2019年8月 9日 (金)

龍安寺の石庭の謎を解いてみた(4)

 民俗学者の吉野裕子(ひろこ)が龍安寺の石庭の謎を解いている。15年ほど前に読んだときには難しくて分からなかったが、いま改めて読んでみるとよく分かる。結論から言えばこの庭は火の庭だということだ。わたしとはアプローチが違うのに同じ結論に至るところが興味深い。

 吉野のすごいところは、なぜ火の庭なのかという理由も突き止めていることだ。ミステリーでいえば犯人の動機を明らかにしたようなものである。さすがだ。

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 吉野裕子説
 吉野は土気の島の5つの石は金水木の各島へ分散したという。たしかにそれぞれの島には数に入れていいのかどうか分からない小さな石がある。わたしも左端の島の5個は3個+2個ではないかとさんざん迷ったが、この2個が土気のかけらだとは気づかなかった。

 土気は他の気に働きかけて活性化させる働きがある。これを土用という。各季節の終わりの18日間を土用と呼び土気の働きかけによって次の季節に移り替わることができる。この庭の土気も土用として他の気に働きかけているわけだ。

 金気の4は図のように2(土気の小石は数えない)+2に分断されている。それは隣の火の島の働きだ。火気には土気を生み出す力と火を克す(こくす、殺すこと)のふたつの能力がある。この庭は火を克す相克の力が発動して金気がまっぷたつに分断された状況を示すというわけだ。ここは金気の殺しの現場なのだ。

 わたしは気づかなかったが火の島のふたつの石のうち左側は小さいけれど正三角形だという。三角形は火のかたちだ。そうすると右側の長い石は火の剣なのかも知れない。

 火も土用がなければ相生や相克の力を発揮できない。では火の島への土用はどこにあるのか。これは方丈の主もしくはこの庭の観察者のあなた自身の人体が土用となるのだろう。人体は最良の土気だからだ。この庭は観察者が参加して初めて完成し金気を分断する状況を生み出す装置なのだ。では金気を分断するとはどういう意味なのか。

 不立文字(ふりゅうもんじ)の庭
 禅宗の奥義は「不立文字、以心伝心、直示人心、見性成仏」だそうだ。この最初の不立文字とは言葉を使わずに仏と通信する力をいうらしい。言葉は五行のなかでは金気とされる(金言という言葉はここからきている)。その金気を分断するとは言葉を絶ち心で仏と向き合えという不立文字の教えを表しているわけだ。これがここが火の庭である理由である。

吉野裕子「易・五行と庭園」(「陰陽五行と日本文化」大和書房2003所収)

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