「ら」抜き言葉と大阪弁
「ら」抜き言葉について気づいたことがあるのでメモしておく。
大阪弁はもともと「ら」抜きだ。「見られない」と「見れへん」、「寝られない」を「寝れへん」、「食べられない」「食べれへん」という(「へん」は「ない」という意味)。いずれも「ら」が抜けている。
島田荘司の「ら抜き言葉殺人事件」が1991年なのでその少し前に「ら抜き言葉」という用語が生まれたのだろう。国語審議会の答申かなにかだったのかも知れない。いずれにしても「ら」抜きは乱れた国語として登場した。それを聞いたころは確かにそれは誤用であり言葉は正しく使うべきだと私も思った。そう思って言いもし書きもしてきた。しかしそれはあくまでオフィシャルな場での共通日本語としてであって、関西人のわたしは日常会話においては無意識にら抜きを使ってきたわけだ。はたして本当にら抜きは乱れた国語なのだろうか。
大阪が都市化した江戸時代前半に各地の言葉が混じりあって大阪弁が成立した。ら抜き言葉はもともとはどこかの方言であったのかも知れないが、そのとき「ら」抜き言葉が大阪弁の重要な要素として取り込まれたのだろう。戦後、関西芸人のテレビ進出によって大阪弁が全国にまき散らされた結果、「ら」抜き言葉が全国規模で蔓延するようになったのだと思う。
ウイッキによれば「ら」抜き言葉を日本語の乱れとする考えには異論があるようだ。異論の理由のひとつはそうした方言があること。ウイッキには中国四国地方とあるが関西弁も含めてけっこう広く使われているのではなかろうか。もうひとつの理由は、たとえば「見られる」と言えば受け身、尊敬、可能の3つの意味にとれるが「見れる」とい言えば可能に限定できることだ。江戸時代の初期には受け身、尊敬、可能から可能が独立する言葉の変化が見られるらしい。だから「ら」抜きは単なる誤用ではなく合理的な言葉の変化と考えたほうがよろしいと異論はいう。
大阪弁は各地の言葉が飛び交うなかで共通語として発達したものだろう。そこに「ら」抜き言葉があるならそれは日本語の乱れというよりも先駆的な共通語の用法と考えたほうがよいのではないかと思う。
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- わけあって禁酒している(2019.03.13)
- 風邪ひきタヌキ(2019.03.12)
- 京都駅には1番ホームがない(2019.03.10)
- ガルバリウム鋼板には不燃認定番号がある(2019.03.08)
- 「カルボナーラ」は炭焼き党のパスタだった(2019.03.07)
コメント