2019年11月
2019年11月30日 (土)
2019年11月29日 (金)
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2019年11月25日 (月)
2019年11月24日 (日)
建築探偵団が13年ぶりに再結集した
建築探偵団の13年ぶりの再結成だ。以前はネットラジオをやっていたころで、すでに13年経っている。当時とくらべて歩く速度も半減し2時間歩いたところで疲れて脱落した。結局、野江をくるっと1周しただけだったがおもしろかった。次回は来年、高槻の阿武山観測所へ行く約束をした。楽しみである。
ネットラジオ「生録たぬきの近代建築」http://tanuki.la.coocan.jp/netradio.html 2006年3月4日配信
まだHPに一部が残っているが聞くためにはリアルプレーヤーをDLする必要あり(https://jp.real.com/)。 希望があれば過去番もアップする。今ならユーチューブかニコ動だろうな。
2019.11.23、大阪市野江
2019年11月23日 (土)
2019年11月22日 (金)
2019年11月21日 (木)
養父市の狛犬左右逆転事件(2)
ていねいに説明する時間がないのでメモ程度に説明しておく。
なぜ狛犬が左右逆転なのか
結論から言えば子安の祈りが込められているとしか考えられない。陰陽が逆転すれば陰のものは陰の場所へ、陽のものは陽の場所へ戻ろうとするので中央で陰陽がまじりあう。この場合の陰陽交合は妊娠を象徴しているわけだ。以前鞍馬の由岐神社で説明したとおりだ。
由岐神社拝殿の謎(4)なぜ本殿の狛犬は左右が逆なのか 2019.06.17
http://www.tukitanu.net/2019/06/post-5adff9.html
ちなみに二条城唐門欄間の龍と虎も逆転している。これは龍を朝廷、虎を幕府に見立てた交合を表していると私はみている。これは「京都の風水地理学」じっぴコンパクト新書2017に書いておいた(p.122)。
さて、おもしろいのは二宮神社のご祭神がツクヨミ神であることだ。月の出を待ちながら安産祈願をする月待ち信仰は関東に多い。関西では聞いたことがないが、もし似た信仰があればその場所としてここはふさわしいことになる。二宮神社の裏手に観音堂があることも月待ち信仰との関連を思わせる。もしそうならどこかに水があるはずだ。
月待信仰とウサギ 2009.05.06
http://tanuki.la.coocan.jp/strangeworld/2009-12.html
この地域にいくつかツクヨミ神が祀られていて、どこも狛犬が逆転しているなら月待信仰の可能性は高いだろう。ほかの神社も見てみたい。
2019年11月20日 (水)
2019年11月19日 (火)
2019年11月18日 (月)
2019年11月17日 (日)
2019年11月16日 (土)
2019年11月15日 (金)
2019年11月14日 (木)
2019年11月13日 (水)
2019年11月12日 (火)
古代の井堰と神社の関係を考える(2)
京都市の白地図で水路を調べてみた。ほぼ予想通りだった。図から分かることをメモしておく。
1.賀茂川左岸流域の農地(緑色部分)を感慨する用水は上流のAで取水し下流のDで排水する。水路が賀茂川に沿っているのは河岸段丘を利用したためと考えられる。
2.取水地点に上賀茂神社(B)、排水地点に下鴨神社(C)を祀った。
3.神社に隣接してそれぞれに社家町を形成した。
4.賀茂川と高野川にはさまれた三角形地帯は現在3つの水路系に分かれる(仮に賀茂川用水、深泥池用水、高野川用水と名付ける)。深泥池用水と高野川用水には神社との関連が見られないことから比較的新しい開発と考えられる。
5.賀茂川に沿って排水地点が点々とあるのは上流から範囲を区切って開発した名残りに見える。
2019年11月11日 (月)
2019年11月10日 (日)
古代の井堰と神社の関係を考える
上賀茂神社の社家町を訪れて気づいたことがあるのでメモしておく。今後の課題としたい。
古代に賀茂氏が賀茂川流域に入植し土地を拓いたとされる。川をせき止めた井堰を設け、そこから取水した用水を農地に配水した。水路は給水と排水を兼ねていたのだろう。賀茂川が山から出てくる北ノ原町あたりで取水し6~7キロ下った高野川との合流地点で排水された。それは今でも当時のまま流れている。
地域は用水を軸として造られていたように見える。取水口から少し下がったところに上賀茂神社を祀りその門前の水路沿いに社家町を開いた。そこから各農地へ配水し最終の排水地点に下鴨神社を置いた。これが流域の構造だ。
同じことが桂川流域でも見られる。嵐山の大井堰と松尾大社、長岡京市滝ノ町の井堰と向日神社など。桂川流域でも井堰と神社がセットになっている。ようするに水利施設の一環として神社が創建されたわけだ。
課題はふたつ。ひとつは大河川の流域開発は戦国時代以降だという通説への疑問。もうひとつは水利と神社のセットで古代の地域構造を読み解くことができるのではないかということ。よく考えてみたい。
2019年11月 9日 (土)
【減量記 1 】 痛風的ななにか
月曜に足の親指の付け根が痛くなって捻挫かなと思っていたら痛風だった。聞いていたような激烈な痛みではなかったので「痛風違う」と言い張っていたが、どう見ても痛風の症状と合致するので金曜に医者へ行った。
医者はいつも高血圧の薬をもらっているところで3ヶ月ごとに血液検査を受けている。医者は結果が出るたびに痛風はないかと尋ねるので「痛風ない」と言い張ってきた。だから自分から痛風だというのが悔しかったが仕方がない。
わたしの話を聞いて医者はやっぱりという顔をしたが痛風の宣告はせず検査するという。この1週間酒を飲んでいないのでいま検査したら血もきれいだろうと思うが検査しないと判断できないらしい。結果は5日後に出るそうだ。ということでとりあえず推定痛風ということになった。
かみさんは当初から痛風だと看破しており「日頃の悪行の報いがきた」と恐ろしいことをいう。悪行と言われれば思い浮かぶこともあるので自業自得とはこのことだろう。痛みはさほどでもないのだが足の親指が使えないので片足が思うように動かない。足を引きずって歩くので移動速度が半分になるのが困る。いま仕事ができなくなるとあちこちに迷惑がかかるのでここはひとつ念入りに養生することにした。まずは減量5キロをめざす。正しいダイエッターの心を取り戻せ。
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