田村川は冷たくて気持ちよかった
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いつか見たいと思っていた。かみさんがどこか行きたいというので思い切って行ってきた。朝早かったせいか他に見学者がおらず小一時間ほどゆっくり庭を眺めて過ごすことができた。とてもおもしろい庭だった。
写真で想像していたよりもっとコンパクトだった。見事な大刈込の造形が白砂に浮かぶようすはそれだけで美しい。大刈込とは植え込みを刈り込んで造形する手法のことだ。西洋のトピアリーと似ている。
ここは禅寺なのでこの庭も禅問答の公案(問題)となっている。一応、海原の宝舟というのが答えとして用意されている。そう見えなくもないが、むしろ龍穴から浮かび顕れる龍の頭のように見える。ここは見るもののイメージ力を試すための場だ。見る者、見る時によって答えは変る。禅の庭はおもしろい。
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オンラインゲーム「艦隊これくしょん」はこの8月に大型リニューアルをして24あった攻略マップ全てがリセットされた。ということでまた一からやりはじめている。正直めんどくさい。もう5年もやっていてこう言うのも何だが、このゲームは時間を忘れて熱中できるようなものではなく暇つぶしにやるものだ。ようするに地味なのだ。おもしろさは単に地道なレベリングで、配下の艦娘がレベルアップすると地味にうれしい。艦これはカードゲームだと思っていたが本当は育成ゲームなののかも知れない。現在、艦隊レベルは104の大将。タウイタウイ泊地所属。
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聖徳太子のころ、仏教と科学とは一体化していた。技術を仏教から切り離して国家が管理することに朝廷は失敗した。それは奈良時代の八省に工部省が無いことで分かる。工部省は科学技術を管理する省庁だ。これがなければ軍事も作事もできやしない。結局藤原氏は仏教勢力を取り込むことに失敗し、日本はその後長く科学を仏教勢力にゆだねることになる。なぜか。
一体化という言葉は誤解を招きやすい。この言葉には科学と宗教とがもともと別々のものだというニュアンスがある。そうではない。科学はバラバラな知識が体系化したものだ。知識をひとつにまとめることによって初めて科学は世界を明らかにする力を得る。知識はバラバラなままでは世界にまで届かないのだ。そのまとめる力が仏の教えなのだと私は思う。
仏の前では人はみな平等であるという教えが知識を統合し知識を科学へと押し上げる。だから科学は仏教と切り離してはいけない。切り離したとたんに科学は世界を明らかにする力を失ってしまうだろう。それは西洋科学がキリスト教と一体化していたことにとてもよく似ている。西洋科学がキリスト教的な価値観の呪縛からいまだに解き放たれないこととよく似ている。
東洋科学は仏教的な価値観をベースに独自に発展したと考えてよい。宗教的な価値観は世の東西を問わず必ず科学のベースにある。それは科学の倫理性といった狭義のものではなく、科学を科学たらしめている根本に据えられるべきものだろう。そんなことを考えている。
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古美術商山中商会の陳列所として大正9年に建てられた。山中商会は大阪が本店で欧米に支店を置く有力古美術商だった。かのフェノロサを京都へ案内したのも山中氏だったという。
建物は昭和11年に大幅に改装されて現在のような美しいタイル張りとなった。縦ラインで壁面を分割することで圧迫感を減らし、温かみのあるタイルによって柔らかい表情を形作っている。
清水組の設計施工だが、おもしろいのは壁は壁式レンガ造、床は鉄筋コンクリート造という異種構造の合わせ技であることだ。壁式は地震に強く、鉄筋コンクリート床は火災に強いといういいとこどりの工法だ。本野精吾設計の西陣織物館あたりから普及したようで、探せばもっとあるだろう。
絵は暑さでいい具合にとろけている。これぐらい意識の飛んだ感じの絵がいつでも描けるといいのだが。
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