グンゼ福知山を描いた
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ロケで初めて入った。数寄屋の名建築ということで自分に解説などできるだろうかとおそるおそる行ったのだが、存外にアットホームな感じだったので安心した。細部は村野らしい遊び心にあふれているが、これ見よがしなところやお高くとまったようなところがこれっぽっちもなかった。全体として居心地のよい和風ホテルが実現していることに注意を払うべきだろう。
庭の主役は露出した大岩で、それを取り巻く修道院のように建物が配置されている。岩に水をつたい流した作庭は小川白楊の手になるという。ここに元々あったお屋敷のための庭だ。村野はこの岩を正面として中庭を配置し、そこへヒョウタンと盃を描いた。これは岩から流れ落ちる霊水を盃で飲み干すという意味だろうとわたしは思う。
館名の佳水(かすい)はこのあたりの吉水(きっすい)という地名にちなむ。このあたりは太古より霊水の湧く聖地だった。南禅院や青蓮院などの名園はこの霊水を引き込んで整備された。佳水園は琵琶湖疏水から水を引いているが、それでも周辺の名園と同じような精霊のやどる庭として構想されたことが館名から創造できるだろう。
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明治になって西洋建築が導入されたが当初それを正しく理解できなかった。市井の大工が見よう見マネで造った擬洋風があるばかりだった。コンドルが招聘されて本格的な建築教育が始まり第1期生の辰野金吾が教授となるに至って日本にも建築家が誕生し正しい西洋建築が行われるようになった。
この史観の肝は江戸時代以来の伝統木構造は西洋建築導入と関りが無いということだろう。
さて山本治兵衛は幕府の公儀建築家・7代目立川知方の弟子だった。立川は宮内省の内匠寮で活躍した建築家で明治宮殿や高輪御殿などの作品がある。明治宮殿計画時に洋風案に対して和風にすべきだと強硬に反対したことで知られている。宮殿は立川の意見通りに和風で建てられた。
立川はコンドルの設計した上野の博物館も建てている。これは今でいう設計者と現場監督の関係のように言われているが実際はそうではない。今風に言えばコンドルは意匠設計者で立川は全体の設計と施工監理を行っている。上野の博物館の設計者はコンドル+立川とするのが正しい。
上野の博物館のような明治前期の洋風建築は立川ら日本の伝統建築の技能者らが中心となって造ったものなのだ。現在の史観にある江戸時代の伝統木構造は西洋建築の導入と関りが無いというのは大筋で間違っていると私は思う。
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最近になってこの曲線をきれいだと素直に思うようになった。竣工当初からこの曲線は取り沙汰されてきたが、今まではこれのどこがおもしろいのか分からなかった。でも最近この前を続けて歩くことがあり、そうすると歩くごとにこの曲線が流れるように変化して見えることに気づいた。とてもおもしろいしきれいだ。
この曲線は磯崎新特製のモンロー定規という雲形定規で描かれたものだ。マリリンモンローの身体の曲線を定規にしたもので磯崎はときどきこの定規を使う。それほどマリリンが好きなのか。勝手を言わせてもらうと手前の時計塔は邪魔なので取り除いてほしい。
おもしろいのはこの曲面が建物の正面になっているにも関わらず、ここにエントランスが無いことだ。普通に設計すればここがエントランスだよね。この建物はプラン的に納得のいかない部分が多い。でもそのチグハグさも建築のおもしろさのひとつだと思う。
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来る1月19日(土)午後に建築家大倉三郎をテーマとした講演会を開きます。講師はおなじみの石田潤一郎先生、西澤英和先生のお二方です。会場は大倉設計の京大農学部旧演習林事務所ラウンジです。参加無料ですが申し込み制です。先着順ですのでご興味のあるかたはお早めにお申し込みください。
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