2020年4月
2020年4月30日 (木)
2020年4月29日 (水)
【タイル大好き 04】村野藤吾の関大タイルの裏貼り
これは裏貼りだと思う。上と左右に足が出ている。タイルはモルタルを使って貼り付けるのだが、足があるとそれがひっかかりになってよく張り付く。足が下にないのは下側は引っ掛かりとは関係がないし、むしろ下側の目地にモルタルが行きわたって安定するからだろう。
村野の師匠は渡辺節だが、渡辺は綿業会館でこれをやった。安上がりというよりも廃品利用の意味のほうが強い。関大タイルのように混ぜ貼りをするなら現場にタイルを多めに入れねばならないし当然余りも多い。こうやって裏貼りして塗装すれば表面の色目は関係なく使える。余ったものを捨てずに現場で使いきる。ここには人の手で作り出されたものへのリスペクトがある。中世主義者村野の面目躍如であろう。
2016.10.4、関大
2020年4月28日 (火)
【タイル大好き 03】村野藤吾の関大タイル
関大の千里山キャンパスは高度成長期に村野藤吾ワールドと化しつつあった。あのまま村野色を維持すればたいそうおもしろいことになっていたろう。現在は村野設計の校舎が次々と建て替わり見る影もない。とはいいながらそこかしこに村野ワールドの断片が散らばる。それを探し歩くのもまた楽しい。このタイルはそんな断片のひとつである。
白色の釉薬タイルなのだが、表面が見たことのないような変化をしている。ちょうどショウガ風味の瓦せんべいのようだ。ほかにほとんど釉薬の残っていないものもある。そうした異なる素材感のものを混ぜ貼りにして独特の奥深い表情を獲得している。あじわい深いぞ。
2019.11.26、関西大学千里山キャンパス
2020年4月27日 (月)
ユーチューブでスケッチ配信をした
ユーチューブでスケッチ配信した。部屋でカンパリを描いた。週に1回のペースでアップしていきたい。
20200427静物スケッチ実演(24:48) https://youtu.be/ih8BbeSD0lc
2020年4月26日 (日)
2020年4月25日 (土)
2020年4月24日 (金)
2020年4月23日 (木)
スケッチ配信したい
建築学校の授業を限定公開のユーチューブで始めた。きょう2本目を配信した。7分×3本の配信を作るのに半日かかる。まだ機器に慣れていないからだ。でもおもしろいので公開用のスケッチ配信をしたいと思っている。
2020年4月22日 (水)
2020年4月21日 (火)
ウイルスは生き物ではない
ウイルスは生き物でないと聞いた。ほんとだろうか。ウイルスはタンパク質の殻のなかにDNAが入っただけのもので、エネルギーを作り出す機能も細胞膜もないそうだ。まあ言ってみれば細胞のなかの細胞核だけを取り出したようなものだ。だから生き物というより生き物の部品といったほうがよいらしい。
ウイルスは人の細胞に寄生すると細胞を乗っ取って自分と同じものをコピーし始める。乗っ取られた細胞の表面から泡のように次々とウイルスを噴き出すらしい。どうやってコピーするのか、どうやって外へ出るのか、分からないことが多い。そもそもウイルスが生き物でないとしてそれはいったい何なのか。それも今もって謎だそうだ。
ウイルスは19世紀末に発見された。しかし電子顕微鏡でないと見えないほど小さいため研究は進まず進展をみせたのは1950年代以降だそうだ。ウイルスには有用な働きをするものがあることが分かり始めたのは最近のことらしい。もっとも知られているのは母体内で胎児を免疫からまもるウイルスだ。母体と胎児を結ぶ血管にリンパ球を通さない膜がありこれをウイルスが作っているそうだ。この機構は2000年に発見されウイルスが人と共存していることが分かった。
書評「ウイルスと地球生命、知られざるウイルスの役割」https://honz.jp/articles/-/11768
ワクチンは血中に抗体をつくるものだ。免疫とは抗体によってウイルスの増殖を抑える働きだ。ワクチンはウイルスと細菌の両方に効く。アビガンもワクチンで、これを飲むと血中にインフルエンザウイルス用の抗体ができる。これが新型コロナもキャッチするらしい。新型コロナウイルスとインフルエンザウイルスは似ているのだろう。アビガンは妊婦には使えないというのは母体の有用ウイルスもキャッチするからかもしれない。
人はウイルスなしでは生きられない。人類の最初期から人体はウイルスと共存していたはずだからウイルスはなんらかの目的のために人体が生み出したものなのだろう。ウイルスがなぜあるのか、なにをしているのか、なぜ種を超えて感染するのか。そうしたこともいずれ分かるときがくるのだろうか。
2020年4月20日 (月)
【祖山信仰と陰陽論12】前方後円墳と用水の関係
いげのやま古墳は恵解山と書く。「いげやま」「えげやま」という地名は各地にある。「いける」には埋めるという意味がある。この古墳からは大量の鉄器が出土した。鉄を埋めて「金生水」の相生の関係を発動させようとしたのではないか。いげのやまは金気をいける山という意味なのかも知れない。
では前方後円墳と水路との関係を見ておきたい。
右下の大きな流れが桂川だ。そこへいくつかの支流が流れ込んでいる。右側が犬川、左側を小泉川という。西山連山から降りてきた地脈は桂川に面してふたつに分かれる。右側が長岡で左側が友岡だ。いげのやま古墳は友岡の先端B2にある。
友岡西側の小泉川上流のA地点で取水した用水は友岡の尾根を流れてB地点で犬川に放水される。Aには走田神社、Bにはいげのやま古墳がある。ABふたつの祭祀場は用水の鎮守として配置されたのだろう。友岡周辺の開発は5世紀前半に行われたともいえる。
おもしろいのはこの用水が長岡京の工事が始まったときにはすでにあったことが分かることだ。地図に長岡京の条坊復元を記入しておいたが、いげのやま古墳の手前、西一坊大路と西二坊大路のあいだは街路割にきれいにそろっている。つまり長岡京の工事が始まったときこの用水はすでにあって、その流路を条坊に合わせたからこうなったわけだ。
さらにおもしろいのは西二坊大路より西側の流路は元のままだということだ。これは西二坊大路より西側の条坊が存在しなかった証拠ではないかとわたしは思っている。これはまた別の機会に考えたい。
2020年4月19日 (日)
【祖山信仰と陰陽論11】おとくに最大の古墳の謎
乙訓(おとくに)地方最大の古墳がJR長岡京駅の南にある。細川氏の居城・勝龍寺城のすぐ近くで天王山の戦いのおりに光秀の本陣があったと言われている。わたしはこの古墳を見ていて前方後円墳と水利施設との関係に気づいた。そのことをメモしておく。
いげのやま古墳の祖山はアタゴ山でよいだろう。アタゴ山からの地脈は嵐山でふたつに分かれる。ひとつは先にみた西山丘陵で先端に向日神社がある。もうひとつは南側の西山連山につながり、そこから支脈のひとつに流れる。いげのやま古墳はその先端のほぼ平地になったところにある。この古墳は他の西山丘陵の前方後円墳と同じくアタゴ山を祖山とする氏族によって造られたのだろう。
アタゴ山は京都盆地において比叡山とならぶ高い山で盆地の各地から見える。嵐山には秦氏の氏神である松尾大社があるが、これも前方後円墳にこめられた水への祈りを引き継いだものなのだろう。乙訓地方をふくむ桂川流域は秦氏が開墾したとされている。アタゴ山を祖山とする氏族とは秦氏のことだろう。
さて、いげのやま古墳は水利施設とどのようにかかわっているのか。これは次回に。
2020年4月18日 (土)
2020年4月17日 (金)
【祖山信仰と陰陽論10】円筒ハニワの意味
前方後円墳の特徴の3つ目、墳墓をハニワが囲んでいることについてメモしておきたい。
前方後円墳の復元図を見るといずれも円筒ハニワが墳丘を取り囲んでいる。ハニワと言えば人型、馬型、家型、そのほか器物型と形象埴輪を思い浮かべがちだが、絶対的多数は円筒ハニワなのである。円筒ハニワとはいったい何なのか。
円筒ハニワは土留めのようなものと思われているがそうではない。墳丘斜面の途中に狭い通路のような場所があり、そこに円筒ハニワは並べられている(前回参照)。前方後円墳は普通3段になっているがそれはこの通路部分があるからだ。逆に言えば前方後円墳はハニワを並べるためにわざわざ3段に造られている。なぜそれほど円筒ハニワが大事なのか。
ハニワという言葉は日本書紀の垂仁帝記に出てくる。殉葬の悪弊を取り除くために野見宿祢(のみのすくね)の進言に従って人型馬型の土器を埋めたという。それを埴輪、立物といったと書いてある。これは日本書紀編纂期にハニワという言葉があった証拠である。ではハニワとはなにか。
わたしは言葉の意味通りだろうと思う。ハニとは土のことだ。ワは輪だ。つまり土ものを輪に配置するものという意味だ。ハニワは人型馬型でなく円筒埴輪そのものを指す言葉だろう。
ハニワは土気で金気の陵墓を囲むものだ。これにはどういう意味があるのか。前方後円墳は金気が水気を生む装置だと前回述べた。金気が身水気を生むためには土気の作用、つまち土用が必要となる。わたしはハニワこそこ土用だと考えている。墳墓を石張りとして金気とし、そこへハニワの土気で囲むことで金気の発動を促している。そうすることで「金生水」の形式が整い水利施設は水田に滞りなく水気を送ることができる。
大王はそのめに開墾をしながら自分のための墓を用意した。それは自身の身体が最強の土気であると分かっていたからだろう。陰陽論においてはひとは陽気である魂と陰気である魄(はく)でできている。死ぬと魂は天にかえり魄は大地に帰る。大地は最強の土気だ。したがって死体は最強の土気だと考えられた。しかも大王のものである。一般人よりも強い土用があると考えられたのではないだろうか。
わたしは円筒ハニワは前方後円墳の「金生水」の機能を補強するための呪具であると思う。
2020年4月16日 (木)
【祖山信仰と陰陽論9】前方後円墳の構造
前方後円墳は次のようなかたちをしている。特徴は3つだ。
1.円墳と方墳を繋ぐ。
2.表面に石を貼る。
3.埴輪(はにわ)で囲む。
このかたちにはどのような意味があるのか。
1.天円地方を示す
今まで述べてきたように天地を示すと考えるのが自然だろう。これは民俗学の分野から沖縄の亀甲墓との類似から指摘されている。前方後円墳から亀甲墓が生まれたとするのではない。アジアの墓制の基本に陰陽五行論があり、あるときは前方後円墳、あるときは亀甲墓となったわけだ。陰陽五行論は遅くとも紀元前5世紀には成立していたから、墓制と無関係とするほうがおかしい。
わたしは天神と地神を祀る場所としてこのかたちが生まれたと考えている。それは二上山や比叡山、そして生駒山などピークがふたつある山での祭祀を反映させたものだったろう。天神が金気であり地神が土気だとすれば、土気の作用(土用)によって生まれるのは水気だ。前方後円墳が水利施設の一部であるのはこのためだ。
2.石の山は水を生む
葺石(ふきいし)を貼ったのが当初のかたちだ。もっとツルっとしてピカッとしていたわけだ。その点エジプトのピラミッドにイメージは近い。ピラミッドはチグリス・ユーフラテスあたりのアッシリア文明が発祥とされる。ジグラッドと呼ばれる小振りな方墳だが、そのかたちは氏族のやってきた山岳地方の神聖な山を示すとされる。それがエジプトへ移民と同時に持ち込まれピラミッドとなった。墳墓のかたちは神聖な山を示すというのが興味深い。前方後円墳も同じことだと思う。
石は五行説では金気だ。石を全体に貼ることで古墳は金気となる。金気は土用によって水気を生みだす。古墳で天神地神を祀ることで豊富な水を得て水利施設を潤そうとしたのだろう。前方後円墳は重要な祭祀場として水利施設の一部だったとわたしは考えている。
そのことはハニワを見ればよく分かる。長くなったので次回に。
(つづく)
2020年4月15日 (水)
【祖山信仰と陰陽論8】前方後円墳と水利施設との関係
向日丘陵の前方後円墳の配置は水利施設と一致している。遺跡地図に書き込むとこうなる。
3グループに分かれていてそれぞれ水利施設と対応している。Aグループは弁天池の上にある。弁天池から水路は途中で物集女車塚古墳のよこを通る。この古墳もAグループとしてよい。Bグループはハリ湖池の上にある。Cグループは向日神社の境内地にあるが小畑川の井堰Dと対応する。
小畑川は中世にE地点から現在の流路に変更された。もともとは点線の流路をたどっていた。そのとき水路が整理されたようでわかりにくくなっているが、井堰(いせき)Dから出ている2本の水路のうち南側はもとの小畑川の河岸であり北側のものが古い水路なのだろう。この水路は途中でC地点から流れる水路と合流する。Cは向日丘陵の先端で、おそらくそこに湧水地があったのだろう。井堰はその水量を補完するためにあとから付け加えられたものだと思う。
いずれにしても前方後円墳が水利施設のそばにあることが分かる。これは水利施設を造成したときに出る土砂で前方後円墳を造ったことを示す。そして水路を拡張するたびに前方後円墳が付け加えられたのだろう。前回、古墳は初期の庭園だと述べた。庭園は気の出入りする龍穴を調整するものだ。龍穴は泉であることが多い。AもBもCも泉である。これを前方後円墳によって庭園化し調整しようとしたのだろう。そうすることで祖先の霊力と豊富な水とを護ろうとした。前方後円墳は墓というよりも水利施設の鎮守であるようにみえる。
おもしろいのは前方後円墳の役割がその後社寺に移ったらしいことだ。Aには水の守護である弁財天が祀られた。Bには宝菩提院があった。Cには向日神社がある。祖先霊と湧水をまもるための祈りは前方後円墳からこうした社寺に受け継がれてきたのである。
2020年4月14日 (火)
【祖山信仰と陰陽論7】地脈と前方後円墳の向き
わたしの住む向日(むこう)市の古墳群で前方後円墳と地脈との関係をみておきたい。
大きい順から8つをとりあげた。遺跡地図によれば8つのうち4つは消滅している。
古墳名 | 推定年代 | 祖山 | |
1 | 妙見山古墳(現在消滅) | 古墳時代前期 | 嵐山ー愛宕山 |
2 | 元稲荷古墳(前方後方墳) | 3世紀後半 | (嵐山ー愛宕山)? |
3 | 寺戸大塚古墳 | 4世紀 | 嵐山ー愛宕山 |
4 | 五塚原古墳 | 3世紀中後期ー4世紀前半 | 不明 |
5 | 北山古墳(現在消滅) | 古墳時代前期 | ポンポン山 |
6 | 芝山古墳(現在消滅) | 不明 | |
7 | 芝山2号墳(現在消滅) | 嵐山ー愛宕山 | |
8 | 物集女車塚古墳 | 6世紀 | ポンポン山 |
1、3、7番の3つは嵐山を向いている。この地方で現存最大級の元稲荷古墳は少し方角が違う。わたしはこれも嵐山向きと考えてよいと思う。ここは向日神社の境内地だが、そこの尾根の向きと元稲荷古墳の向きはほぼ同じだ。古墳の向きは地形に合わせたとする説は尾根上の古墳群については当てはまるとわたしは思う。その点でいえば北向きの4、6番も尾根沿いであり、結果として嵐山を向いていると考えてよいだろう。
向日丘陵は南南東から北北西へほぼ一直線に起伏を連ね、やがて嵐山へ至る。そこはオオヤマクイを祀る松尾大社の聖地だ。そこから山脈は愛宕山へつながる。風水的には山脈は気の流れる地脈(龍脈)と考えられている。先祖が山に帰るという縄文風の死生観は山脈が気の通り道だとする風水的な世界観に受け継がれているように私は思う。
前方後円墳は地脈に沿って造られている。地脈の先には気の出入り口であり先祖の帰る場所である祖山がそびえる。逆にいえば祖山から地下を流れてきた豊富な気は前方後円墳から噴き上がると考えられたのだろう。気の出入り口は龍穴とも呼ぶが、その穴は泉となっていることが多い。そうした龍穴は後世では庭園として整備されることが多かった。庭園が龍穴を調整すると考えられたからだ。
古墳は古墳時代の庭園だったとわたしは思う。古墳を築くことで龍穴を調整しあふれ出る気を受けとって大地の生命活動を活性化させようとしたのだろう。これが古墳と地脈との関係である。
2020年4月13日 (月)
【祖山信仰と陰陽論6】仁徳天皇陵古墳の祖山は比叡山か
百舌鳥古墳群の大きい順に6つの前方後円墳の向きを調べてみた。おもしろいのは古墳群最大の仁徳天皇陵古墳とその南の履中天皇陵古墳とが比叡山を向いていることだ。このふたつの古墳は海沿いぎりぎりの海岸段丘上に造られている。実は先にみた古市古墳群のある藤井寺からは交野丘陵にさえぎられて比叡山が見えないのだ。そこから西へ移動し海岸まで来るとちょうど見える。このふたつの古墳が海岸線に造られたのは、なんとか比叡山の見える場所を選んだからなのかもしれない。
なぜ比叡山を向いているのか。仁徳天皇陵を造った氏族は比叡山を祖山としたことになる。祖山は祖先信仰の霊地でありその氏族にとって重要な聖地だ。ならばこの氏族は比叡山周辺から移動してきたのかもしれない。
それぞれの祖山は次のとおり。反正天皇陵古墳は愛宕山を向いているのだが、堺から愛宕山が見えるのかどうか確かめていない。また5番と6番は同じ向きなのだが、その先にピークが見当たらない。ピークに代わるなんらかの聖地を指しているのかも知れない。
古墳名 | 推定年代 | 祖山 | |
1 |
仁徳天皇陵古墳 | 440年頃 | 比叡山(848m) |
2 | 履中天皇陵古墳 | 440年頃 | 比叡山 |
3 | ニサンザイ古墳 | 460年後 | 岩橋山(658m) |
4 | 反正天皇陵古墳 | 440年頃 | 不明(愛宕山?924m) |
5 | 御厨山古墳 | 420年頃 | 不明 |
6 | いたすけ古墳 | 410年頃 | 不明 |
2020年4月12日 (日)
【祖山信仰と陰陽論5】これまでのまとめ
2ヶ月ぶりに連載を再開する。なにを書いていたのか忘れたのでまとめてみた。
1.祖山の構成
二上山のふたつのピークに金気の神と土気の神を配置し雨ごいを行ったのではないか。
http://www.tukitanu.net/2020/02/post-d9ffff.html
2.祖山の構成
比叡山のふたつのピークも同様に使われたのではないか。このときはうまく解けなかったがオオヤマクイを金気、オオモノヌシを土気と考えれば二上山と同じ構成になるだろう。
http://www.tukitanu.net/2020/02/post-41083a.html
3.祖山の写しとしての前方後円墳
前方後円墳はこの祖山の構成を写したものだろう。天円地方の考え方から丸い方が天神、四角いほうが地神である。
http://www.tukitanu.net/2020/02/post-81d300.html
4.前方後円墳の向き
前方後円墳は祖山を向いている。四角いほうに立って丸いほうを眺めれば、古墳の先に祖山が見えるのではないかと仮説を立てた。古市古墳群で確かめたところ10大古墳のうち9つまでは二上山や信貴山など特定のピークの方向を向いている。
http://www.tukitanu.net/2020/02/post-81d300.html
引き続き百舌鳥古墳群で確かめようと宣言したところで終わっている。これは地図をいまコピーしたので確かめているところだ。たぶん同じ結果になるだろう。
各氏族特有の祖山があったのだろう。祖山は死ねば帰るところであり、こどもの命は祖山からやってくる。こうした祖先信仰の場所として祖山があり、その写しとして前方後円墳は造られたとするのが今のところの仮設である。
(つづく)
2020年4月11日 (土)
コロナ禍の現状と見通しについてのメモ(4)
まとめ
いま分かっていることはこれくらいだ。まとめると次のとおり。
1.ダイヤモンドプリンセス号の感染率18.7%、感染時の死亡率1%と同程度の状況になるだろう。
2.1918-1920年のスペイン風邪と似ている。感染率41.8%、感染時の死亡率1.69%。
3.ピークは6月半ばから7月下旬、終息は9月はじめから11月半ばとなる可能性がある。
4.半月遅れでアメリカの状況を追いかけているようだ。アメリカの現在を見れば半月後にどうなっているのか推定できるだろう。
あと気づいたことをいくつかメモしておく。
医療崩壊
医療崩壊がいつどこから始まるかはもう推定されているはずだ。普通に考えれば4月末に東京と大阪で同時に始まる。そのときのための野戦病院の確保がすでに始まっているはずだ。自衛隊への災害出動要請はすでに東京で行われた。
社会的隔離とは
アメリカの社会的隔離政策は次のとおり。
1.高齢者は自宅待機する。全員が在宅勤務する。学校は休校し自宅学習する。
2.旅行、買い物、社交的訪問はしない。介護施設や高齢者施設に近づかない。10人以上で集まることやバー、レストラン、フードコート、体育館の利用をしない。人ごみを避ける。
3.同居家族に陽性患者が発生した場合、全員が自宅待機する。
とくにミレニアム世代と呼ばれる若年層が感染しながらも無症状のため歩き回り感染拡大の原因となっていると指摘されている。
人工呼吸器は単なる酸素マスクではない
呼吸困難者のために鼻から管を通して酸素を送る機械のことで酸素マスクとは別物だ。機械の台数と操作できるものの数が限られている。
新薬アビガン
インフルエンザ用の治療薬でコロナにも効くとされている。3月に認可され投与が始まっている。副作用のため妊婦には使えない。
医薬品情報アビガン https://www.kegg.jp/medicus-bin/japic_med?japic_code=00066852
2020年4月10日 (金)
コロナ禍の現状と見通しについてのメモ(3)
4.インフルエンザの流行曲線との類似
感染症サーベイランスシステム、インフルエンザの流行状況2018年第35週現在
https://www.idsi-net.org/flu/flu2017-.html
20週~30週で終息か?
インフルエンザの感染者数グラフは毎年同じようなグラフになる。拡大期からおよそ20週から30週で終息するようだ。各国の終息予測はこのグラフを使っているらしい。アメリカはコロナ終息を7~8月かそれ以降と見通しを立てている。3月なかばに拡大期に入ったのだから20週で8月なかば、30週で11月はじめとなる。日本では早めの終息が予想されていたが3月連休後に東京で感染爆発が起こったので見通しが狂った。まだ次の予想はたっていない。インフルエンザと同じなら9月はじめから11月なかばの終息となるだろう。
ちなみにスペイン風邪は3期にわたって流行したが、いずれも6か月で終息している。24週なのでインフルエンザの標準的な流行と同じだ。新型であっても旧来の感染症と似るのであろう。
5.アメリカの予測
ピークはいつか
大統領は4月なかばがピークと言ったが、それはちょっと早い気がする。コロナがインフルエンザと同じ曲線をたどるならピークは10週~15週目、つまり6月はじめから7月なかばとなるだろう。
BBC、トランプ氏、新型ウイルス拡大は「夏まで続く」2020.03.17
https://www.bbc.com/japanese/51907434
BBC、トランプ氏、新型ウイルス対策の行動制限を延長2020.03.30
https://www.bbc.com/japanese/52087589
アメリカは社会的隔離が成功しても死者が10万から20万になると予測した。
CNN3/30国立アレルギー感染研究所による発表
https://www.cnn.co.jp/usa/35151539.html
ダイヤモンドプリンセスでの感染率18.7%、死亡率1%をアメリカ人口3.2億人に当てはめると感染者5984万人、死亡59万人となる。アメリカの予測が低い理由は分からない。ちなみにスペイン風邪では50万人が亡くなっている。当時の人口は1億人程度だった。日本での感染率41.8%、死亡率1.69%を当てはめると70.6万人の死亡となる。それよりも3割ほど数字が小さいが桁は同じなので統計上の上限と下限の違いなのかも知れない。
(つづく)
2020年4月 9日 (木)
コロナ禍の現状と見通しについてのメモ(2)
あまり需要はないようだが続きを書いておく。
3.インフルエンザの感染率と死亡率
一昨年のインフルエンザは大流行だったらしい。
国立感染症研究所「インフルエンザ2017/18シーズン」
https://www.niid.go.jp/niid/ja/flu-m/flu-iasrtpc/8422-465t.html
厚労所人口動態調査https://www.mhlw.go.jp/toukei/list/81-1.html
感染率17.5%、死亡率0.015%
感染推定者数2249万人、入院患者20584名、死亡3367名(2017.11-2018.6)だった。
日本人口1.28億人として感染率17.5%、感染時の死亡率0.015%
コロナの重症化率は3.7%(インフルエンザ0.09%)
感染率はクルーズ船の18.7%と似ている。違うのは死亡率はコロナのほうが圧倒的に高い。死亡率が高いということは重症化するものが多いということでもある。先のデータによればダイヤモンドプリンセス号の陽性患者696名のうち19名が人工呼吸器の必要な重症患者だとある。これに死亡7名を加えて26名が重症化したわけだ。重症化率は3.7%である。
つづく
2020年4月 8日 (水)
コロナ禍の現状と見通しについてのメモ
ネット上をさまざまな言説が飛び交って落ち着かない。巧妙なデマが含まれているのでたちが悪い。現状と今後の見通しについて分かっていることをメモしておきたい。
1.感染率と死亡率
これはダイヤモンドプリンセス号のデータがもっとも確実だと思う。
新型コロナウイルス感染症の現在の状況と厚生労働省の対応について(令和2年3月11日版)
感染率18.7%、感染時の死亡率1%
2/3に着岸し3/1に全員下船するまで3711名の乗員乗客のうち696名がPCR検査で陽性となり3/10現在で7名が死亡した。PCR検査は誤差が大きいと言われるので696名をそのまま感染者数とするわけにはいかない。しかし誤差は数%から50%までさまざまに言われていて判断しかねる。ダイヤモンドプリンセスでは誤差は無視できると仮定して話を進める。その場合感染率は18.7%、感染時の死亡率は1%となる。
4/8現在死者は11名に増えていているが、この数字は増え続けるだろうからここでは3/10の1%を死亡率と話を進めたい。
2.スペイン風邪との類似
ウイッキに概要がある。出典は内務省の報告書らしい。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』スペイン風邪
感染率41.8%、死亡率1.69%
当時は第1次世界大戦中だった。1918年春にアメリカで発生したスペイン風邪はアメリカ軍のヨーロッパ上陸によって拡大したようだ。日本では1918年10月から1919年3月、1919年12月から1920年3月、1920年12月から1920年3月の3波にわたって流行した。人工5500万人のうち2300万人が感染し39万人が死亡したとされる。感染率41.8%、死亡率1.69%である。
クルーズ船のデータとそれほど離れていない。感染率18.7%、感染時の死亡率1%はそうおかしな数字でもないことが分かる。
長くなったので続きは明日。
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