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2019年12月

2019年12月31日 (火)

宝形の家09 木工階段

  親柱が手すりより上に突き出ているのは階段を降りるときつかみやすいためだ。その上端を切子型にしたのは遊びだ。この切子のところが図面だと分かりづらいようで若棟梁の片山君が「これどうなってるんすか?」と何度も聞いてくる。見りゃ分かるやろと思って放置していたら「こうっすか?」と試作品をいくつか作ってきたのには驚いた。驚いたがどの試作品も切子になってない。しょうがないのでパースを描いたらいっぺんに通じて次行ったときにはできあがっていた。この階段は単純なので手間は多いが難しくはないと思っていたが難しい難しいと言っていた。階段は木工としては難しいものなのだから仕方ない。

 ちなみに和紙を貼ったように見える壁はスサ入りの土壁だ。よく見ると表面をタテ方向にコテで擦っている。わたしも言われるまでタテ引きだとは気づかなかった。こうすることで上からの光がタテ引きの表面を伝って下まで降りてくる。全体がふわっと明るくなり独特の柔らかい表情を得ている。これも左官の加藤さんの工夫である。

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 手すり子のいっぱいついている階段をしたかったのでこうなった。
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親柱を切子型にした。角を落とすのを切子という。
本当は立方体の角を切って12面体にするが、
そうすると親柱が弱くなるので上だけにした。
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現場用に作った図面。我ながら分かりやすかろうと思う。
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スサ入りの表面をコテでタテに引きづって表情をつけている。

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2019年12月30日 (月)

宝形の家08 青い漆喰

 応接間は青く着色した漆喰を塗った。濡れているときは鮮やかな紺色だったが乾くにしたがって落ち着いたパステル調ブルーに変わりつつある。これから1年かけて乾いていくそうだ。お施主さんの希望で畳敷きとしたが、それと漆喰壁とに吸音効果があるようで静かな居心地のよい小部屋ができた。お施主さんもいつまでも座ってられると喜んでいた。

 照明取り付け部のおわん型の飾りは左官の加藤正幸さんのオリジナルだ。元からサークル状の飾りをするつもりだったが天井が低いので加藤さんがおわん型に工夫くてくれた。光がふわっと反射しておもしろい。

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まだ乾ききっていない状態。
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塗りたての濡れた壁には独特の美しさがある。
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加藤さん考案のおわん型天井飾り。

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2019年12月29日 (日)

宝形の家07 ほんものの京座敷

 座敷とそれに続く居間はご高齢のご家族のためにほぼ旧状に復元した。壁の聚楽土については先に述べたが、この青みがかったグレーの壁はほんとうにいい。旧状はもうすこしホコリがかぶって白っぽかったが、塗り直すと深みのある表情が戻ってきた。この座敷の出来栄えは左官の加藤正幸さんの功だと言っても過言ではない。

 壁のほかに建具と天井と欄間を復元した。

 天井は屋久杉だったが、やはりホコリで白っぽくなっていた。洗われてると年月を経て濃くなった杉の表情が取り戻されてなかなか美しい。わたしは天井まで復元できるとは思っていなかったが、これは奥田さんがぜひやりましょうと言って実現した。おかげで聚楽壁とあいまって落ち着いた京座敷となった。

 京座敷の良さはもっと見直されてよいと思う。お施主さんはここに座ると前の家のいるようだとおっしゃっていた。とてもうれしい。

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復元した京座敷
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再利用した屋久杉の天井
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再利用した雪見障子
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再利用した宝物柄の欄間 

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2019年12月27日 (金)

宝形の家06 竹の魔法

 奥田さんが竹製品を盛り込みたいと言って京都で有名な竹屋さんの竹平商店の和田淳司さんに引き会わせてくれた。竹屋さんの倉庫は戦前の古いもので迷路のようなワクワクする場所だった。

 そこでいろんな種類の竹と竹製品を見せてもらった。そのなかから天井用としてヨシをスダレ状に編んだシートを選んだ。おかげで味わい深い落ち着いた玄関となった。

 ほかに竹を網代に編んだシートを下駄箱の引き戸に使った。これも聚楽塗りの壁とよく響きあって涼やかな美しさがある。

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天井はヨシを編んだもの。お施主さんの選んだ照明器具ともよく合っている。

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下足入れは竹を網代に編んだシートを貼った。
涼やかでありながら温かみもある質感がとても好ましい。

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2019年12月26日 (木)

宝形の家05 プレカットの神技

 今回は工期の関係でプレカットにせざるを得なかった。プレカットとは柱や梁を機械加工することだ。手刻みだといろんなことができるし精度も上がるが1ヶ月から2ヶ月はかかる。工場加工なら1日だ。しかし金物で柱や梁をつなぐ構造となる。それがだめだというつもりはないが日本建築の本当の強さはやはり手刻みでないと実現できない。

 というわけで今回はできるだけ日本建築の技をプレカットに応用してみた。これはけっこう野心的な取り組みだったと思う。

 応用したのは次の3つ。

1.主要な柱の上下を込み栓で留めた(写真)
  込み栓とはさし込んだ柱を細い木のピンで固定すること。

  そのためには長ホゾを作らねばならない。
  長ホゾとはさし込む部分が長いことだ。
  これができる機械のある加工場は極端に少なくて
  今回は徳島の株式会社KRKカキハラが引き受けてくださった。
  ここは構造計算を担当した関西木材の植森貞友さんが探してくれた。

2.垂れ壁補強をした
  主要な柱のあいだに垂れ壁を設けて柱の頭を固めた。

3.柱の足元を固めるため貫を1本入れた(写真)
  貫とは柱をつなぐ横材のこと。

 わたしはこの3つを提案しただけで具体的な設計は植森さんと奥田さんが相談して考えてくれた。最終的にはカキハラの丸山龍さんが一部を手刻みして実現してくれた。おかげで上棟したときまったく揺れなかったと奥田さんが言っていた。普通ははだかの骨組みだけだと金物で締めるまで少し揺れるのだそうだ。それが今回揺れなかったという。長ホゾ込み栓留めの威力だろう。

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柱を桁(横材)に挿し込んで込み栓で止める。
普通の込み栓は角型だがプレカットなので丸型になっている。
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柱の足元を固める貫。

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2019年12月25日 (水)

宝形の家04 鬼師登場

 宝形屋根のトップを瓦で作ることになった。作ったのは鬼師の美濃邉惠一さん。鬼師とは鬼瓦専門職のことだ。奥田さんが屋根屋さんに相談したところご紹介いただいたのが美濃邉さんだった。わたしは鬼師に初めて会った。 

 鬼師さんのお話はたいへん興味深かった。難しいのはムラなく乾かすことだそうだ。夏場は乾燥が早いのでムラが出やすいらしい。横にしたりひっくりかえしたり布をかけたりして乾燥をコントロールするがそれでもなかなかなうまく乾かないらしい。ムラが残ると焼いているときに割れたりゆがんだりするそうだ。そうやって乾燥に手間暇かけているとは知らなかった。

 ちなみにこの鬼瓦のかたちはお施主さんが「天円地方で下は八卦にしてね」というご要望に沿って決めた。特殊なかたちのためどうしたものかと思っていたが美濃邉さんのおかげでうまく納まった。たいへんありがたい。

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粘土で形を仕上げたところ。ここから2か月間かけて乾燥させる。

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焼きあがって現場に届いた鬼瓦。いぶし銀のテクスチャーが美しい。

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2019年12月23日 (月)

宝形の家03 屋根のハマグリ

 宝形屋根はハマグリになっている。ハマグリとはムクリ(ムクリとは反りの反対語)のついた屋根を横ラインの通る段葺きで仕上げることをいう。見た目が貝のハマグリに似ているのでそういうらしい。わたしはハマグリを知らなかったが奥田さんが教えてくれた。

「えんまんさん、小泉さんに見せたらこれはハマグリやな言うたはりました」
「ハマグリてなに?」

 屋根板金は京錺(かざり)職人の小泉義雄さんのところの若手が仕上げた。段葺きでありながらムクリがついているので隅の材料が3次元的な変な形になるという七面倒くさいことになっている。つまり1枚づつ大きさが違うわけだがそれを丁寧に作ってくださった。しかも炎天下で。おかげですっきりとした屋根ができあがった。かっこいい屋根でうれしい。

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2019年12月22日 (日)

宝形の家02 匂いの復元

 今回、一番驚いたのは匂いの復元だった。

 建て替え前の家が聚楽壁だったので、これも復元しようとなった。聚楽壁とは京都の聚楽第跡、つまり二条城北で採れる良質の土で作った土壁のことだ。おおむね京都周辺でも同様の土が採れるので、そうしたものを聚楽土と呼ぶ。現在ではほとんど採れない貴重な土だ。ここでは青みがかったグレーの土だった。これを新築のさいに復元しようというのである。

 言い出したのは奥田拓司さんと左官の加藤正幸さんで、わたしは土壁の復元とかよく分からないのでフーンと聞いていた。加藤さんは聚楽土をきれいにはがして持ち帰った。そして土を洗ったのである。後でサンプルを見せてもらった(写真)。採取した土には砂やスサが混じっているので、それを洗って聚楽土だけを取り出すのである。最終的には美しいブルーグレーの粉になった。これが聚楽土なのかぁ。わたしは塗る前の聚楽土を見るのも初めてだった。

 すると奥田さんが「匂いが残ってるんですよ」という。なにそれと思って精製された最終段階の聚楽土を嗅いでみるとたしかに匂いが残っている。それは建て替え前の家の匂いだということは私にもわかった。お線香や陽にやけた畳やそのほか生活の匂いの混じったもので、そういえばこんな匂いの家だったなぁと思いだした。

 土壁には調湿効果がある。湿気のほかに匂いも吸着するので匂いが残るというのはあり得る。でもそんなことが実際にあるとは夢にも思わなかった。この土で仕上げたので見た目だけではなく匂いまでも復元された。これが今回一番驚いたことである。

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復元された聚楽壁、青みのあるグレー

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土洗いの過程、左端が採取時、右端が精製後

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2019年12月21日 (土)

宝形の家 01 外観

 「宝形の家」が完成した。完成までの過程をメモしておく。

 宝形(ほうぎょう)屋根とはピラミッド型の屋根のことだ。今回は2階が小さいことから宝形にすればかわいいと思ってこうした。

 この建物の特徴は次の3つだ。

1.建て替えだったのだが
  ご高齢のご家族のためにできるだけ旧状に戻した。
  建具や床の間だけでなく、天井や聚楽壁も元のものを使った。
  もちろん間取りもよく似ている。

2.工期の都合で木材をプレカット(工場加工)としたが
  できるだけ伝統的な工法を応用した。
  これは耐震性をよくするためである。

3.各職人さんたちがいろんな工夫をしてくださった。
  施工は奥田拓司さん(京町家工房)のチームなのだが、
  いつもながらチームワークがよかった。

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2019.11.21

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2019年12月20日 (金)

鏡の国の大阪

 風がなく淀川が鏡のようになっていた。町全体が蜃気楼のように浮遊して見える。とても不思議だ。

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2019.12.19、阪急淀川橋梁より

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2019年12月19日 (木)

自家弁当 191218

 奈良の道の駅で買ってきた干しシイタケが甘く煮含められてうまい。奥のアルミホイルはカボチャと野菜のマヨネーズチーズ焼きだ。野菜の旨みが染みわたっていてうまい。

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2019.12.18、同女講師室にて

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2019年12月18日 (水)

自家弁当 191217

 チーズハンバーグがほどよい塩味でごはんとよく合う。添えられたズッキーニが薄味で味わい深い。筑前煮はシイタケ出汁が全体にしみわたっていてうまかった。

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2019.12.17、関大講師控室にて

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2019年12月17日 (火)

ケルン大聖堂を描いてみた

 前から気になっていたケルン大聖堂を描いてみた。正面の1/5くらいだが1時間半ほどかかった。描いてみると思っていたより整然としているのが分かる。ゴシック建築は石工さんの世代交代が進むにつれて変化していくものだと思っていたが、ことケルン大聖堂に関していえば最初の計画とおりに作られているのだろう。高さが150Mもあり完成まで600年ほどかかっている。それでも当初の計画とおりというのが驚きだ。ぜひ現地でスケッチしてみたい。

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2019.12.16/ワトソン紙A4、0.5シャーペン、透明水彩/ケルン大聖堂

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2019年12月16日 (月)

根来寺の大塔は自由の翼か

 高さが40メートルもあるので木立の上に頭を出しているのが遠くからよく見える。 芝生の境内は少し斜面になっていてそのまんなかにどっしり座る大塔は迫力がある。青空を吹き抜ける風に翼を広げた宝形屋根が気持ちよい。全国へ威勢を張った根来宗の自由な気風をよく表していると思う。見に来てよかった。

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2019.12.15/ワトソン紙はがきサイズ、グラフィックペン0.5、固形透明水彩/和歌山県岩出市根来寺

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2019年12月13日 (金)

自家弁当 191212

 優しい甘さの玉子焼きがケチャップの尖った酸味とよく馴染んでうまい。カレー風味のささみはパサパサした食感でよく噛んでいただくとおなかいっぱいになる。ごちそうさまでした。

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2019.12.11、同女講師控室にて

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2019年12月12日 (木)

犬の話(2)

わたしがケンシロウと名付けた犬がいた。白い大きなラブラドールレトリバーだ。その家は交差点の角に玄関があった。ケンシロウはよく玄関先でねそべっていたが、玄関ポーチが白いタイル貼りだったのでそこに大きな犬がいることに気づきにくい。そこでケンシロウは人が驚かすことに励んでいた。犬に気づかず角を曲がろうとする人に対してケンシロウは突然吠えるのだ。

これは本気で驚くぞ。人は本気で驚くと手が上がる。さらに「うわっ、びっくりした!」と声に出していう。いまいましいことに私は何度もケンシロウに驚かされた。そのときのケンシロウの得意げな顔は忘れられない。ほかの人を驚かせているところを目撃したこともある。ケンシロウは町の脅威だった。

ある日ケンシロウの家の前を通りかけるとガレージのシャッターがあいてお父さんが車の掃除をしていた。そのわきでケンシロウは子犬のように跳ねていた。顔つきが違うのだ。見たこともないような甘えたこどもの笑顔だった。ケンシロウがそんな顔をするとも思いもしなかった。ケンシロウは他人に対しては狡猾で獰猛な犬だが家族に対してはかわいい従順な犬だったのだ。なんという変わり身の早さ。まあ猟犬だからしかたないか。

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自家弁当 191210

ほろりととれるサバの身に薄い塩味がよくなじんでごはんとよく合う。近所の農家販売所で売っていたというサトイモのチーズ焼きは中身がトロトロでうまい。はんとよく合う。

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2019.12.10、関大講師控室にて

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2019年12月11日 (水)

犬の話

わたしが捨吉と名付けた犬がいた。大きなオーストラリアンシェパードだ。顔の大きなヤンチャで愛らしい犬だった。人が通るたびに吠えていたがひと月ほどいなくなった。どうやら訓練所に入れられたらしい。戻ってきておとなしくなったが1年ほどで元に戻った。俺はやるぞという意気込みの強い犬だったのでがまんできなかったのだろう。それから捨吉は室内に入れらることが多くなり散歩のときにしか会えなくなった。さみしい。

捨吉はわき目もふらず全力で散歩する。ポイントで止まるとふんふんと嗅ぎまわって簡単にマーキングすると次のポイントへ全力で向かう。この調子なので散歩はすぐ終わる。散歩を楽しみにしていたはずなのに、いざ出ると自分から突っ走ってあっと言う間に終わってしまうのだ。それでいいのか。でも全力で散歩する姿を見ていると捨吉にとってはそれでよいのかも知れない。牧羊犬だから仕方ないか。

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2019年12月10日 (火)

長門有希に会った話

長門有希はアニメキャラなので現実に会うはずがないのだが見た瞬間に長門だと思った。電車に乗って入り口の横に立った。扉が閉まって体を車内に向けたときすぐ隣にいて「あ、長門だ」と思った。本当に「あ、長門だ」と声が出そうなぐらい驚いた。背が低いので見えているのはシャギー気味のボブカットのつむじだけなのだが、やせた感じやふっくらとした頬のラインなどどこからどう見ても長門有希そっくりである。3Dでここまで二次元に寄せた人間が本当にいるとは思わなかった。顔は見ていない。髪は青くなかった。
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2019年12月 9日 (月)

方広寺鐘銘事件メモ(2)

大仏殿と大仏の罹災状況を年表にしたのでメモしておく。

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大仏殿は第1期と第2期がある。大仏は3つあるのでややこしい。
規模比較もメモしておく。

  高さ 奥行き 建築家
第1期(失火により焼失) 52.4m 93m 58.1m 中井正吉
第2期(落雷により焼失) 45.5m 81.9m 50.05m 中井正清
奈良大仏殿第1期(戦火により焼失) 37.0m 85.8m 50.3m  
奈良大仏殿第2期(戦火により焼失) 第1期の礎石を再利用、高さ不詳 重源
奈良大仏殿第3期(現在) 49.1m 57.5m 50.5m  

第1期の秀吉の大仏殿が日本最大だった。第2期は奈良の現在の大仏殿より幅が広い。中井正清の設計なのでさぞや美しかっただろう。この大仏殿は186年間存在した。

大仏は当初木造漆喰づくり、中井のものが金銅製、その後木造と3期ある。木造漆喰づくりの仏像は珍しい。金銅製にしなかったのはこの仏が木気であることを示したかったからだろう。おそらく色漆喰塗りの華麗なものだったと想像できる。しかしこれは地震で損壊し秀吉を残念がらせた。

秀吉没後の再建は金銅製なので、これは金箔貼りだったろう。金気の仏であるわけだが、木気である洛東の地に巨大な金銅仏を置くのもどうかしている。徳川方の悪意を感じる。これも地震で壊れた。いずれも大仏は損壊しても大仏殿は大きな損傷を受けていない。木造技術の優秀さを証明している。

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2019年12月 8日 (日)

方広寺鐘銘事件メモ

慶長19年(1614)に起きた方広寺の梵鐘銘事件は徳川方のいいがかりとして知られている。本当にそうだろうか。気になるのでメモしておく。

問題となったのは「国家安康」と「君臣豊楽」の二行だ。国家が安全で健やかでありますように、君主と臣民が豊かで楽しみますようにという祈願文である。それを徳川方は家康の悪霊を安んじ、君主たる豊臣が楽しむ世がきますようにと読んだ。徳川を呪詛する豊臣方の陰謀だと騒ぎ立てたわけである。わたしは徳川方の言うとおりだと思う。

銘文の全文を読めばこれが呪詛である感は深まる。短文なので意訳してみた。

洛陽の東のふもとに仏教の道場を開く
屋根は高くそびえ梁は虹のように横たわる
さまざまな大きさの幾万もの瓦
天井の高い長い廊下
すべての壁は宝石のように光り
あらゆる方向へ輝きをなげる
騒がしい戦争の夜が明け新しい時代がやってくる
中国日本で第一番であるこの寺院はその象徴である

高く掲げた新しい鐘の
その音は永く
遠く近くに響き渡る
そのリズムは音楽となり
18回はゆっくりと
108回は早い

夜に座禅をし
昼に経を読み
夕べに法灯をともし
朝に香をたく
仏の世界を天竺の教えに聞き
湘水の遠き寺に仏法を知る(なんらかの故事か?)

東に新月を迎え
西に夕陽を送るとき
笥山に地を掘り(なんらかの故事か?)
豊山に霜が降る(なんらかの故事か?)
怪異を漢国に告げ(なんらかの故事か?)
唐の苦しみを救った(なんらかの故事か?)
霊異はおびただしく
功用は無量である

乞い願わくば
国家が健やかで安全でありますように
すべての世界が仏教で感化され
芳しい万歳の声が世界に満ちますように
君主と臣民が楽しく豊かでありますように
子孫が繁栄しますように
仏教の基礎と
寺院の堅い守りと
信者の徳が
山のように高く
水のように長くありますように

わたしが怪しいと思うのは「怪異を告げ苦しみを除く」と「おびただしい霊異の効果は絶大である」の二文だ。「怪」「苦」「霊異」などという文字を普通使うだろうか。新月と夕陽の時間も極陰を示しており呪いの時にふさわしい。

方広寺には寺院配置の点からも怪しいものを感じる。そもそも西向きの寺院は珍しい。とりあえず謎深い事件ということで。

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2019年12月 7日 (土)

ホワイトボード落書き(5)

 久しぶりにホワイトボード落書きをした。縦長のボードなので縦長の絵にしてみた。これで10分くらい。

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2019.12.06、摂南大にて

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2019年12月 6日 (金)

野江の橋灯

 大正時代の野江橋のものらしいが確かめていない。小学校の校庭に遺されている。鋳鉄製の愛らしいもので根本にはチューリップの花びらのようなアールヌーボー風の飾りがついている。なかなかよくできている。

 こうした街路の鉄製品は戦時中の金属供出で失われたものが多いのでこうしてオリジナルが残っているのはとても珍しい。わたしの知る限りでは大阪府下ではこれぐらいではないか。

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2019.11.23、大阪市立榎並小学校

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2019年12月 5日 (木)

大丸ヴィラのレンガ刻印

 大丸ヴィラ横の地下鉄入り口はレンガ塀の一部を切り取って作られている。従ってレンガ塀の切断面が両側に見える。ひょっとしてレンガ刻印があるかと思って探したらあった。「ワ」と読めそうだがよく分からない。ネット検索したらすでにレンガマニアの報告があった。おそるべしレンガマニア。ちなみにこの地下鉄入り口は冨家事務所の設計である。

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2019.12.05、大丸ヴィラ、ヴォーリズ設計、1932年竣工

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自家弁当 191204

 きんぴらレンコンはみりんと醤油で味付けしたそうだ。シャキシャキした食感にさっぱりとした醤油味がよく合ってうまい。定番の玉子の醤油漬けは黄身がトロリと溶ける醤油味でこれもうまかった。

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2019.12.05、同女講師控室にて

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2019年12月 4日 (水)

自家弁当 191202

 里芋は自宅前の農業倉庫で買ったもの。芯までトロトロに煮溶けてタコの旨みが染みわたっている。これぞ体を温める冬の味だ。奥は鶏団子のケチャップ和え。鶏ミンチの噛み応えとケチャップの酸味がよくなじんでうまい。

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2019.12.02、関大講師控室にて

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2019年12月 3日 (火)

でかいカボチャをもらった

 自家農園をなさっているお施主さんからカボチャをいただいた。でかい。打ち合わせにお施主さん宅をうかがったところに玄関に山積みされていたのを物欲しそうに見ていたら一番でかいのをくださった。うれしい。かみさんが煮込んでそぼろあんかけを作った。自然の甘みが優しくて体も心も温まる。ありがとうございました。

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2019.11.11
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2019.11.29

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2019年12月 2日 (月)

鶏だんごランチ

 お昼は鶏だんごを塩でいただいた。ショウガ風味が鶏肉の旨みを引き立ててうまい。タンパク質1点分のおいしさである。

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2019.12.02

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2019年12月 1日 (日)

【減量記 2 】ダイエッター的ななにか

痛風の発作は7日目に痛みが無くなり10日目には残っていた違和感も消えた。痛風尿酸財団のホームページにあるとおりだ。そこで放置すると2度目の発作がやってくるらしい。それも放置すると発作のインターバルが縮まり、痛む関節も拡大する。さらに放置していると関節が曲がってくるそうだ。恐るべし痛風。
 
ということで発作4日目から記録型ダイエットを始めた。4日目というのは「痛風ちゃう」という抵抗をやめたときだ。記録型ダイエットとは毎朝の体重をクマさんアプリに入力するだけの簡単なものだ。クマさんが励ましてくれるおかげで24日間で1.8キロ減量した。1週間0.5キロだからリバウンドの起こりにくいペースといえる。
 
わたしの場合、尿酸値を押し上げているのはプリン体よりもむしろアルコールのほうだ。禁酒もすでに27日目である。まだ発作が怖くて飲めない。体重が80キロを切れば少しは飲めるかと思う。大晦日においしいお酒をいただくのが目下の夢である。健康への道のりはまだ遠い。

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阪急淡路駅の連絡通路

 淡路駅の両側をつなぐ線路下の通路で人通りが多い。いまでも戦前の面影を残している。湿気が多くて塗装の劣化が激しい。見えないところの水路でもあるのかも知れない。このカビくささもまた独特の雰囲気を作り出している。

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2019.11.23、阪急淡路駅(1928)

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