2019年5月
2019年5月31日 (金)
2019年5月30日 (木)
~~せねばならない
「やることメモ」をつけている。もう2年になる。その日にやることを毎朝箇条書きにする。申請書の作成、学校の授業、庭の水まき、小説を読む、一日にやることは多い。やった項目には〇印を付ける。〇が増えるとうれしい。そういう性格だから2年も続いたのだろう。もし刑事が来て「あなたは〇月〇日何をしていましたか」と聴かれても2年以内であれば答えられる。完璧にだ。
5月になってから書式を変えた。箇条書きの上に時間割を作った。横棒を引いて6時から21時までの行動を記録している。これで「あなたは〇月〇日の午後〇時から〇時までのあいだ何をしていましたか?」と聴かれても答えられる。これはすごい、かも知れない。
でも、こんなメモは何の役にも立たない。わたしのアリバイを聴く刑事は一生来ないし、一日の予定を立てたからといって有意義な一日を過ごせるわけでもない。むしろ私は「~~せねばならない」という箇条書きにうんざりしている。箇条書きが1日に10個あったとして、その365日分×存命年数を消化するだけの人生はまっぴらだ。
昨秋から親族の介護にたずさわることが多いおかげで、自分があと10年、20年、30年たったらどうなるのかよく見えるようになった。学校で夢や希望や志しを語りながら、本当はそんなものは無いのではないかと思い始めている。本当に自分にとって大切なのは未来の夢や希望や志しではなく毎週月曜と木曜にゴミを出したり毎朝金魚にエサをやったりする「今」なのではないか。「~~せねばならない」と思うのではなく、やることひとつひとつをどこまで楽しめるのかが大切ではないか、と思い始めている。
2019年5月29日 (水)
鈴木隆之「未来の地形」講談社1992年
おもしろかった。建築家の書いた小説という触れ込みだったが建築はほぼ出てこない。片岡義男に似た乾いた情景描写が心地よく、気が付いたら物語のなかへ引き込まれていた。3本目の「ダブル・スコア」が一番おもしろい。嫌味なI助教授ときっぷの良いシノブそれぞれのキャラがよかった。3本とも主人公が観察者の位置からほぼ動かないのが気になるがそういう作風なのかも知れない。(2019.05.20読了)
鈴木隆之の建築の仕事はよく知らない。1961年生まれとあるから私と同世代だ。京大卆だそうだからどこかでお会いしているかも知れない。1987年群像新人文学賞を受賞。私が3留年の後ようやく卒業できて設計事務所に就職したころだ。収録3本は1989ー1992年に「群像」に掲載されたもの。
2019年5月28日 (火)
2019年5月27日 (月)
大阪パース教室の第3期が始まった
今期は夏休み(8-9月)までの4か月間とした。現在大阪教室は2名受講中だ。それぞれが描きたいものを持ち寄ってパースに仕上げる。この日は大連の近代建築と大阪工芸高校の校舎だった。別に近代建築でなければならないというわけではない。
パース教室案内 http://tanuki.la.coocan.jp/tanteitop.html
2019.05.20
2019年5月26日 (日)
2019年5月24日 (金)
魔笛を聞いた
ひと月ほど前の風の強い夜に魔笛を聞いた。駅から家までは住宅地を通り抜ける細く曲がりくねった古い道を通る。ちょうど河岸段丘の端でもともと風の強い場所だ。普通はゴゥーというような音がするのだが、そのときは聞いたことのないような音がした。
最初にピューという龍笛のような細くて高い音が震えるように鳴る。それが5秒ほど続いたあとで今度はボゥーと腹の底に響くオーボエのような低い音がした。それが5秒ほど続くとまたピューという高音に変わる。わたしは歌劇に出てくる魔笛とはこれだと思った。
風音を怖いと思ったのはこれが初めてだった。歌劇のなかで風の音が怖いと言ったこどもが最後に死ぬように、どこか死のにおいのする不吉なものを風音に感じた。わたしはそのことをできるだけ気にしないように努めながら、それでも急いで河岸段丘を下りて家へ帰った。今もときどき思い出す。あの音はいったい何だったのだろうか。
2019年5月23日 (木)
2019年5月22日 (水)
2019年5月21日 (火)
大阪北部地震の余震があった
久しぶりに揺れた。わたしの住むあたりは震度2だったので気づかなかったひとも多かったろう。高槻市南部が震源地でマグニチュードは気象庁速報で3.6だった。昨年6月18日の大阪北部地震(M6.1)と震源地が重なるのでその余震のひとつだったのだろうと私は思っている。
わたしの住むあたりは震源地から15キロほどなので45度くらいの角度で突き上げられるのが分かる。震源から直線距離で20キロくらいだが、これぐらい近いと地鳴りが聞こえる。昨年の本震でわたしは地鳴りを初めて聞いた。今回も同じ地鳴りがした。地鳴りはボーリング場のレーンをボールが転がるゴロゴロという音に似ている。それがだんだん近づいてきてドンと揺れる。
こうした直下型地震は造山運動の一部なのだろう。新しい山がそこで生まれているのだ。それは水平方向に押された地盤が割れてずり上がるようなイメージだと思う。ゴロゴロいう地鳴りはそのときの音なのだと思う。
気象庁は有馬高槻断層の動きと説明するがその断層は淀川右岸の山沿いに伸びている。今回の震源地は淀川の河原なので生駒断層の北端なのではないかと思っている。震源地で断層が見つかっていないのではっきり言えないが、淀川がここで大きくカーブしているのは昔から少しづつ造山運動が続いてきた証拠だろうとわたしは思う。
マグニチュードは1.0上がるとエネルギーが31.6倍になる。だからM3はM6の3万分の1だ。M3くらいの小出しにしてエネルギーを放出してくれれば地表に住む我々はありがたいが、なにぶん造山運動のすることなのでどうなるか分からない。11ヶ月たってもM3の余震があるのだから、まだまだ要注意である。
2019年5月20日 (月)
2019年5月19日 (日)
鏡の作用について
鏡の作用について考えたことをメモしておく。
鏡に映った姿は左右逆転しているとよく言われる。本当にそうだろうか? 鏡をよく見ると右手は右に左手は左に写っている。逆転などしていないのだ。ただし「鏡に映った姿から見れば」左右が逆転している。鏡の世界の自分になって鏡の外の私に面したとすれば右に左手、左に右手がある。このように左右の概念は「誰から見て」なのかという視点者の立場を示さないと意味をなさない。鏡の作用において左右が逆転するのは視点者の立場を変えることが前提となる。
おもしろいのは前後である。鏡の作用では前後も逆転する。前後と左右とは密接に結びつけられたひとつの概念ともいえる。視点者がどっちを向いているかによって前後も左右も決まるのだ。前後左右という平面上の座標軸は視点者の向きによって定まると言ってもよい。
さて不思議なのは左右が逆転するのに上下は逆転しないことだ。床屋にある壁掛け時計は鏡のなかで正像となるよう左右逆転させている。なぜ上下はそのままでよいのか? 上下は前後左右と違って視点者の向きとは関係がないということなのだろうか。
では鏡を頭上に掲げて見上げればどうなるか。こうすると前後左右だけではなく上下も逆転するのだ。その状態で壁掛け時計を正像に見せようとすれば当然上下も逆転させねばならないだろう。上下左右を同時に逆転すればそれは元のままなのではないか。元のままでなぜ鏡のなかで 正しい像を結ぶのか?
2019年5月18日 (土)
銀座接待の話
週刊アスキーに連載された岡田斗司夫のエッセーに銀座接待の話があった。最初にカウンターだけのバーへ連れていかれる。席の温まる間もなく次の店へ移動する。そしてすぐに次の店へ。それらはみな自社の重役が関係している店らしい。彼は下戸なので水しか飲んでいない。それなのに数万円の伝票が飛び交う。絵に描いたような接待費横領である。世の中の接待は受けるものよりも接待する側に利権があるのかも知れない。
さて私は出版業界の斜陽の原因は広告接待費の削減にあると思っている。銀座が繁盛していたバブル景気のころ雑誌の創刊が相次いだのは接待費と同様広告宣伝費も増額されたからだろう。雑誌は広告料の受け皿だったのだ。出版業は雑誌収入によって単行本の赤字を埋め合わせていた。その雑誌が立ち行かなくなった。したがって出版業界は苦境に陥る。銀座の高級バーの閉店数と雑誌の廃刊数とは比例していると思う。雑誌数が広告料に見合う数まで縮小したのが現状だろう。
出版業界は不振の原因をすぐ読者のせいにしようとする。本を読まなくなったからこうなった。みんなもっと本を読もう、と。しかし読者の総数はさほど変わっていないのではないかと思っている。刊行部数で統計を取ると読者減少に見えるが、部数と読者数はイコールではない。そもそも正確な刊行部数なんて誰にも分からないと思う。
もともと単行本と雑誌の編集は別物だと思う。企業の接待広告費の増大が雑誌依存の出版業界の体質を作り上げてしまった。それがこれから元に戻るだけのことだろう。今後雑誌と単行本の経営は分かれていくだろう。そのほうが自然であるように私は思う。
2019年5月17日 (金)
2019年5月16日 (木)
2019年5月15日 (水)
2019年5月14日 (火)
2019年5月13日 (月)
考えがまとまらないという状況とプライドの関係
ある構想についてよいアイデアが浮かばなくて困っている。これが建築の設計ならほぼ迷うことなくまとまることができるのだが、いったい何が違うというのだろう。
ひとつは考える対象が漠然とし過ぎていることがあると思う。あなたのこれこれは何ですか?という問いに答えるだけなのだが、まず「これこれ」が分からない。「何ですか?」の「何」がたとえばどんなものがあるのかも分からない。分からないことだらけで考えが止まってしまう。
ただ、このあたりは経験と調査でなんとでもクリアできるだろう。もっとも大きな理由は自分が詰まらない答えしか言えないのではないだろうかという恐れだ。これは自分で恐れを捨てるしか方法がない。もしそのクソ小さなプライドを捨てることができれば簡単に飛び越えられるハードルでもある。でも一番むつかしい。
2019年5月12日 (日)
【リトルワールド】韓国古民家がとてもいい
京都建築専門学校の遠足で愛知県の世界の古民家を集めたリトルワールドへ行った。広いので全部をゆっくり見る時間はない。前回の遠足時に目をつけておいた韓国古民家をじっくり見ることにした。
壁面構成が美しくてまるでモンドリアンの絵のようだ。太めの柱や横材で区切られたなかに土壁と板壁がはめ込まれている。構造イコール意匠という考えがいさぎよくて気持ちがよい。わたしの理想の建築に近い。
構造的には日本とだいぶ違っていた。床束がなかったり大梁がなかったりした。比較的横材が太くて柱どうしを強く結びつけるのが特徴らしい。仕口がどうなっているのか興味深かったが見ただけではよく分からなかった。
2019.05.12/マルマンスケッチブックA4、グラフィックペン0.3、固形透明水彩/愛知県犬山市「リトルワールド」韓国の農家
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