2020年4月20日 (月)

【祖山信仰と陰陽論12】前方後円墳と用水の関係

いげのやま古墳は恵解山と書く。「いげやま」「えげやま」という地名は各地にある。「いける」には埋めるという意味がある。この古墳からは大量の鉄器が出土した。鉄を埋めて「金生水」の相生の関係を発動させようとしたのではないか。いげのやまは金気をいける山という意味なのかも知れない。

では前方後円墳と水路との関係を見ておきたい。
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右下の大きな流れが桂川だ。そこへいくつかの支流が流れ込んでいる。右側が犬川、左側を小泉川という。西山連山から降りてきた地脈は桂川に面してふたつに分かれる。右側が長岡で左側が友岡だ。いげのやま古墳は友岡の先端B2にある。

友岡西側の小泉川上流のA地点で取水した用水は友岡の尾根を流れてB地点で犬川に放水される。Aには走田神社、Bにはいげのやま古墳がある。ABふたつの祭祀場は用水の鎮守として配置されたのだろう。友岡周辺の開発は5世紀前半に行われたともいえる。

おもしろいのはこの用水が長岡京の工事が始まったときにはすでにあったことが分かることだ。地図に長岡京の条坊復元を記入しておいたが、いげのやま古墳の手前、西一坊大路と西二坊大路のあいだは街路割にきれいにそろっている。つまり長岡京の工事が始まったときこの用水はすでにあって、その流路を条坊に合わせたからこうなったわけだ。

さらにおもしろいのは西二坊大路より西側の流路は元のままだということだ。これは西二坊大路より西側の条坊が存在しなかった証拠ではないかとわたしは思っている。これはまた別の機会に考えたい。

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