2019年6月28日 (金)

八坂の塔メモ

 たまたま開いていたので拝観した。拝観したいと思いながら公開が不定期なのでラッキーだった。考えたことをメモしておく。

 ここは聖徳太子が如意輪観音の夢告により創建したという。仏舎利3粒を塔に納めたそうだ。ご本尊は五智如来。正式な寺名を霊応山法観寺という。現在の塔は室町時代に再建された4代目。パンフレットによると主な歴史は次のとおりだ。

589年  聖徳太子創建
1179年 清水寺衆徒と祇園神人の争いにより類焼 1191年源頼朝が再建
1240年 建仁寺八世済翁証救が入山し禅宗となる
1291年 落雷により焼失 1309年後宇多院の援助により北条貞時・山内円成尼が再建
1336年 焼失 1450年足利義教が再建

 水生木の観音の聖地
 聖徳太子関係の寺は「法」がつくことが多い。法は水を去ると書くので水を克す、つまり土気だ。塔は仏舎利という釈迦の骨を埋めた墓なので巨大な土気である。塔に五重が多いのも5が土気を示すからだろう。寺は墓であり土気であることを「法」は示すように見える。ご本尊を五智如来としたのも5にちなんだのかもしれない。

 わたしは飛鳥時代のひとびとは寺を土用と考えていたと思う。土用はほかの4気をさかんにする。金気の薬師を本尊とすれば金気の神がさかんになって疫病除けとなるし、木気の観音を当てれば木気がさかんになって子安に役立つ。この場合は如意輪観音なので子安だろう。仏舎利3粒の「3」は木気を表す数字だし。八坂の八もやはり木気数8に通じる。

 ご本尊と太子堂の関係
 塔内は極彩色の板絵で飾られる。宇治の平等院鳳凰堂と同じ雰囲気だ。柱まわりに五智如来の4体がまつられる。中央の柱が5体目の大日如来なのだろう。仏像はいずれも焦げたような跡があり手がとれていたりするので被災したことが分かる。つまり塔より古い。

 なぜか北側の仏像だけがひときわ大きかった。塔の北側には太子堂があり3歳の聖徳太子像がまつられている。北は水気の領域であり3は木気の数だから水生木の相生の関係を表しているように見える。このことは太子堂創建と塔内に五智如来をまつったときとが同時であることを示す。そのころにはもう金堂や講堂は失われ塔しか残っていなかったのだろう。塔だけを再建して五智如来をまつり小さな太子堂を添えて聖徳太子の遺徳をしのんだわけだ。

 木曽義仲の墓
 驚いたのは木曽義仲の首塚があったこと。平家を京都から追い落とした立役者。朝日将軍とほめそやされるが2か月足らずで追討され三条河原に首をさらした。遺臣がそれを引き取りここに供養したという。希代の戦術家でありながら政治に敗れた若きヒーロー。彼にここで出会うとは思わなかった。

 これは御霊なのだろう。八坂の塔の南側の旧清水小学校のあたりが轟(とどろき)川の河原だ。そこは成仏できずにこの世にとどまる御霊の領域だ。八坂もまた死と誕生の境目にあるのだろう。

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八坂の塔から東を望む(2019.6.16)

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