2020年9月11日 (金)

一休寺を参詣して考えたこと

一休寺を参詣した。知らないことばかりだったのでメモしておく。

本堂は永享年間(1429-1441)の竣工だそうだ。ものすごく古い。軒回りが賑やかで派手だ。外から挿し込まれた尾垂木が内部で雲肘木のような派手な姿に変わるのがおもしろかった。

一休禅師がこの寺を再興したのは康正年間(1455‐1456)だそうなので本堂竣工それより少し古い。このズレの説明はなかった。一休禅師は亡くなる1481年までこの寺で暮らした。大徳寺住職となってもここから通ったという。それだけこの地に愛着があったということだろう。

一休禅師の墓所があってそれに面して方丈の庭が作られていた。その庭もおもしろかった。

庭は左手に墓所が眺められ、それと対置するように大ソテツが植えられていた。わたしの解釈ではこの大ソテツが一休禅師なのだろう。その前におはぎのような丸い大きな刈込があって、それは船か牛車の牛をかたどっているように見えた。今も一休禅師は乗り物で地上を行き来しているというわけだろう。

方丈には一休禅師の木像が祀られていて、その髪と髭は自身のものを使ったという。もしそれが本当ならば、それは木像というより本人の成り代わりだ。

庭の背後は甘南備山に続いていく。まだツクツクボウシがたくさん鳴いて往く夏を惜しんでいた。

甘南備山は平安京の南方の守護として知られている。一休禅師がこの寺を離れなかったのは、甘南備山を護ることで都の平安と国家鎮護を祈るためだったのではないか。

そう考えると一休禅師は世間で言われているような偏屈な世捨て人のイメージとは違った人物として浮かび上がってくる。

ちなみに墓所には金春家の墓もあった。この地は能楽の盛んな場所としても知られているらしい。なかなか楽しい中世だったのではなかったろうか。

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鎌倉時代の本堂

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2020.09.10、京都府京田辺市

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