2019年8月24日 (土)

モツァルトの天才

 モツァルトは天才だったので人雑談しながら作曲ができたという。頭のなかで楽曲ができあがっていてそれを五線譜に移し替えるだけの作業だがらそんなことができたのだ、という。

 これは楽曲は頭のなかのイメージのコピーであるということが前提となる。確かにある程度そうだと言える。スケッチだって、おおよそこんな絵になることは事前にイメージできる。料理だって、作る前にどうなるかはおよそイメージがついているだろう。創作に限らず人はなんらかの行動を事前にイメージできるし、そうすることでスムーズに行動することができる。だから行動はイメージのコピーと言えなくもない。でも、おかしいと思うのはそのイメージは五線譜に書けるほど精密なものなのではなかろうということだ。

 おそらくモツァルトはアドリブの天才だったのではないか。突然作曲もしくは演奏を始める。ジャズの演奏家のようにアドリブで楽曲を生み出しながら申し合わせていたかのようにきれいに演奏を終える。多分そんなとき雑談なんかしない。雑談していたとすれば出来上がった楽曲に手を入れていただけではないか。頭の中にできあがっているともし本人が言ったとすればそれは単にいい格好がしたかっただけだろう。

 ただし、アドリブにイメージがないわけではない。むしろ強烈なイメージが無ければアドリブにならないだろう。通常の行動と違うのはイメージを理解するという過程をさしはさまないことだ。イメージは直感的なもので決して論理的ではない。イメージのすべてを事前に理解することはできない。イメージは本当は人の理解できる範囲以上のものを含んでいるだろう。だから理解したとたんにその大部分は失われてしまう。だからイメージを理解せずにいきなりアドリブとして表現しようとするわけだ。

 まあ、それがうまくいくかどうかは人才ではなく天才にかかっているわけだが。

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