かみさんが風邪をひいたので風邪薬を買いに行った。いつものルルのほかに少し値段の高いルルがあったので買ってきたといって見せてくれた。その名前が「新ルルAゴールドデラックス」という。名前が長い。仮面ライダーがシリーズを重ねるごとに名前が長くなる現象が知られているが、同じことが薬品名でも起こっているわけだ。

ちなみに現在ルルには3種類あり、いつものルルは「新ルルA錠s」その上が「新ルルAゴールド」となっている。ランクが上がるごとに対応する症状が増える仕組みらしい。ランクが上がることを名前の長さで示しているわけだ。

ルルゴールドとルルデラックスだとどちらが上か分からないがゴールドとゴールドデラックスであれば後者が格上であることは分かる。いずれその上が出てさらに名前が長くなることは間違いなかろう。薬品名インフレはどこまでも続く。

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常滑時間旅行02、ローラー式土管製造機

この機械の小さな液晶モニターに実演のようすが映されていたのでよく分かった。1分ほどにまとめてあるので見るのも楽だし何度か見るうちに次第に使い方が分かってきた。イナックスのライブミュージアムはとてもよくできた産業博物館だと思った。

明治後半にスクリュー式の土管機が発明されて大量生産ができるようになったという。その後大正10年ごろにこのローラー式ができた。どうなっているかというと、ようするに歯磨き粉をチューブから押し出すような機械だ。

口金が土管の直径に合わせて取り換えられるようになっている。上に陶土を入れると2本のローラーのあいだから成形用の筒のなかにギューと押し込んでくれる。口金からニュルーと出てきた土管を下で受けて規定の長さになったら押し出しを止めて上部を針金でカットする。

画面のなかの職人さんの手際がよいので見ていて飽きない。機械といえど誰でも扱えるわけではなく職人技が必要であることがよく分かった。ミュージアム建設時によくこれほどの職人さんが残っていたものだと感心した。

ちなみに館内撮影可である。それもうれしい。

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2021.04.20、愛知県常滑市「イナックスライブミュージアム」

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2021年4月28日 (水)

萩旅行10、スカルン鉱床

写真で青緑になっているところは銅の鉱脈だ。秋芳洞のあちこちに鉱脈が露出しているのが分かる。なんでこんなところに鉱物があるのだろうと不思議に思って調べてみたら、これはスカルンといって石灰岩地層にマグマが貫入したときにできる鉱床だそうだ。採れる鉱物は銅のほかにもいろいろあるという。カルスト台地には石灰岩しかないと思っていたら大間違いで実は鉱物の宝庫だったのだ。毛利氏が欲しがるわけだ。

毛利氏は広島県の安芸を拠点とした海賊衆だったが戦国期に中国地方をまたにかける大名にのし上がった。その後、関ケ原で負けて長州に封じられた。毛利氏の譜代の家臣であった菊屋が萩城下を建設したのはそのときだろう。

毛利氏は鉱山経営でも知られている。中国、山陰の主な鉱山利権は最終的に毛利氏が把握したといってよい。神屋寿禎が海上から光る山を見つけて石見鉱山を発見した話は有名だが、日本海側は山と海とがそれほど近い。鉱山の開発は製錬した鉱物の搬出を考えると水運に頼るしかないはずで海賊衆が鉱山経営するのは自然の流れなのだ。転封された毛利氏が萩に拠点を置いたのは、そこが日本海側の鉱物流通の結節点だったからだろう。

鉱山の経営には多量のエネルギーが必要だ。戦国期を通してそれはほぼ薪炭に頼った。鉱山まわりの山々はハゲ山と化すのが通例で、跡地は放牧地となることが多かった。秋吉台の風景が生まれたのはそのころだろう。わたしはカルスト台地の木の生えない風景はもともとそうなのだと思い込んでいたがそうではなく、激しい鉱山開発の結果生まれた人口の風景だったわけだ。

長州はその国の成り立ちから鉱山利権と結びついていた。外様でありながら隠然たる勢力を保ったのもそのためだろう。幕末に他藩にさきがけていち早く大砲を製造できたのも、鉱物を扱うことに慣れていたからだと思う。鉱山経営を通して歴史を見れば戦国期も幕末も違う風景が見えるのではないか。今回の旅行ではそんなことを考えた。

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2021.03.19、秋芳洞、銅の鉱脈

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2021年4月27日 (火)

萩旅行09、ドリーネとウバーレ

秋芳洞の上がカルスト台地の秋吉台だ。骸骨のような白い石灰岩の露出した地獄のような風景だった。

起伏のある台地のところどころに穴がある。それをドリーネという(3つめの写真)。ドリーネがいくつか連結したものをウバーレという。残念ながらウバーレは見えなかった。秋吉台を歩くとそうした場所を見ることができるそうだ。穴には土が詰まっておりそこだけ耕作できる。そうした場所には集落があるらしい。穴のなかの村の風景をぜひ見てみたい。

カルストはスロベニアの地名で大規模な石灰岩台地があるそうだ。ドリーネやウバーレもスロベニア語だ。そこにも同じような場所に集落があるという。遠いアルプスのふもとと山口県に同じような集落風景があるのが興味深い。

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2021.03.17、山口県美祢市秋吉台

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2021年4月25日 (日)

萩旅行08、秋芳洞にびっくりした

本格的な鍾乳洞を初めて見た。スケールの大きさにびっくりした。心の底から驚いたのは久しぶりだ。地下にこんな異世界が実在ていたなんて思ってもいなかった。今回の萩旅行の最大の収穫である。

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2021.03.19、山口県秋芳洞

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2021年4月24日 (土)

萩旅行07、ハトバのある水路

野菜や食器を洗ったりしたそうだ。階段だけのものは道路側の住宅用のものらしい。川沿いの住宅には風よけの箱のようなものが取りついている。旧湯川家屋敷のように完全に家のなかに取り込まれているものもチラホラあった。いまもお使いになっているようだ。湾曲する水路風景自体も美しいが、水路が生活の一部になっているという風景こそおもしろい。

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2021.03.18、山口県萩市藍場川

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2021年4月23日 (金)

萩旅行06、旧湯川家屋敷のハトバ

水路から引き入れた水場を「ハトバ」と呼ぶらしい。ハトバの水面の光の反射がとてもおもしろい。


2021.03.18、山口県萩市

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2021年4月22日 (木)

旧立誠小玄関ホールのバリ土タイルが無くなっていた

旧立誠小の校舎がホテルにリニューアルされたので見てきた。玄関ホールのタイルが無くなっていた。泣きである。ホール周りに古い部分は少しも残っていない。これではリニューアルではなく破壊ではないのか。悲しい。

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2021.04.22、立誠ガーデン ヒューリック京都(旧立誠小学校)玄関ホール

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2015.12.08、京都市中京区、旧立誠小学校の玄関ホールのタイル

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2021年4月21日 (水)

常滑時間旅行、明治20年の登り窯を見た

ゆえあって旅に出た。そう書いてFBにこの写真を投稿したら常滑ですかと田所さんから返事が来た。これを見ただけで常滑と分かるのはすごいと笑ってしまった。この近くに友人がいるらしいので見たことがあるのかも知れない。一目見たら忘れられない風景であるのは確かだ。古代遺跡のようなおもむきがあってとてもおもしろい。煙突の高さが微妙に違うのは窯の焼成温度を調整した結果らしい。煙突の長さで温度が変わるとは知らなかった。

現存最古で最大だそうだ。明治20年当時同規模の登り窯が常滑には60基あったそうだ。登り窯が1基残っているだけでそうした風景をありありと想像できる。よくぞ残してくださったものである。

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2021.04.21、愛知県常滑市、登窯(陶栄窯)

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2021年4月19日 (月)

萩旅行05、小さなコンクリート灯台

幕末の恵比須ヶ鼻造船所跡で小さな灯台を見つけた。戦前のものに見える。シンプルなかたちがモダンだ。コンクリートが風化したようすが美しい。

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2021.03.18、山口県萩市

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2021年4月18日 (日)

自作縁台でモツ味噌煮込みをつくった

あまりに天気がよいのでモツを買ってきて味噌煮込みをつくった。ボンベのガスコンロがお役立ちだ。よく煮込んで熱いところをフハフハ言いながらいただいた。もちろんうまかった。

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2021.04.15

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2021年4月16日 (金)

萩旅行04、通りすがりに鉄筋コンクリート造の橋を見つけた

最近、アーチが路面の上にある鉄筋コンクリート造の橋があることを知った。聖橋のような上路式なら分かるが路面がアーチの下にある下路式だとアーチが壊れるのではないか。本当にそんな橋があるのだろうか、などと思っていたところ目の前にあった。うわっ本当にあるんだ、鉄筋コンクリート橋って。すごいなぁ。かっこいいなぁ。

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2021.03.18、山口県萩市

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2021年4月15日 (木)

萩旅行03、左瓦を見つけた

城下町で左瓦を見つけた。瓦桟が右にある。これを左瓦というらしい。左へ左へと置いていくから左瓦なのだろうか。風向きに応じて左右を使い分けるそうだ。瓦に左右があることを知らなかった。

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2021.03.18、山口県萩市

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2021年4月14日 (水)

萩旅行02、菊屋家住宅の赤い壁

菊屋という豪商は毛利の家臣で萩城下を造った家柄だそうだ。建物は江戸時代初期だそうだがどこが古いのかよく分からない。小屋組みは貫で挿し固めているので幕末のものに見えた。土壁が独特の温かい赤で中塗り仕上げがとてもよかった。こういう家を造りたい。

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2021.03.18、山口県萩市、菊屋家住宅

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2021年4月13日 (火)

雨の日の五重塔は怪鳥に見える

雨がふって薄暗い。傘の陰から見上げた五重塔が怪鳥に見えた。今にも動き出しそうな気がしてこわい。これって室町時代の塔なんだそうだ。思っていたより古い。光明皇后の発願だそうだ。そんなことも知らなかった。

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2021.03.21、奈良市、興福寺

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2021年4月12日 (月)

バスでしかられた話

先日バスに乗っていてしかられた。吊革につかまりながら友人と話をしていたら車内放送で「コロナ感染予防のため車内での会話はご遠慮ください」と言われてしまった。びっくりした。いつから禁止されているのだろう。最近ではどこのレストランにも対策本部の配った黙食カードが張られていて、いつしかられるのだろうかとビクビクしながら食事をしている。知らないあいだに徐々に包囲されている気がして落ち着かない。

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2021年4月11日 (日)

全力の桜

電車を待ちながら満開の桜を見た。枝いっぱいに花を咲かせた桜は力強い。いつもの駅が違う世界のように見える。満開の桜が異世界を全力でパーンと弾けるように召喚したようなすごみがある。そんな気がした。

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2021.03.31、京都府向日市

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2021年4月10日 (土)

自作縁台ぐらしを再開した

陽ざしが暖かくなってきたので縁台でお昼にした。近在のタケノコとコストコのスペアリブの煮込みがうまい。庭はアジサイの新緑が陽を透かしてとてもきれいだ。緑のなかでごはんをいただくとはなんて贅沢なのだろう。

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2021.04.09、自宅

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2021年4月 9日 (金)

シャドー 210331

この駅のこの角は何度も撮っている。モンドリアンのような幾何学模様が床面いっぱいに広がっているのだ。いつも広がっているわけではない。この時間だけだ。出会うたびに足を留める。見るたびに初めて見たように新鮮でとても楽しい。

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2021.03.31、京都府、阪急西向日駅

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2021年4月 8日 (木)

二度見する風景

いい感じの路地があった。波型のプラスチック板で覆われているので影のない薄明りに包まれている。しかもプラ板が変色しているせいで光が黄ばんでいる。光に色がつくことなど滅多になくて珍しい。いったん通り過ぎたのだが、あれーと思って引き返してしばし見とれていた。

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2021.04.06、京都市

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2021年4月 7日 (水)

なんば高島屋の神殿

大坂難波の高島屋百貨店は改装が重ねられていて店内を歩いても古そうなところがあまりない。ひょっとして屋上なら何かあるかもと思って行ってみたところこれがあった。これは外からも見えていたが、近くで見ると神殿みたいでかっこいい。フェンスで囲われて近づけないのが残念だがいいものを見せてっもらった。

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2021.05.07、大阪市「なんば高島屋店」

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2021年4月 6日 (火)

釣りたぬき 小島漁港(2021.04.02)

1年ぶりに波止釣りに行った。昨年は1度しか行けなかったが今年はたくさん行けるとうれしい。

小島(こしま)漁港は水質がよくて水底まで見えるので波止釣りが楽しい。釣り具屋、トイレ、酒の自販機もあるのでとても便利。朝7時過ぎに家を出て3時間かかる。東京へ行くのと同じくらい時間がかかるが、特急ラピートの座席指定券を買っても往復で2500円と安い。安くて便利で楽しいと3拍子揃った釣り場である。漁協の売店は平日のためなのか閉まっていたので昼食が食べられなかった。次回はコンビニ弁当でも買っていく。

午前11時半に棹を出して午後6時までねばった。小アジなど21尾の釣果だった。大坂湾の水温は14度と4月後半の温かさ。そのためかアジの型が大きかった。いつものスズメダイが1尾も釣れなかった。群がっているのはスズメダイだと思うのだが。フグも釣れなかったが底のほうで15センチほどのクサフグがエサ取りをしていた。フグも例年よりも大きい。60㎝ほどのハマチが回遊していたが釣っている人はいなかった。

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赤メバルの豆サイズがよく釣れた。小さすぎるものはリリースした。アジは15センチほどある。例年だともっと小さい豆アジが回遊しているはずだが小さいのは見なかった。木っ端グレもよく釣れた。

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仕掛けはサビキでオキアミを挿し餌に使った。針はサビキ用の一番小さいもので枝糸が6本のものをいつも使っている。これだとエサ取りのスズメダイがよく釣れるからだ。夕まずめまで待ったが少し当たりが少しだけ良かったくらいでだった。

釣果は小アジ16.5~15センチが7尾、小グレが12.5~11.5センチが4尾、黒メバル12.5~11センチ2尾、赤メバル10.5~9センチ8尾の計21尾だった。とても楽しかった。また行きたい。

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2021.04.02、大阪府岬町小島漁協

 

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2021年4月 5日 (月)

水のなかにも空がある

波が静かで夕暮れが鏡のような水面にも映っていてとてもきれいだった。水面があることで天地がひっくりかえって見える効果はとてもおもしろい。

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2021.04.02、大阪府岬町小島漁港

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2021年4月 4日 (日)

シカを恐れよ

奈良公園のシカ注意の看板がなかなかおもしろい。イラストがかわいいいので、つい読んでしまったが内容は結構こわい。「かむ」「突進」の被害者が高齢者で「たたく」「突く」の被害者が女の子だ。怖いなぁ。

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2021.03.21、奈良公園

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2021年4月 3日 (土)

奈良公園で五芒星を見つけた

切り株に五芒星があった。木を伐ったあとでわざわざ刻んだようだ。いったいこれは何か。ただし五芒星の向きが正しくないので呪的な意味はなさないだろう。オリエンテーリングの目印かもしれない。

ちなみに五芒星の正しい向きは下が北である。

   
西
   

なぜなら通常は☆の左が陽気で右が陰気だからだ。ネットを見ているとこの正しい向きを逆五芒星と呼ぶ者があるが、なにをもってして「逆」というのだろうか。

  土気・中立  
火気・陽気 金気・陰気
木気・陽気 水気・陰気


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2021年4月 2日 (金)

上京区の洋館

建築士事務所協会へ用事で行くとき毎回道を変えている。10分くらいの距離だけどいろいろ発見があっておもしろい。今回はこんな石貼りの洋館を見つけた。

石の厚みが10センチくらいなので石貼りだと思った。中身は木造だと思うがひょっとしたら鉄筋コンクリート造りだろうかね。違うよね。という逡巡を重ねながらボヤーと建物を見上げる時間が好きだ。

窓がモダンなので昭和5年くらいだと思う。入り口が大正時代風のマンサード屋根風なのはなぜか。赤い屋根がかわいい。丁寧に修理されており大切にお使いなのが分かる。
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2021.03.31、京都市上京区

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2021年4月 1日 (木)

圓徳院北庭を初めて見て気づいたこと

高台寺のライトアップのあと隣接する圓徳院のライトアップも見てきた。観光客が少なくほぼ貸し切り状態だった。圓徳院を訪れるのは初めてである。いくつか気づいたことがあるのでメモしておく。

1598年秀吉没
1605年圓徳院(木下家の菩提寺、ねねの在所)伏見城からねねの化粧御殿と庭園を移築
1606年高台寺創建(秀吉の菩提寺)小堀遠州が作庭
1624年高台寺が曹洞宗から臨済宗へ改宗

まず高台寺庭園のふたつの池はつながっていたように見えること。中門を作った際に作り替えたのだろう。池がつながっておれば開山堂の建つ場所は蓬莱島に見える。

二つ目は圓徳院庭園は高台寺庭園とセットであろうということ。高台寺庭園の開山堂には橋がふたつ架けられているが圓徳院庭園の蓬莱島にもふたつの橋がかかっている。蓬莱島にかかる橋は普通は1本で行き止まりになっているが円徳寺庭園のように蓬莱島を2本の橋で通り抜けられるかたちは珍しい。ふたつの庭園構成がよく似ていることもセットであることを示すように思う。

三つ目は上にある高台寺が秀吉、下にある圓徳院がねねの場所なので易の「天沢履(てんたくり)」の形式に見えること。秀吉を天神に、ねねを天神を祀る巫女になぞらえているわけだ。高台寺と圓徳院はセットで鎮魂のための装置となる。

四つ目はねねは相当人気があったのだろうということ。カリスマ性が強いので政治利用を避けるために家康はねねをアジールへ隠したのだろう。高台寺あたりは現世権力の及ばないアジールだったわけだ。圓徳院の掌美術館にねねのくつしたが展示されていた。防寒用の綿入れの大きな白い足袋だった。なんだかおもしろい。

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