レンガの塀を見つけた
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今年うちのマンションあたりで子育てしているのがこいつらだ。ハシボソカラスである。一番上にいるのが母ガラスで、その下3羽が子ガラスだ。なぜそれが分かるのか。
鳥が群れるときはたいがい上にいるのが見張り役だ。だから写真の一番左が見張り役だ。ほかの3羽は羽繕いで無防備になごんでいるが、見張り役はまっすぐ立って横を向いている。トリは横向きのときにこっちを見ている。
つまり見張り役はすでに私が写真を撮っていることに気付いて警戒しているわけだ。大事な子供たちに危害を加える人間ではないかと疑っている。こういう行動は子ガラスにはできない。だから一番左が母ガラスだと分かる。
子ガラスが生まれたのはおそらく5月で、まだ生後2ヶ月しか経っていない。カラスの子育ては来春までかかる。アホな子ガラスたちに狩猟のフォーメーションを教えねばならない。親はたいへんだ。がんばれカー助。
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明徳館は回廊があるのが一番の特徴だ。そこは談話したり読書したりできる学生のための貴重な場所だ。ちゃんと座れる高さの手すりがあることからも、ここに学生が溜まることを建築家は想定している。
大倉は京大でも回廊を作っているから、校舎には必要な場所と考えていたのだろう。この回廊のおかげでレンガ建物の並ぶ大通りとよく馴染んでいる。尖頭アーチや回廊は中世主義的要素だが大倉はこのキャンパスが中世主義的な田園都市であることを見抜いていたのだろうと私は思う。
スケッチは熱さのためにドロリと溶けている。描いているときも思ったが、この左右非対称ぶりはなかなかよくできている。まねしたいものである。
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グリーンの作品は明治17年の彰栄館に始まり、明治19年礼拝堂、明治20年有終館と続く。有終館が同志社におけるグリーン作品の最後となる。彰栄館にアメリカ製の時計が入ったのも同じ明治20年で、この年がグリーン作品のエポックであるし同時に今出川キャンパスの完成でもあった。その後に続くそうそうたる建築家たちもグリーンと新島の初志を受け継ぎ田園都市を造り続けた。
これもグリーンらしい建物だ。ここでは壁厚を調整することでバットレスと同じ補強効果を生み出そうとしている。それをデザインに活かして壁面に凹凸の表情をつけた。また焼き過ぎレンガを初めて使ってみせてレンガの模様積みを多用している。レンガという構造材そのものをデザインの主要素とするあたりがグリーンらしい。
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グリーンがあまり評価されないのはその素っ気なさに原因があろう。でもわたしはそれこそ彼の魅力だと思う。それはこの礼拝堂にも如実に表れている。彼のデザインは建物を飾り立てることの真反対を行く。無骨といえるほどの質実剛健さは、必要なものを必要なだけ与え給えという信仰の発露ではないのか。
この建物の魅力は側面に並ぶ控え壁だ。それが心地よいリズムを作ってくれる。正面ポーチも控え壁によって複雑な陰影が生まれる。構造的に必要な控え壁を積極的に利用してデザインの要としているのだ。彼のデザインは「用」と「美」が一致することにある。それはラスキン流の中世主義そのものだろう。
わたしはグリーンは中世主義者だと思う。グリーンは建築家である前に同志社を指導する宣教師であった。わたしは同志社の中世風のキャンパス計画は初期の同志社が中世主義的な世界観を有していたからではないかと考えている。
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今回のロケは同志社だ。ものすごく暑かった。これはまだ朝一番のスケッチなので、ちょっと天気がよいくらいの感じになっている。それでも日に当たっていると暑い。絵の具もシュッと乾いて気持ちがよい。
グリーンは残念ながらほぼ忘れられた建築家で、同志社でもとくに有名というわけではなかった。新島襄を支えた武闘派の宣教師で同志社創設にも深くかかわっていたはずなのにいまだに無名だ。作品について高い評価を見たことがない。でも見たとおり、とてもおもしろいのだ。
グリーンと新島はここに中世風の田園都市を作りたかったのだと思う。それがこのゴシックリヴァイバルの建物に表れているとわたしは思う。この建物で注意したいのは、この正面の窓が二重アーチになっていること。構造上の補強を意匠に役立てている。用と美が直結しているのがグリーンだ。
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宝物館のなかに五重塔の大きなモデルが安置してあり、その前に据えられている。長さ30センチほどで木彫に彩色したもののように見える。全体が白くて眉と口元に朱がさしてあり、なかなか愛嬌があってかわいい。以前も描いたことがあったと思うが、今回も描いてやった。
描いていると年配の女性が寄ってきて見ている。わたしもこんな風にさらさらっと描きたいと言う。素直な感想だ。わたしは絵が描けないので写真にしたと言って首から下げた一眼レフを掲げて笑っていた。誰でもこれくらい描けますよと答えておいたが、実際にこうやって「さらさらっ」と描けるようになったのは私の場合200枚くらい描いたころからかな。続けていると自然に描けるようになるものだと思う。これで5分くらい。
2018.07.01/クロッキー帳はがきサイズ、0.5シャーペン2B/奈良市元興寺
どこから描き始めたかお分かりだろうか。目からだ。目>牙>鼻>頭>耳と描いて胴体と足を付け足していった。わたしは部分を描き足していって全体へ展開させる。それは何を描いてもそうだ。普通は全体の割り付けをしてから細部へ降りていく描き方をするらしい。やってみたこともあるがわたしには難しかった。人それぞれ自分に合った描き方があるので、それはどっちでも構わないと思っている。
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