2019年2月21日 (木)

夢日記 190221

 仕事で夜更かしが続いている。こういうときは夢を覚えていないことが多い。今朝はなぜか覚えていたのでメモしておく。

 金沢へ行く。斜面を街道と水路が並走する古い集落が点々と続く。駅のまわりは都市化が進んでいるがすぐ近くには立派な土蔵をいくつも構えた大正期くらいの和風民家がある。家の裏は低地になっていて織物工場の廃墟があった。
 街道筋のまちなかに近代建築があり見学する。工場のような鉄筋コンクリート造り3階建ての塔のような建物だ。友人と出会う。私は彼のことをよく覚えていないが、相手は私のことをよく知ってくれている。彼はここで古い機械を見つけたと興奮している。小さな巻き上げ機のようなものだった。
 友人たちと近くのカフェへ行く。そこからも空き地の増えた古い集落のようすがよく見えた。

(夢読み)
 空き地の多い廃墟的なまちはわたしの無意識を象徴している。。そこには活性的なものが見当たらない。無意識が意識とつながりを失っている状態を示すのだろう。そこで出会う友人たちはわたしの無意識に潜んでいるなんらかの未発達な部分だ。彼らは廃墟のなかにお宝が潜んでいることを知っている。わたしは彼らを通して無意識とのつながりを取り戻そうとしている夢だ。印象としては良い夢だった。

 わたしが古いものが好きであるという意識状態と夢に古いものが出てくるという無意識のあいだにどんな関連があるのか。夢の風景が現状を規定するのか。それとも現実で見た風景が夢に出てくるのか。どっちがインプットかと考えると現実で見た風景のほうがインプットなのだろう。夢はそれを象徴として扱っているわけだ。ではなぜわたしには無意識の世界が古い町に見えるのか。古い町のどこが無意識的なのだろう。ちょっと考えてみる。

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