2020年9月13日 (日)

旧四条大橋の残骸を発見した

たまたま下を通って見つけた。今の橋のかかる前の四条大橋の残骸だった。

手前のラインの入った丸い部分は橋脚の飾りの一部で、その右側にアーチの根本が切断されたまま残っている。

鉄筋が飛び出したままになっている。コンクリートに残された鉄筋の跡を見ると異形鉄筋だった。異形鉄筋は戦後のものと漠然と思っていたがこのころから使われていたわけだ。

松村博「京の橋ものがたり」京都文庫1994によれば旧四条大橋の概要は次のとおり。

明治45年市電の仮使用開始、大正2年竣工、柴田畔作設計、森山松之助・山口孝吉意匠設計
スパン50フィート(15.2m)、ライズ5フィート(1.5m)のコンクリートアーチ4連、1橋脚あたり250本の松杭(末口20㎝)
昭和9年・10年の鴨川洪水で流木がアーチにひっかかりダムのようになり周辺地域が水没する。
昭和15-17年架け替え工事。

わりと知らないことが多い。今の橋は戦後のものだと思っていたが、戦後なのは橋上のデザインだけのようだ。それから橋の下に川鳥の休んでいる棒杭の群れがあるが、あれが旧四条大橋の松杭だったわけだ。末口(細いほう)で20センチとあるからぴったりだ。

アーチはものすごく薄い。スパンとはかけ渡しの距離のこと、ライズとはアーチの高さのこと。50フィートで5フィートだから10対1だ。これは現存する七条大橋と同じアーチだそうだ。すでにアーチと呼べるかどうかの限界にある。

なぜそこまでしたかというと橋上にアーチを出して眺望を妨げたくなかったからだ。つまり風致上の要請による。この薄いアーチが旧四条大橋の最大の特徴であり、そのために流木がひっかかりやすくなったという最大の弱点でもあった。

昭和9年・10年の洪水では鴨川流域の広い範囲が水没したが、とくに先斗町や宮川町などの四条大橋周辺の花街が浸水したことが衝撃だったようで直後に架け替えの話が出ている。工期が伸びたのは戦時体制のせいだと思うが、それでも昭和17年(1942年)には完工している。大正2年(1913年)からわずか29年の命だった。

なぜこの部分だけ残っているのか。それは現在の鉄桁が旧大橋の旧大橋のアーチの根本に載っていることから分かる。現在の橋は東端に関しては旧コンクリートアーチ橋の橋脚を再利用しているのだ。

まあたしかにこれを撤去するとなると相応の労力が必要だし、橋の荷重はそれほど違わないだろうからそのまま使うほうが合理的だろう。反対側の橋脚がどうなっているのかは分からない。また今度見てくる。

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2020.09.12、京都市東山区、四条大橋下

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