2019年11月10日 (日)

古代の井堰と神社の関係を考える

 上賀茂神社の社家町を訪れて気づいたことがあるのでメモしておく。今後の課題としたい。

 古代に賀茂氏が賀茂川流域に入植し土地を拓いたとされる。川をせき止めた井堰を設け、そこから取水した用水を農地に配水した。水路は給水と排水を兼ねていたのだろう。賀茂川が山から出てくる北ノ原町あたりで取水し6~7キロ下った高野川との合流地点で排水された。それは今でも当時のまま流れている。

 地域は用水を軸として造られていたように見える。取水口から少し下がったところに上賀茂神社を祀りその門前の水路沿いに社家町を開いた。そこから各農地へ配水し最終の排水地点に下鴨神社を置いた。これが流域の構造だ。

 同じことが桂川流域でも見られる。嵐山の大井堰と松尾大社、長岡京市滝ノ町の井堰と向日神社など。桂川流域でも井堰と神社がセットになっている。ようするに水利施設の一環として神社が創建されたわけだ。

 課題はふたつ。ひとつは大河川の流域開発は戦国時代以降だという通説への疑問。もうひとつは水利と神社のセットで古代の地域構造を読み解くことができるのではないかということ。よく考えてみたい。

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