2019.01.01、向日神社の笑う狛犬(天保15年)
初詣で1時間ほど並んだ。ようやくお参りして恒例のおみくじ(200円)を引いたところ半吉だった。地元の神社で吉以外のものが出たのは初めてだったので驚いた。半吉は小吉の下で末吉の上で、ようするに良くもなく悪くもないというほどの位置だ。
でも書いてある詩はなかなかよい。みくじの解説に沿って意訳するとこうなる。
「舊偬何日解 過去の過ちはいつか解けるだろう
戸内保嬋娟 家のなかに美人を保て
要逢十一口 吉祥と出合うことを求めるならば
遇鼠過牛邊 ネズミに遇い牛のかたわらを過ぎよ」
なんだかマザーグースのようなみくじである。家のなかの美人とは良き心のことだとみくじの解説にある。最後のネズミと牛が分かりにくいが、解説によれば子の時に丑の方角へ行けという意味だそうだ。子の時とは月なら11月、日なら12日間に1度巡る。丑の方角とは北東だ。具体的ではあるが意味はよく分からない。
解説では「病人長引く、失せもの出がたし、待ち人遅し、望み事遅し」と続き、とりあえず子と丑の方角に頼れとあった。さてこの詩は本当にそういう意味なのか。
みくじは最初の「舊偬(きゅうそう)」を旧い過ちと訳すが、辞書によれば「偬」は苦しいようすもしくは忙しいようすという意味で過ちとは読めない。
次に嬋娟(せんえん・せんけん)だが、これはあでやかで美しいさまという意味で美人や花にかかる形容詞だ。嬋娟が美人を直接指すわけではない。
この詩は五言絶句だ。五言絶句は「起承転結」でできている。三幕構成で言えば起承・転・結となる。つまり最初の2行はひとまとまりで読むのが正しい。ならばこの詩の1行目と2行目を素直に読めばこうなるだろう。
長い苦しみはいつ解けるのか
家のなかにはあでやかで美しいものを保っているのだが
なんだか「風に吹かれて」の一節のようだ。
三行目の「十一口」は吉の解字だそうだ。「要逢」は逢うことを求めるでよい。みくじの訳のとおりでよいだろう。
幸せと出逢うことを求めるなら
最後の「遇鼠過牛邊」が難解だ。ネズミと牛が十二支に相当していることは確かだろう。ここで注意したいのは子と丑が続いていることだ。子丑寅卯辰巳…の最初の子と丑だ。暦で言えば11月から12月を指す。つまり盛冬と晩冬に当たり、冬の半ばから終わりにかけての季節をいう。ネズミに遇って牛にすぎるとは、いずれ春を迎えるという意味ではないだろうか。
そう考えれば最後の2行は劇的に変わる。
幸せと出逢うことを求めるならば
いずれ春を迎えることだろう
この吉祥は妊娠を意味するのかも知れない。妊娠とは何かを産みだす、もしくは再生するというほどの意味だろう。そう考えればこの詩はこう訳すことができる。
長い苦しみはいつ解けるのか
家のなかにはあでやかで美しいものを保っているのだが…
幸せと出逢うことを求めさえすれば
きっと春を迎えることができるだろう
さて、みくじの吉凶は次の12通りだ。
大吉、中吉、小吉、吉、半吉、末吉、末小吉、凶、小凶、半凶、末凶、大凶
12通りあるということは十二支に対応させたということだろう。大吉から末吉までを陽気、末小吉から大凶までを陰気として十二支に対応させれば次のようになる。
やはり半吉は子(11月)に遇って丑(12月)を過ぎた寅(1月)に相当する。おそらくこのみくじは半吉は寅に当たるということをベースに書かれたものだろう。わたしにもようやく春がやってくるという宣託らしい。ありがたい。
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