聖徳太子のころの科学と仏教
聖徳太子のころ、仏教と科学とは一体化していた。技術を仏教から切り離して国家が管理することに朝廷は失敗した。それは奈良時代の八省に工部省が無いことで分かる。工部省は科学技術を管理する省庁だ。これがなければ軍事も作事もできやしない。結局藤原氏は仏教勢力を取り込むことに失敗し、日本はその後長く科学を仏教勢力にゆだねることになる。なぜか。
一体化という言葉は誤解を招きやすい。この言葉には科学と宗教とがもともと別々のものだというニュアンスがある。そうではない。科学はバラバラな知識が体系化したものだ。知識をひとつにまとめることによって初めて科学は世界を明らかにする力を得る。知識はバラバラなままでは世界にまで届かないのだ。そのまとめる力が仏の教えなのだと私は思う。
仏の前では人はみな平等であるという教えが知識を統合し知識を科学へと押し上げる。だから科学は仏教と切り離してはいけない。切り離したとたんに科学は世界を明らかにする力を失ってしまうだろう。それは西洋科学がキリスト教と一体化していたことにとてもよく似ている。西洋科学がキリスト教的な価値観の呪縛からいまだに解き放たれないこととよく似ている。
東洋科学は仏教的な価値観をベースに独自に発展したと考えてよい。宗教的な価値観は世の東西を問わず必ず科学のベースにある。それは科学の倫理性といった狭義のものではなく、科学を科学たらしめている根本に据えられるべきものだろう。そんなことを考えている。
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