2019年12月 9日 (月)

方広寺鐘銘事件メモ(2)

大仏殿と大仏の罹災状況を年表にしたのでメモしておく。

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大仏殿は第1期と第2期がある。大仏は3つあるのでややこしい。
規模比較もメモしておく。

  高さ 奥行き 建築家
第1期(失火により焼失) 52.4m 93m 58.1m 中井正吉
第2期(落雷により焼失) 45.5m 81.9m 50.05m 中井正清
奈良大仏殿第1期(戦火により焼失) 37.0m 85.8m 50.3m  
奈良大仏殿第2期(戦火により焼失) 第1期の礎石を再利用、高さ不詳 重源
奈良大仏殿第3期(現在) 49.1m 57.5m 50.5m  

第1期の秀吉の大仏殿が日本最大だった。第2期は奈良の現在の大仏殿より幅が広い。中井正清の設計なのでさぞや美しかっただろう。この大仏殿は186年間存在した。

大仏は当初木造漆喰づくり、中井のものが金銅製、その後木造と3期ある。木造漆喰づくりの仏像は珍しい。金銅製にしなかったのはこの仏が木気であることを示したかったからだろう。おそらく色漆喰塗りの華麗なものだったと想像できる。しかしこれは地震で損壊し秀吉を残念がらせた。

秀吉没後の再建は金銅製なので、これは金箔貼りだったろう。金気の仏であるわけだが、木気である洛東の地に巨大な金銅仏を置くのもどうかしている。徳川方の悪意を感じる。これも地震で壊れた。いずれも大仏は損壊しても大仏殿は大きな損傷を受けていない。木造技術の優秀さを証明している。

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