2019年10月 1日 (火)

からとの清水とはなにか(2)

 棚田は数百年にわたって規模を拡大してきた。中山千枚田でもっとも開発の進んだのは江戸時代の前期だったとわたしは考えている。なぜならこの時期小豆島は塩業地として発展するからだ。塩を作るためにも薪炭が必要だ。塩業でもうけた資金を薪炭採取後の森林跡の棚田開発に投下したのだろう。垣花樋川も同時代であり沖縄も極東アジア有数の製塩地域だった。だから唐櫃(からと)棚田の発生も同時代だったろうと思う。

 古い棚田は給水と畔に特徴がある。古い給水方法は田入れといって田から田へ水を入れていく。最上部から満水になっていくタイプだ。この方式では田の土が下へ流れるのでその後水路タイプに変わった。唐櫃棚田は水路タイプのようだ。

 畔は1メートル前後の石垣となる。古いタイプは石垣のままだ。これは高野山周辺で見たことがある。江戸時代後期には石垣に土をかぶせた土手タイプに変わる。理由は不明だがわたしは雪害防止が目的ではなかったかと想像している。唐櫃棚田も土手タイプだ。石垣タイプを土手タイプに改修したのか、それとも開発自体が江戸時代後期なのかは分からない。

 集落も棚田状に造られていることが唐櫃の特徴だ。棚田の一番上にひな壇造成された集落がある。これは棚田と集落がセットで開発されたことを示す。古い集落を作り直したのかもしれないが、湧水井戸、棚田、集落をワンセットにした計画は珍しい。集落は矢羽根積みの美しい石垣でできている。おそらく棚田も同じ積み方だろう。

 さて、この特徴的な石はいったい何を語るのか。長くなったので続きは次回。

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2019.09.29、唐櫃(からと、香川県豊島)

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