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2021年2月

2021年2月28日 (日)

塩屋めぐり(6)塩屋4丁目の細い家

ここは道路を拡幅したときに農地が売却されて宅地になったのだろう。変形プランでありながら無理のない構造となっているのがすごい。相当の技量であるのは間違いない。昨日ご紹介した(5)は昭和初期から戦後直後のものに見えるが、これは少し遅れて高度成長期のものだろう。昭和初期から高度成長期まで木造文化の黄金期は続いていたことが分かる。

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2021.02.21、神戸市垂水区塩屋

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2021年2月27日 (土)

塩屋めぐり(5)塩屋町9丁目の細い家

これも三角形平面の家だ。敷地に合わせるとこうなる。こうした多角形平面は木造技術の高さを示す。今回歩いてみてもっとも驚いたのはこの木造技術の高さだった。なぜ塩屋の木造技術が高いのだろうか。わたしの知っている同じような町はふたつ。ひとつは隠岐の島でもうひとつは尾道だ。この2地域に共通するのは江戸期から造船技術が備わっていたこと。造船と建築は現在では別業種だが根は同じなのかも知れない。

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2021.02.21、神戸市垂水区塩屋

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2021年2月26日 (金)

,塩屋めぐり(4)塩屋町9丁目の三角アパート

棟が8本に分かれており奥へいくほど建物の幅が狭くなっている。平面が三角形に近い台形になのだ。たいへんな手間をかけて敷地いっぱいに建てたのだろう。実際にどのような平面なのか興味深い。

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2021.02.21、神戸市垂水区塩屋

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グーグルマップより

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2021年2月25日 (木)

塩屋めぐり(3)塩屋4丁目の洋館

これは電車からもよく見える。オーナーが大事に修理しながらお使いになっていると 聞いた。なかなか見どころのある洋館だ。見た感じでは大正8年ころに見えるがもっと新しいのかも知れない。

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2021.02.21、神戸市垂水区塩屋

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2021年2月23日 (火)

塩屋めぐり(2)旧ジェームズ邸

初めて見た。いまは結婚式場として使われている。レストランがランチ営業しているらしい。これはぜひ中へ入りたいものだ。まいまい京都でツアーでも組むか。竹中工務店設計施工、1934年竣工。この塔が塩屋のあちこちから見える。住宅地開発の中心にこの塔があるのかもしれない。

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2021.02.21、神戸市垂水区塩屋6丁目

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塩屋めぐり(1)塩屋6丁目の洋館

塩屋を初めて歩いた。いくつか洋館があったのでメモしておく。これはジェームズ館に至るまでにあったので塩屋6丁目あたりかと思うが判然としない。見たところヴォーリズかアメリカ屋のようないでたちである。昭和5年ころか。海の見えるバルコニーが気持ちよさそうだ。きれいに修理されていて愛されていることがよく分かる。

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2021.02.21、神戸市垂水区塩屋

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2021年2月21日 (日)

旧グッゲンハイム邸で開かれた「塩屋と映画」に参加した

午前中は塩屋(神戸市)歩き。坂道ばかりの町を40名ほどでそぞろ歩いた。映画やCMのロケ地が随所にあっておもしろかった。塩屋は確かに映画になる町だと思う。

午後は実際の映画やCMに出てくる塩屋のワンカットを見せてくれた。そのあとの「架空の映画ロケ地アワード」もおもしろかった。ロケ地案がいずれもマニアックなのが私的にはよかった。

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2021.02.21、塩屋(兵庫県垂水区)歩きのあと旧グッゲンハイム邸に集合

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2021年2月20日 (土)

大覚寺の心経宝塔を描いた

多宝塔があると描きたくなる。ここは高い基壇の上にそびえているので描きやすい。線描き11分、色塗り12分だった。描くのが早くなったような気がする。ペンは使っていたピグマの0.5がかすれてきたので新しく買ったコピックの0.3を使っている。細めの線がおもしろい。

古い塔かと思ったが帰って調べると昭和42年築らしい。木造だとばかり思っていたが鉄筋コンクリート造だそうだ。伸びやかな美しい塔なので設計者が知りたい。

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2020.02.20/ヴァフアール紙粗目F3 、グラフィックペン0.3、固形透明水彩 /大覚寺心経宝塔

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2021年2月19日 (金)

平城宮にはなぜ大極殿がふたつあるのか

写真は復元された第1次大極殿で、この東隣にほぼ同じ規模の第2次大極殿がある。平城宮発掘当初は第1次の次に第2次ができたと考えられていたが発掘が進むにつれて同時にふたつあったことが分かった。それなら第1次、第2次の名称を変更すべきだ。

歴史学者の今泉隆雄は「平城京大極殿朝堂再論」(1993年所)で西側の大極殿は平安宮の豊楽殿のような儀典用施設だとした。わたしはそのとおりだと思う。ふたつの大極殿は何度も建て替わりながら常にふたつある状態は崩れなかった。つまり宮は大極殿と豊楽殿とがセットであることに意味があると考えるのが自然だろう。

大極殿には陰陽のふたつがあると説明すれば分かりやすいかもしれない。陰気の領域である西側にあるのが儀典用の陰の大極殿、陽気の領域である東側にあるのが政り事を行う陽の大極殿だ。古代の統治スタイルは卑弥呼に見るように鬼術を用いて神事を行う大巫(おおふ)と政治を行う弟王のセットになっているのが特徴だ。琉球の聞得大君と琉球王のセットもそれと同じだろう。

聖徳太子と推古天皇のセットはこの古代の統治スタイルをなぞったものだ。平城京を造営した元明天皇と皇太子の首皇子(聖武天皇)のセットは聖徳太子をなぞっているのは明らかだ。逆に言えば元明ー聖武のセットになぞらえて藤原不比等が聖徳太子伝説を再調整したのだろう。法隆寺が遷都と同時に再整備されたのも偶然ではないとわたしは考えている。

おそらく則天武后(在位690‐705)の即位に力を得て、日本の古代の統治スタイルに合わせた律令体制を作ろうと不比等は考えたのだろう。そのことは仏教を用いた日本の宗教再編の一環であったと私は思うがそれは別の話になる。とりあえずここでは大極殿がふたつある謎について確認しておいた。

参照 朝堂院研究(7)http://www.tukitanu.net/2016/08/post-729e.html

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2021.02.17、平城宮

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2021年2月17日 (水)

武田的ディテール(12)噴水

大正天皇の即位式に合わせて東本願寺門前広場が改造された。その緑地に武田は街灯と噴水をデザインした。どこが武田的かと言えば噴水の縁がちょうどよいベンチになっていることだ。武田は記念碑を作ってもそこがポケットパークとなるようデザインする。都市散策を楽しくするためだ。その精神はこの噴水にもよく表れている。

ちなみにこの噴水は戦時中に金属供出されたようで、これは2代目である。ハスの形の噴水はありそうでない。それを思いつく時点で武田らしい。

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2011.04.25、京都市東本願寺門前

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2021年2月16日 (火)

武田的ディテール(11)タイル

このビルでは柱型には平タイルを貼り、壁部分には写真のような型タイルを貼っている。「く」の字型に型が入っており日に当たって影が落ちる。影が入るので遠目にみれば少し暗めに見える。平タイルのほうが光っているので柱型が浮き上がって見える仕掛けなのだ。これは本当によく考えられた意匠でいかにも武田の考えそうなディテールだ。とくにラインが上と左にしかないところが武田らしい。普通なら正方形の二重の型にするところだが、正方形だと下ラインには影は落ちない。どうせ落ちないのなら不要だろう。そう考えた武田がさしがねを陶土に押し当てて瞬時に作ったのがこのタイルなのではないか。わたしはそう思う。

ちなみに武田は1938年の2月に亡くなっているのでこのビルの竣工を見ていない。遺作のひとつである。

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2011.04.25、関電京都支店(旧京都電灯本社)1938

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2021年2月14日 (日)

JR東海道線の梅田新道ガード下がかっこいい

ここはいつ見てもいい。梅田新道の上を渡る東海道線の鉄橋の橋脚なのだが、歩道部分がこのような回廊になっていてマッシブなコンクリートが美しい。とくに梅田新道が東海道線を斜めに横切るので、それに合わせて柱が菱形断面になっているところがすごい。こうした斜めの橋は躍動感あふれるものになることが多い。

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2021.02.14、大阪市梅田

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2021年2月13日 (土)

塩屋駅のプラットフォー上屋がとてもいい

初めて塩屋駅で降りた。降りたとたんに素晴らしい鉄骨に目が釘付けだ。先細りの柱から曲線を描いて梁につながるラインが滑らかで美しい。昭和初期の鉄骨の美はもっと評価されてよい。ちなみに柱と梁のつなぎ目にある半円形の意匠は他所でも見た気がするがいったい何を示すものなのだろうか。

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2021.02.11、神戸市JR塩屋駅

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2021年2月12日 (金)

武田的ディテール(10)記念碑

記念碑は建築家の仕事だった。武田も数多くの記念碑を残している。とくに教鞭をとった京大構内にはいくつもある。この銅像台座はなかば樹木に埋もれていて見つけにくい。ブロンズ製の胸像は腕組みしか見えない。これを探し当てたのは武田追っかけのK氏だった。教えられて行ってみると、なるほど武田的ディテールが見て取れる。

ひとつは記念碑に小さな前庭があることだ。武田は記念碑をポケットパークとして設計することが多い。ここもその事例のひとつである。もうひとつは銅像台座の左右を支える扇型部分がリボン状に縁どりされてりことだ。(1)で紹介したジェームズ館のまぐさ石のリボン彫りに通じる処理だ。リボン状に縁どることで輪郭がぼやけて優しいシルエットを獲得している。なかなかおもしろい。

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2016.04.20、京大医学部構内「故鈴木教授銅像台座」1921年
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2011.05.24

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2021年2月11日 (木)

旧グッゲンハイム邸を描いた

バルコニーを巡らせた異人館スタイルだ。手すりの模様が東天閣(旧ビショップ邸)に似ていると思った。ほとんどの建具が引き戸なのがおもしろい。線描き20分、色塗り15分。

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2021.02.11/ヴァフアール紙粗目F3 、グラフィックペン0.1、固形透明水彩/神戸市垂水区塩屋「旧グッゲンハイム邸」

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2021年2月10日 (水)

武田的ディテール(9)家具


とてもかわいい。シンプルでドッシリしていて座り心地がよさそうだ。丁寧に使い込まれた親しみやすさがある。ひょっとすると栄光館より古いイスかもしれない。でも武田っぽいディテールがある。

 

ひとつは同志社のマークに通じる三ツ輪の透かし彫りがあること。武田の家具にはなんらかのマークを浮き彫りにしたり透かし彫りにすることが多い。そういうものを入れたくなるのだろう。

 

もうひとつは方眼紙で考えているように見えるところだ。しかも背の大きさは4対6になっている。2対3の比率は武田の多用するところでもある。だからこの家具は武田のデザインだとわたしは思う。

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2020.12.09、同志社女子大「栄光館」

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2015.10.21、同志社女子大「栄光館」
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2021年2月 9日 (火)

ゴシック模型を作った

ミステリーの現場となるようなゴシック館を考えていた。華麗なゴシック天井を再現したいがその力量がないので今後の課題としておく。もしミステリー作家の方でゴシック館が御所望の場合はご連絡ください。あなたのゴシック館を設計します。

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Img_9147_20210209093401 2020.11‐12月作成

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