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2021年3月

2021年3月31日 (水)

高台寺のライトアップを見てきた

高台寺のライトアップを見てきた。境内は空いていて歩きやすかった。湖面に写る桜がとてもきれいだった。

なぜかアサキチ(アオサギのこと)が通路を徘徊しており観光客の人気を集めていた。アオサギって夜行性だったっけ? 

池のまわりでシャクナゲが咲いているのをかみさんがいぶかしんでいた。シャクナゲの花期はもう少し後なのだそうだ。どうやらライトアップのせいで早咲きしたらしい。電照シャクナゲである。

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2021.03.31、京都市、高台寺

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2021年3月30日 (火)

紫外線殺菌灯って知ってる?

紫外線殺菌灯とは紫外線を使って消毒を行う蛍光灯のようなもののことだ。医療機関でよく使うものらしい。どこかの公衆トイレに壁付のそれがあった。そんなものが広いトイレにひとつだけでは効果はなかろうに。

で、そのときわたしは紫外線殺菌灯を初めて見た。なんだろうと思ってしばし眺めていた。妖しい青い光が吸い寄せられるように美しい。

すると光の出ている部分の下に小さな文字でなにか書かれている。なんだろうと思ってつつっと近づいた。最初の「注意」という文字は読めたが他は小さすぎて読めない。わたしはさらに顔を寄せて小さな文字を読み取ろうとした。ぎりぎりまで近づいて文字をじっと見つめたところ、ようやくそれが読めた。そこにはこう書かれていた。

「注意 目を傷めるおそれがありますので見つめないでください」

 

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2021年3月29日 (月)

近づかないでください

いかに自分がアホであるかという話をしているわけだが、これは直しようがないし今さら直したいとも思わない。どうしようもないことはどうしようもないのだからどうしようもないわけだ。それでも自分がアホだという話にだけコメントが集まるというのことには複雑な思いがある。でも自分がアホだというのは事実なので続きを書くしかない。

ある時ある美術館でなかなかよい絵を見ていた。コラージュがすかしていて味わい深い。

「ふむふむ、なかなかよい絵だと思うぞ」

そうやってその絵に見入っていたときに絵のなかほどに小さな字でなにかが書かれていることに気づいた。そのとき私は絵から1.5メートルほど離れて見ていた。それでは文字が読めないのでつつっと近づいたわけだ。絵に顔を寄せたが遠視なのでよく見えない。わたしは舌打ちしながら眼鏡をはずして目をこらした。そのとき背後から声をかけられた。

「おそれいります。絵にあまり近づかないでくださいますでしょうか」

わたしが眼鏡をかけ直して振り返ると困惑気味な笑顔を浮かべた係員が突っ立っていた。さて困惑するのは私のほうだろう。絵に触るわけではないのだから目を寄せても作品には無害ではないのか。

「いや、文字が小さいので近づかないと読めないのですが」
「おそれいります。当館では決められた線の内側には入れないことになっております」
「……せん?」

「線」てなんだ? この美術館に「線」なんてあったっけ? もう何度も訪れているがそんなもの見たことがないぞ。
けげんな表情を浮かべていると係員はおそるおそる私の足元を指さした。足元を見下ろすとなんと自分の足が白線を履んでいるではないか。
これはまったくの不覚であった。この美術館には「線」があったのだ。展示壁面から50センチほど離れて引かれた白線は壁沿いにずっと続いているのだった。

「これはすみません。気づきませんでした」

ここで「気づきませんでした」というのは、こんな分かりにくい線を引く美術館のほうが悪いという意味なのだが、使命を果たした係員にはこの皮肉が通じなかったようだ。心底ほっとした笑顔でこう締めくくった。

「ご協力ありがとうございます」

あんたはいいだろうけど、私は小さな文字を読まないことにはこの作品の理解が進まないんだよ、と言いたかった。心底言いたかった。わたしの美術鑑賞と「線」とどちらが大事なのか。もちろん美術鑑賞のほうが大事だろうと。それこそ美術館の存在意義だろう。でも社会は決してルール違反を許さない。そのことを知っているわたしはそうそうと鑑賞をあきらめて美術館を出た。それ以来その美術館へは行っていない。

美術館は嫌いだ。

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2021年3月25日 (木)

実は美術館でよく注意される

実はわたしは美術館や博物館でちょくちょく注意を受ける。

たとえばメモを取ろうとして注意を受けたことがある。ノートを開いてシャーペンを取り出したところで背後を取られた。

「おそれいりますがシャープペンシルのご使用はご遠慮ください」
「えっ? インクを使わなければいいのじゃありませんか?」

ここでお互いに顔を見合わせることになる。美術館でインクの筆記具、つまりボールペンなどを使うことはダメだ。インクが散って作品を汚す可能性があるからだ。でもシャーペンならいいだろう。なぜダメなのか。

「申し訳ございません。当館では決められた筆記具しかご使用できない決まりになっております」

ああそうか! 「決まり」ならしょうがない。ルールには誰も逆らえないのだ。この美術館では普通にメモを取ることもルール上許されないのだ。

「わかりました。ではその指定された筆記具を貸してください」

係員が遠慮がちに差し出したのはゴルフコンペでスコアに記入するときに使うようなプラスチックの先に長さ数ミリの鉛筆の芯が埋め込まれたクリップペンシルだった。

これを筆記具を呼ぶのは文房具に対する冒とくではないかと思ったが黙って受け取った。問題なのはクリップペンシルが文房具なのかどうかではなくシャーペンとどこが違うのかということだろう。なんだか世の中がどうでもよくなってくる。

それからは最初にクリップペンシルをもらうことで注意されることを回避してきた。いくらわたしでも多少は社会性というものを学ぶのである。ところがその努力をあざ笑うようにわたしはまた注意を受けるのだった。その話はあした。

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2021年3月24日 (水)

博物館で2度も注意された

マスクを鼻までかけろと係員から2度も注意された。マスクを鼻までかけるとメガネが曇るので鼻先にかけているのだが、鼻が低いのですぐズリ落ちるのだ。

「おそれいります。マスクを鼻までおかけください」

さすが国立だけあって言葉使いが丁寧だ。丁寧だが反論を許さない同調圧力を感じる。わたしは同調圧力が苦手なので眉をひそめるが、そもそも反論の余地もないので素早く黙ってマスクをあげる。

おもしろいのは係員が注意するとき両手にもったA3サイズの説明パネルを見せることだ。正しいマスクのかけ方をイラスト付きで示したもので3ヶ国語の説明書きがある。

お前は正しいマスクのかけ方を知らないのだなと言わんばかりのパネルなので、知っていることをアピールするためにできるだけパネルを見ずに素早くマスクを上げることになる。何も持っていないよりは効果抜群だろう。いまいましい限りだがよくできている。

それ以降、パネルをこちらに見せながら近づいてくる係員に気づいた時点でマスクを鼻まであげるようになった。それなのに2度目の注意を受けた。背後を取られたのだ。みんなも気をつけてね。

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2021年3月23日 (火)

特別陳列「帝国奈良博物館の誕生」メモ

奈良の博物館で図面を展示していると聞いて行ってみた。やっぱり図面がおもしろかった。気づいたことがあるのでメモしておく。

<工法について>
・壁厚みをレンガ何枚というときのレンガの向きはタテであること。これは前からどう数えるのか分からなかったのですっきりした。
・それからレンガ壁下のコンクリートのことをコンクリート基礎と書いていたがあれは地業の一部ではないのか(そのうち調べてみる)。
・あと外壁の黄色い部分はレンガ素地に黄色い漆喰仕上げだそうだ。
・濃尾震災のあと耐震レンガ造にしたそうだ。開口部の上から軒まで鉄骨が入っているとあったが、京都府立図書館のように開口部の上に平鋼で補強しているのではないかと思う。

<かたちについて>
・雨仕舞いをよくするためにトップライトをガラス屋根から今のような風呂屋風のボックス型に変えたそうだ。そのためにシルエットが下手になっている。下写真のように屋根上のトップライトが無い方がすっきりして本来のかたちがよく分かる。これはもう少し考えてもよかったと思うが、その時間がなかったのかも知れない。それほど建設を急いでいたともいえる。

<宋兵蔵について>
・発注元の現場担当者の宋はわざわざ京都から通っていたようだ。なぜだろう。京都にほかの現場があったのだろうか。これは宋の年譜を見れば分かるのかも知れない(そのうち調べてみる)。
・ほかに内匠寮監査課の山本吉治郎という人物が書類に出てくる。これは山本治兵衛の縁者ではなかろうか。治兵衛のお父さんの山本治良兵衛とも名前が似ている。山本家はもとから内匠寮を立ち上げた立川知方の立川流の流れだったのかも知れない。

<図法について>
・石工用の装飾図(原寸)を初めてみた。筆でフリーハンドで描いている。なかなかうまい。こういう仕事がしてみたい。

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2021.03.21、国立奈良博物館

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2021年3月22日 (月)

雨の南円堂はとくによい

雨の昼下がり、境内に誰もいないので大好きな南円堂を独り占めだ。それがうれしくてスケッチした。道具がないのでノートにシャーペンだ。手水舎の下で雨音を聴きながら描いた。なんて贅沢な時間なのだろう。

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2021.03.21、興福寺南円堂(奈良市)

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2021年3月21日 (日)

萩の下横瀬公民館

元は明木(あきらぎ)村立図書館(1928)で1959年に現在地へ移築されて公民館となった。縦長の窓は部屋の奥まで光が届くので明るい閲覧室だったろう。花壇にちょうど黄水仙が咲き乱れており今も大切に使われていることが伝わる。幸せな建築である。背の高い下見板張りの建物で赤い石州瓦がかわいい。

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2021.03.19/ワトソン紙はがきサイズ、グラフィックペン0.3、固形透明水彩/山口県萩市

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2021年3月20日 (土)

萩旅行01、萩の反射炉を見てきた

反射炉を初めてみた。森のなかに煙突だけ残っていたのを1926年に史跡に指定し保存している。安山岩積みの壁がなかなか圧巻だった。来てよかった。

反射炉は図のように炉の天井を凹レンズのように湾曲させて火力を集中させる構造らしい。実物を見て反射炉の仕組みが初めて分かった。現在炉の部分はほぼ崩れているが残った部分を見ると円筒型の焼き物をドーム状に積んでいる。炉内に向けた円筒の頂部が釉薬をかけたように光っていた。反射させるためだろう。萩焼の登り窯の技術を援用しているように見える。そういえばモデルとした反射炉のあった佐賀藩も陶芸がさかんだった。佐賀も萩も、もともと火を使う人々だったわけだ。

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2021.03.20、萩反射炉1856
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2021年3月19日 (金)

安芸の宮島は鬼が島のようだった

宮島SAの展望台から異様なかたちの島が見えた。鬼ヶ島のようだねぇと話していたらこれが宮島だった。中央の高い山が弥山(みせん)というそうだ。弥山は須弥山のことだろう。世界の中心にそびえて天地をつなぐ生命の山である。

この山の真下に入り江があり有名な厳島神社がある。厳島の「いつく」は「斎(いつ)く」だろう。天神を斎く巫女の島なわけだ。巫女は八卦の沢だから天沢履の易卦を体現している。天沢履とは最高の安全を意味する。

この島は標高が535メートルもあり瀬戸内海では小豆島(817)に次いで高い。遠くからでもよく見えるこの島が古代より航海安全の守護であったことが少しわかった。

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2021.03.17、宮島の遠景

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2021年3月18日 (木)

萩の旧明倫小学校

かの吉田松陰も教えた藩校「明倫館」を受け継いでいる。昭和10年の建物で見かけは洋風だが細部は和風という「和魂洋才」を絵に描いたような建築でおもしろい。同じ長さの校舎が4棟並ぶ連棟式校舎で一時は児童3000名もいたという。なぜ萩がそれほど人口が多かったのだろう。2014年に小学校は隣接する新築校舎に移転し。ここは観光拠点として順次整備されている。ミュージアムがあるがなかなか見ごたえがあった。さすが萩である。

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2021.03.18/ワトソン紙はがきサイズ、グラフィックペン0.3、固形透明水彩/山口県萩市「旧明倫小学校」

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2021年3月17日 (水)

武田的ディテール(22)和風な洋風

玄関まわりに雷紋がある。これはギリシャ雷紋をアレンジしたものだ。一方、法隆寺には卍くずしの高欄がある。それは卍(まんじ)を崩したものだと言われている。ためして組み合わせてみた(下図)。あまりうまくできない。なぜこれが卍くずしなのか誰か説明してほしいものだ。

ともかく雷紋は東洋と西洋に共通の紋様であり、なんらかの東西交流の痕跡と考えられていた。武田が繰り返し使う風車模様も雷紋だったのかも知れない。東西両文明の融合を考えていた武田らしいではないか。実はこの建物は正面に雷紋を張り付けているのである。それはあした。

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2011.05.24、旧京大建築学教室
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2021年3月16日 (火)

武田的ディテール(21)和風な洋風

これは建築学教室の入り口両側に立つ柱だ。門の守護神のように左右に控え来るものに謎をかける。一見洋風に見えるこの柱頭飾りの一体どこが和風だというのか。答えは簡単。下図のとおり和風の組み物をアレンジしている。さてこれがどこの寺の組み物なのか分かるだろうか。わたしとしては法隆寺だろうと思う。なぜなら門のまわりに「くずし卍模様」があるからだ。それは明日。

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2011.05.24、旧京大建築学教室1922
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2021年3月15日 (月)

摂南大学住環境デザイン学科卒業研究発表 感想メモ(2021.03.14)

学校の出入りも難しいような困難のなかで例年並みのレベルを維持したのがすごい。おそらく見えないところでクラスメート間の助け合いがあったのだろう。大学時代の友情は一生ものの財産だ。ぜひ大切にしてほしい。卒業おめでとう。

コロナに配慮して展示会が中止となった。会場で学生の話を聴けなかったのがつらい。1月の発表時のデータだけでは分からないことが多かったが、できるだけ想像力で補いながら感想をメモしておく。

< 全体として >
わたしはここ数年、発想・知識・プレゼンの3項目で作品を評価してきた。とくに発想に重きをおいている。たとえプレゼンが下手で知識に欠けるとも発想がおもしろければ評価してきた。この発想部分だが、さらにテーマと設定のふたつに分かれるようだ。

テーマは何がやりたいのかという意思の表明だ。それは社会的でなくてもいいし芸術的でなくてもいい。自分がやってみたいことを表明してほしい。テーマが明確でないとピンボケの卆計になってしまう。

設定はテーマに従って決まる。建築概要、敷地、テーマを実現する上でのアイデアなども設定に入るだろう。とくに敷地選びは重要だが、テーマが明確でないと敷地も正しく選べない。このあたりを早い段階で整理できれば仕上げる時間が増えて作品は深まるだろう。

< 個別に >

-稲地研-

・施設と地域の繋がり方に着目した児童の自立を促す児童養護施設に関する研究
児童の社会的自立を促すために地域社会に開いた形式。既存の小舎制ユニットケア方式との違いや家庭内虐待からの隔離をどうするのか聞いてみたかった。地域住民のための施設として家庭支援センター、地域交流棟を備え、隣接地には幼稚園、公園がある。住居区と地域施設とのあいだに児童と地域住民の「たまり場」として図書室、子供食堂などに囲まれた広場を設けたのがとてもよい。計画力、設計力の高い作品だ。

・多様化する自転車社会
データが未完成だったのでよく分からなかったのが残念。卆計は概して間に合わないものだ。わたしもそうだった。今後にこの経験を活かせばよい。

・町に住む住居
木造密集地の再開発。複数敷地を合わせてシェアハウスに建て替える。シェアハウスの共同キッチンなどの共有部分をつないでかいわいを作ってみせた。共同建て替え再開発事業との違いや単身者専用計画の意図などを聞いてみたかった。

・時間の蓄積
津波対策としての和歌山県白浜町朝来帰(あさらぎ)地区の高地移転計画。斜面地に分散型集落を構成。銭湯をコミュニティの核とする集落計画や波型屋根を共通モチーフとして新しい風景を作ったのがおもしろい。斜面地だと津波時に下部が浸水するのではないだろうか。だからさらに高所に復興予定地を設けたのだろうか。そのあたりを聞いてみたかった。

・空白から余白へ
人口減の進む大阪市都島区へ大川対岸の北区の人口を引き入れる計画。波打った人工地盤で大川上の公園を作り両区の一体感をつくりだそうとした。造形が美しく設計力の高い作品。

・三好山美術館【円満字賞】
こどもの創造力を引き出す公園計画。円形広場、らせんの穴、迷路、鏡などを配置した楽しい作品。岐阜県の公園・養老天命反転地が先行作品だろう。各部の設計が適切で遊具のつなぎ方もうまい。設計力の高い作品である。

・児童の多用な居方を可能にする環境
「居方」という言葉を知らなかった。最近使われる造語のようで居場所というほどの意味らしい。大阪市東淀川区に学童保育施設を計画する。平面を複雑にすることでいろんな居場所を作り出そうとするアイデアは正しい。


-川上研-

・グラフィック視線誘導の手法を建築シークエンスへ落とし込む【円満字賞】
放置されている都計道路敷に回廊型の遊歩道を計画。周辺の4つの町のアイデンティティを形態化した広告建築をはめこんでいるのがおもしろい。万歳町は民俗芸能の万歳にちなんで舞台建築を、中崎町は借家街を模した店舗を、扇町は天満市場にちなんだバザールを、神山町は街道筋の牛宿を見立てた駐輪施設を、という具合で楽しい。設計力の高い見ごたえのある作品。

・おもしろさは急に見えぬすすきかな
兵庫県伊丹市に郷土出身の俳人・上島鬼貫の記念館と句作のための場所、まちづくり団体のための施設を計画した。町の中や昆陽池あたりなど複数敷地を使って俳句をテーマとした造形を展開している。形態操作による造形が優れている。

・浸藍の「ぞめき建築」【円満字賞】
徳島駅前のウオーターフロントに藍染めなどの地場産業をテーマとした施設を計画。住民や観光客などが藍の栽培から染めものまで体験できるスペースのほかショップやレストラン、イベントスペースなどを備える。出色なのは阿波踊り当日に「にわか踊り」のコースとなるスロープがあること。日常の施設としてもよくできているが祭日に表情を鮮やかに変えるのがおもしろい。計画力、設計力ともレベルの高い作品。ちなみに「ぞめき」は阿波踊りのリズムをいう言葉らしい。

・枚方市民の不安をやわらげる「ケア市場」【円満字賞】
大阪府枚方市の市役所前の公園と市民ホール跡地にケアをテーマとする市場を計画した。勤務していない看護師や保育士などの人的資源を利用して運営するという。市場は食堂、生鮮食料品、クリーニング、薬局、美容室など日常使いの店舗が中心で、店舗それぞれに住居を併設した。おもしろいのは「見る、話す、触れる、立つ」などの動作をもとにコミュニケーションを誘発するための9つの仕掛けを備えたこと。土間、縁側、ピロティなどをケアの視点から見つめ直した作品。

・患者家族を日常の再構築へと導く自然光を活用したファミリーハウス【円満字賞】
難病児童を看護するためのコレクティブハウスを病院に隣接して計画した。15家族分のプライベートルームから患者家族のための共用リビングそして地域にオープンなカフェなど段階的に入居者を地域に開いていく手法が確かだ。難病であるゆえに治癒する保証はない。施設の中心に祈りのための小さな教会を設けたことに難病の現実を見通す確かな視点を感じた。折る、繋ぐなどの形態操作による造形力も優れている。

・共につくり生きる【円満字賞】
卆計を見ていて久しぶりにドキドキした。大阪に残るドヤ街・あいりん地区は高齢化と空洞化に悩んでいる。この町にアパレル廃材の再生事業を新しい生業として根付かせるための施設を計画した。古着を分解再生した素材で使った新しいファッションや建築素材をアーチストと共同開発する。古着の回収分別場、再生加工場、アトリエ、ショールームなどを備える。さらにアパレル素材を使って地域に点在する古家を再生させる試みを行うなどまちづくりプロデュースとして優れている。地域経済の回復と古家再生を同時に進めるドラマティックでドラスティックな作品である。

・こどもと遊び・学び・自然がからまる冒険遊び場
滋賀県の草津川跡地に学習塾と習い事教室のコンプレックスと遊び場を複合させた作品。放課後、塾通いに分散するこどもたちを集約してふたつめの学校を作った。施設そのものを遊び場として構想しようとしている。敷地と建物との関係を聞いてみたかった。


-白鳥研-

・生と死が織りなす建築デザイン【円満字賞】
緑化されたRC3階建て住宅。廃屋のイメージが住む者に緊張感を与える効果をねらう。陰影のある壁面、吹き抜けからふりそそぐ光線など設計力の高い作品。安藤忠雄作品の禅の風景に近いかもしれない。

・「360°BOOK」を起点とした密集室内での共生空間装置【円満字賞】
段ボールを使ったパーゴラのような作品。折りたたんだものを開くブックランプを大きくしたもの。造形としてもおもしろいが、何度も試作を繰り返し強度と運搬の検討を重ねたことを評価したい。室内用として計画しているが応用分野は広いだろう。特許ものである。

・「G.E.R.U.S(ゲルス)」を用いた仮設住宅の提案【円満字賞】
モンゴルのゲルをモデルとした長期滞在型仮設ユニットの試作作品。竹を構造材とし、もみ殻を断熱材として利用。仮設ではなく永住できると思う。古代日本には木を組み合わせたうえに土をかぶせた住まいがあったという。住まいの原型にせまる実験住宅と捉えることもできる。たいへん興味深い。

・一人親の孤(子)育て支援施設の提案
子育て支援施設だと思う。傾斜地に大屋根をかけて中央吹き抜けにホールがあり空中デッキに諸室を配置する。施設概要についてさらに聞いてみたかった。

・ベトナム南部ホーチミンにおける民族共生都市住宅の提案【円満字賞】
ベトナムの多数派キン族とカンボジアに多いクメール人との混住住宅。いずれも先祖崇拝のための壇を中心とするのが伝統的な住まいらしいが、現在の都市住宅では先祖壇の置き場がないそうだ。提案は伝統工法による木造3階建てとし1階は町に開いた店舗、2階を住居、3階を先祖壇置き場とした。前屋、主屋、後屋の3棟形式としその間から光と風を取り入れる計画が清々しい。1階に水庭を作ったのも風を通すためだろう。雨季には増水して1階は水没するという。そのようすもおもしろい。独特の登り梁による小屋組みの美しさなど伝統を見つめる確かな視点を感じた。

・日本におけるムスリムと非ムスリムの共生住宅の提案【円満字賞】
神戸の諏訪山にイスラム教徒と非イスラム教徒の夫婦のための住宅を計画。日本の麻葉模様とイスラム模様の八芒星の組み合わせを平面に使った。家族で生活しているときと来客時でプランを変える工夫がおもしろい。来客時には建具を移動させて中庭の一部を取り込み男女2部屋に分離する。中廊下はさんでオープンなキッチンがあり日常と来客時の双方に対応できる。また塀と建物の隙間を緑化して光と風を通すなど楽しい工夫に満ちている秀作である。

・日本の伝統的な屋根瓦の美しさに関する提案【円満字賞】
唐招提寺礼堂の軸組模型を作り屋根の美しさについて考察した実証的な研究。こうしたアプローチは本学科創設以来初めてである。軒反りの技法を模型で試作しながら美しい軒の作り方を確かめている。この礼堂は跳ね木のない古式で、そのことが伸びやかな軒の美しさを形づくっていることが実感として伝わる。


-久冨研-

・新しい都市公園の使い方
大阪市の堀江公園に立体格子のデッキをつくり隣接する商店街のイベントスペースとする計画。立体格子を緑化し公園としての快適性も向上させている。外部を内部化する縁側的なツールとして立体格子を使っているのがおもしろい。地域の祭礼との関連を聞いてみたかった。

・寝屋川国際学生寮
1階をピロティとし2階を居住スペースとする。キッチン、トイレ、ふろ場は共用。吹き抜けに設けられた階段踊り場に低い囲いで仕切られた談話スペースを設けたのが特徴。礼拝場所の確保や食事上のタブーなどをどう折り合いをつけて共同生活するのか聞いてみたかった。

・まちの継承
大阪市の木造密集地・空堀地区を取り上げ空家9戸空き地2カ所を使って高齢者住宅、デイサービス、ショートステイなどの施設を計画した。分散した各施設を連結する空中回廊を設けたのが特徴。回廊に井戸を水源としたドレンチャーを組み込み地域火災に対応したり、タテ動線のシャフトを既存建物の構造補強として使うなどのアイデアがおもしろい。

・New Work Style
奈良県香芝市のニュータウンにある五位堂駅前にコワーキングスペースを計画。1階をピロティとしてロータリーと駐車スペースとし、2階にオフィスと託児所を設ける。2階はデッキにより駅と直結しており駐輪場を設ける。オフィスは1.5m×0.8mをひとり分のモジュールとして2人分、4人分と広げられる設計がよくできている。

・シャッターを開いて【円満字賞】
生野区のシャッター商店街の再生がテーマ。元店舗の職種にちなんだ教室として再生するアイデアがユニークでおもしろい。元漬物店の漬物教室、染み抜き店の染み抜き教室、うどん店のうどん打ち教室などを説明するカラフルな絵が楽しい。防災空地を適切に配置しながら順次空き店舗のシャッターを上げていくドラマチックな計画だ。

・コンピューテイショナルデザイン/デジタルファブリケーション【円満字賞】
インテリア用の棚を自動設計・自動製作のアプリを使って試作する実証的な研究。パラメーターを操作して好みのものを作ることができるらしい。施策を通して構造的な検討、施工上の問題点などを確かめた。自動設計・自動製作は大量生産のための手段だと思っていたが、それを個人のための一品生産に利用できるということが目からウロコで興味深い。大量生産のためのツールならば標準化の方向でデザインの未来は暗いが、個別に対応できるとなれば明るい未来も見える。そんな勇気をくれた秀逸な研究である。

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2021年3月14日 (日)

京都駅に架線柱はない

京都駅のホームで列車を待ちながら上屋の鉄骨トラスを愛でていたところハタと気づいた。あっれー、これだけ架線があるのに架線柱がホームに無いよ。普通ならば鉄骨やコンクリート製の柱が線路わきやホームの上に立っているのに京都駅では見渡す限りそれが1本もない。とても不思議だ。というわけで確かめてみた。連絡橋から見下ろすとなんと屋根の上に短い架線柱が載っているのである。ホームの鉄骨柱の真上なので荷重は受けやすいのだが、ちょうどトユが通っており単純に溶接やボルト締めでつないでいるようには見えない。謎は深まるばかりだ。

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2021.03.13、京都駅

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2021年3月12日 (金)

武田的ディテール(20)銅像台座

武田はえてして記念碑を演劇的に作る。これはその典型といってよい。こうした動作を伴った銅像は珍しい。この記念碑は歴史のワンシーンを演劇的に再現することによって三条大橋東詰めのこの地が尊王思想の発祥地であることを示している。ウイーンのワーグナー先生は都市における記念碑を個人崇拝の祭壇にしてはならないと言ったが、まさにこの記念碑はワーグナー流の都市型記念碑といえよう。

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2011.05.09、高山彦九郎先生皇居望拝像台座1928

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2021年3月10日 (水)

コロナに関するメモ(1)

そろそろメモしておかねばならない。いっぺんには無理なので少しづつ書いておこう。まずは変異株について。

<変異種ではなく変異株が正しい>
変異種ではなく変異株が正しいと日本感染症学会が報道機関に訂正を求めたのが1月29日だった。英国ジョンソン首相の変異株についての記者会見が22日だからその1週間後だった。呼び方の間違いは単なる誤用ではなく誤報となりかねないと警鐘を鳴らしたのもかかわらず今でも変異種の呼称は続いている。情報の混乱を象徴している。

【重要】変異「種」の誤用について(報道機関各位)https://www.kansensho.or.jp/modules/news/index.php?content_id=221

<変異株の感染率・致死率の増加>
英国首相は昨年12月に拡大中の変異株の感染力は最大7割増しになるおそれがあると発表した。1月にイングランド公衆衛生庁とインペリアル・こカレッジ・ロンドン、ロンドン大学熱帯医学大学院がそれぞれ変異種についての研究を発表し、それを政府の諮問機関所属の学者が評価して致死率も上昇していると認めた。

イギリスで特定の変異株、「死亡リスク高い可能性」首相が発表(BBC、1/23)https://www.bbc.com/japanese/55777073

その後、南アメリカ株とブラジル株の研究も進み、イギリス株と同様に感染力・致死率が上昇しているとされる。正確な数字が出るのは数年先になるだろうから7割とか3割とかいうのは推定値のひとつにすぎない。それでももしこの程度の上昇があるとすればどうなるのか。

今回のコロナは感染力が弱く致死率が高いことが特徴だ。だから感染率が倍になったとしても、もともと感染者の少ないアジアやアフリカに大きな影響はない。

  感染率 感染者の死亡率
09年新型インフルエンザ(日本) 17.5%(2100万/1.2億) 0.0009%(198名/2100万)
コロナ(世界、1/12現在) 1.2%(9131万人/75.9億人)

2.1%(195万人/9131万人)

※データはウイッキによる

問題なのは致死率のほうだろう。もし2.1%が30%増しになったとしても2.73%になるだけだ。いま取りざたされている推定値の最大をとったとしても日本における状況が大きく変わるわけではない。

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武田的ディテール(19)京大の矢車模様

(2)で紹介した同女のレンガ飾り積み(1914年)のデザインはタイル貼りに継承された。レンガ造が鉄筋コンクリート造に変わっても相変わらず飾り貼りをしている。よほど好きだったのだろう。

この矢車模様はおそらく鯉のぼりをイメージしている。肝心の鯉が描かれていないが、鯉はこの講堂に集う学生たちだ。鯉の滝登りのように京大は学生たちの登竜門なのだ。いかにも武田好みのシャレである。

当初は学生のあいだでそう言い伝えられていたがそのうちに忘れられてしまったようだ。いまは誰もこの矢車の意味を知らない。

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2011.05.24、京大「100周年記念時計台」1925年竣工

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2021年3月 9日 (火)

武田的ディテール(18)コンパスの跡

武田は方眼紙とコンパスで設計することは知られている通りだ。実際それがよく分かるのがこの図書館だ。立面を分析すれば図のように方眼紙と円が浮かび上がる。おもしろい。

さらにおもしろいのは円の中心が窓に残っていることだ。写真をよく見てほしい。1段目と2段目の窓のあいだの横桟に小さな丸があるのがお分かりだろうか。

これはおそらくコンパスの芯を立てるための目印であって装飾ではなかろう。この工事のとき武田は海外出張中だった。武田に確かめることができないので装飾として作ってしまったのだろう、と私は思っている。

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2011.05.24、京都府立図書館
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2016.04.20、京都府立図書館

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2021年3月 8日 (月)

武田ディテール(17)武田邸アトリエ

 武田は自宅にアトリエを作った。そこには学生や卒業生たちが住み着いて武田が依頼されたさまざまなプロジェクトの図面を描いていたという。なんともうらやましい限りだ。武田邸はいまはもう無いがアトリエはある。沖縄民家を思わせる赤瓦の宝形屋根だ。沖縄びいきの武田らしい。おもしろいのはいろんな実験の跡が見えることだ。窓はライト風のステンドグラスがはまっているし、その横にはタイルの模様貼りをしている。アトリエは図面や模型を作るだけではなく、さまざまな試作を行っていたようだ。なんとも楽しそうなアトリエである。

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2011.05.31、京都市北区

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2021年3月 6日 (土)

武田的ディテール(16)記念碑のベンチ

鈴木博之のせいで有名になってしまった。台座の上の段々が国会議事堂に似ているのでこれは議事堂の習作ということになった。まあそう言われればたしかに習作かも知れない。武田は議事堂設計チームの主任格としてたいそう尽力したが、できあがった建物はちっとも武田らしくなかった。それに比べてこの習作のほうは武田らしさにあふれている。

和風くずしの柱頭まわりを取りざたする者は多い。それはそれでおもしろいのだが、私がもっとも武田らしいと思うディテールは柱のあいだのベンチである。

武田は記念碑を街角のポケットパークとして作ることが多い。それはウイーンのワーグナー先生の教えでもある。ワーグナーはウイーン改造にあたって記念碑は都市散策者の憩いの場とするべきだとした。改造されたウイーンの大通りには劇場や美術館やカフェが並び都市散策者の楽しみの場として整備された。記念碑は街路を楽しむための主要なストリートファニチャーのひとつとして機能していたのである。

武田は同じことを日本でもしようとしたことがこのベンチを見れば分かる。いまこの記念碑はフェンスに囲まれて近づけない。ベンチに座らせてほしい。

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2011.08.13、神戸市大倉山「伊藤博文公銅像台座」1911

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2021年3月 5日 (金)

2001年「分離派建築会100年展」メモ

分離派展を見てきた。収穫は堀口捨巳の住宅が思いのほか「かわいい」ということだ。木造としては納まりが悪いが、欠点を補ってあまりある「かわいさ」だった。たいへん興味深い。

多少苦言を呈すると武田五一をプレ分離派として登場させないでほしい。武田は分離派と関係がない。それは展示を見てもよく分かる。

かつて武田はデザインが下手だと見下されてきた。京都へ左遷されたと公然と言われていた。根も葉もないデマで、東大を主流派とするための言説の犠牲になっただけだ。私たちがそうじゃないとさんざん言ってきたので、さすがに今ではそんなことを言う不届き者も無くなった。それでも武田は駆逐されるべき古き様式主義者側と捉える考えが生き残っているわけだ。ひどい話だ。

かつて分離派史観とも呼ぶべきものがあった。様式主義を脱して近代合理主義建築へ至る歴史の道程こそ正義とする考え方で、元をただせばペブスナー流の近代建築史観に行きつくのだろう。そんな古臭いものはとっくに無くなったと思っていたが結構しぶとく生き残っていたわけだ。わたしとしては武田さえ巻き込まなければ文句はない。何を正義としていただいても結構だ。武田を分離派から分離してほしい。それだけは言わせてもらおう。

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武田的ディテール(15)銀橋の階段塔

橋上から下へ降りる階段塔を備えた橋も珍しい。大川沿いのこのあたりは桜の名所だ。橋の西詰めには桜の季節だけ「通り抜け」のできる造幣局の入り口があり、土手下の河岸は広い遊歩道となっている。東詰めの土手下の河岸は桜並木で有名な毛馬桜之宮公園がある。

つまり桜宮大橋は東西の桜の名所をつなぐために、わざわざ河岸へ降りる階段塔を備えているわけだ。この橋は交通施設であるとともに都市散策を楽しむための施設ともなっている。武田はいつも橋を楽しむことを考えている。

橋からのヴューは町をよく見通すことができる。橋が散策のための中心的な施設である理由はそこにある。その意味で橋はその町を象徴するポイントとなる。武田はそのことをよく理解していたからこそ階段塔を設けたわけだ。

そもそも3ヒンジアーチを使ってまで橋脚を川へ置きたくなかった理由は花見客のための遊覧船を安全に通すためだった。武田の設計は桜の名所を守ることを第一目的としている。武田らしいと私は思う。


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2011.12.18、大阪市「桜宮大橋」1930年

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2021年3月 4日 (木)

武田的ディテール(14)銀橋の3ヒンジアーチ

銀橋は3ヒンジアーチという珍しい橋だ。ヒンジとは蝶つがいのことでアーチの3ヶ所に蝶つがいがある。図のようになっており、もし片方の岸が低くなってもヒンジが働いてアーチが伸びて橋は壊れないという優れものだ。武田のころには工業用水の汲み上げで地盤沈下することが予測されていた。両岸で沈下スピードが違うだろうから図のような状態になる。それを見越して武田は3ヒンジを採用したという。武田らの予想通り両岸で激しい地盤沈下が起こったが銀橋は壊れなかった。武田の読みは当たったのだ。武田の合理主義が銀橋の構造によく表れている。

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2011.06.14、大阪市「桜宮大橋」
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2021年3月 3日 (水)

武田的ディテール(13)銀橋

大阪の銀橋は武田的ディテールにあふれている。忘れないうちに書き留めておくと、まず第1に鉄骨の新しいデザイン、第2にスリーヒンジの構造、第3にレンガタイルの階段室(これは意匠もさりながら花見のコースとしても)、第4に銀橋の名前の由来となった塗料選定、第5に大阪の都市計画橋梁のなかに3つしかないアーチ橋のひとつであること。

まず鉄骨の新しいデザインについて見ておこう。武田は土木系の会合の講演でこれからの橋梁デザインについて語っている(たぶんこれだったと思うー「橋梁の外観」土木学会誌1929年5月)。構造に意匠をかぶせるのではなく構造そのものを意匠とせよ、そう武田は言った。戦後の構造主義的建築を先取りする考え方だが、その事例として武田があげたのがこの桜宮大橋だった(銀橋は通称だ)。この橋は鉄骨むきだしでありながら、それまで見たことのないような力強く美しい曲線で仕上げられていた。まあ見れば分かるがほれぼれするね。武田はやっぱりえらいと思う。

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2011.02.18、大阪市「桜宮大橋」1930年竣工

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2021年3月 2日 (火)

塩屋めぐり(8)左官文字

なかなか見事な左官文字だ。いわゆるコテ絵と呼ばれるもので相当な技量が無ければこうはできない。洋館は塩屋の木造文化の華だが、その仕上げの相当部分を左官職が担ってきた。この看板にそのことに対する自負を感じる。今でもかつての職人技が地域に残っているとよいのだがそこまでは今回の散策では分からなかった。また歩いてみたい。

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2021.02.21、神戸市垂水区塩屋

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2021年3月 1日 (月)

塩屋めぐり(7)塩屋4丁目の洋館

もとはいわゆるドイツ壁と呼ばれるモルタル書き落とし仕上げだったのではないか。大正から昭和初期のものに見える。外装とサッシュは新しくなっているがほぼ旧状を保っている。屋根も吹き替えられており洋館らしさを残しながら大切にお使いになっているのがよく分かる。

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2021.02.21、神戸市垂水区塩屋

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