野良ネコは糞尿の臭さのほか小鳥や金魚を捕食するので住民にとって迷惑であることが多い。またネコアレルギーは人の生死に関わるというのも決して大げさな言いようではない。野良ネコ問題はけっこう深刻なのである。そこで町内会などの地域コミュニティが野良ネコを捕獲して去勢することが行われている。野良ネコがこれ以上増えないようにするためだ。去勢されたネコは町に戻っても人間を警戒するようになるのでエサをやるものに近づかなくなる効果もある。
尾道は野良ネコが増えつつあるように見えた。水を入れたペットボトルやクリのイガを縁の下に撒くなど初期的な防衛策をいたるところで見たからだ。そうした個別の防衛策に効果がないと分かるまでしばらくかかるだろう。近年ネコを売り物にした観光地の影響で観光客がエサをやるようになっている。特に外国人の場合は物珍しさもあっても抵抗感はないようだ。尾道でもあちこちで観光客がエサをやっていたし野良ネコのほうも観光客の目にとまるスポットで待っていたりした。野良ネコが爆発的に増えるまでそう時間はかからないだろう。
ノラ猫コミュニティはノラ猫にエサをやるものたちのことだ。犬の場合は飼い主どうし仲良くなるがノラ猫の場合はお互い言葉をかわすことはない。だから厳密にはコミュニティと言えるかどうか疑問は残る。メンバーにはおよそ2種ある。「エサやり」と「ネコ撮り」だ。「ネコ撮り」は自分はコミュニティに属していないと思っているので一般人と同じ振る舞いをする。おそらく「エサやり」の予備軍的存在なのだろう。一方「エサやり」はコミュニティの中核を成し特有の文化を持っている。
これまでの私の観察によれば「エサやり」はだてメガネに帽子とマスクで顔を隠している。地域から白眼視されていることを自覚しているからだ。エサは手提げの紙袋に入っていることが多い。すぐに取り出せてなおかつ外からは何が入っているのか見えないからだろう。だから「エサやり」メンバーは老若男女さまざまでありながら一目でそれと分かる。彼らはエサを置くと見とがめられないうちに立ち去る。本当はネコがエサを食べるところを見たいのだがほとんどの場合は見ている余裕はない。人目につかない安全な場所があれば初めて彼らはノラ猫と触れ合うことができる。そうしたポイントをわたしは「ネコ場」と名付けた。
観光向けに整備されたポケットパークはほぼ「ネコ場」となっていた。そこが人目につかない町の死角だからだ。生きている町は迷路のようであっても巧みに死角を作らない。人目こそ町の安全を守る最低限の条件なのだ。空き家の増加で死角が生まれさらに観光向けのポケットパークが死角を広げる。だから野良ネコの増加はネコ問題にとどまらず町の安全が危機に立たされているという警鐘なのではないかとわたしは思っている。
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