京都御苑でスケッチ授業をした
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日建設計の設計で1970年に竣工した。ロケのために久しぶりに訪れたが、思っていたより良い建築だった。
まずプランがおもしろい。巻貝のように展示室を重ねて中央に吹き抜けの階段室がある。複数の展示室から任意に選んで展覧会を開くことができるし避難動線も確保できる。よく考えられている。
構造は村野の兵庫近美と同じく短い柱が箱を支えている。箱を宙に浮かすことで軽やかな姿を得ている。また展示室の平面が台形のため斜めの壁が随所に現れて変化を与えている。
このように平面計画と構造と意匠とがお互い密接にからみあってワクワクするような建築を作り上げている。なかなかこういう設計はできない。70年ごろの建築にはこういうワクワク感があるので楽しい。
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兵庫県但馬の養父市公民館のスケッチ教室始まった。建築士会但馬支部で開いてきたスケッチ会を公民館の事業に移してくれたものだ。
初回は市内のグンゼの工場跡を描いた。初心者が多かったのでもっとも簡単な正面描きを説明した。全員が1時間で色塗りまで仕上げることができたのでうれしかった。2枚描いた方もあってなかなか気合が入っている。次回も楽しみである。
問い合わせ申し込みは八鹿(ようか)公民館まで http://www.city.yabu.hyogo.jp/3902.htm
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ロケで関西美術院へ行った。25年ほど昔、実測調査をしたことがあって、あの図面は役に立ったと言ってもらった。武田五一30才代の作品だが、改装と増築を繰り返し元型がどうなのか今いち掴めないのがもどかしい。じっくり腰を据えて徹底的に調べてみたいものだ。
ロケから帰ってからひとつ思いついたのは架構が工場建築に似ていること。片流れトラスなのだが、窓があるほうの柱がトラスの束を兼ねている。よく考えたらちょっと不思議な軸組で、そのおかげで窓側がすっきり納まっているのだ。武田らしい合理性に満ち満ちた作品だったのだ。
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今回ロケから夏服に着かえた。最近はロケ中にこどもたちが寄ってくることが必ずある。テレビで見た人物が実際に歩いていることによほど興奮するらしい。目をピカピカさせてまとわりついてくる。おまえたちの方がよほどおもしろいよ。
< 番組表 >
● 続・京都建築探偵団 KBS木曜夕 18:55ー19:00(野球中継で時間変更あり)
5月 西陣エリア(島津アリーナ、衣笠会館、喫茶シズカ、京都市考古資料館)
6月 黒谷エリア(京都市動物園観覧車、関西美術院、旧武徳殿、泉屋博古館(戦後)、金戒光明寺大方丈)
7月 荒神口エリア(折衝中)
8月 八坂北エリア(仮)
● 京都建築探偵団(再放送)
・ KBS 日曜夜 22:15ー22:30
・ とちテレ 土用朝 9:40ー9:55
・ BS12 不定期(番組表)
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5名がそれぞれ描きたいものの写真等を持参しパースに起こした。古建築の外観、近代建築の内観、パリの街角などバラエティに富んでいる。個別指導が前提となるので教えるほうは手間が増えるが、自分の描きたいものを時分で見つけることも大事な勉強だと思っている。2時間で着彩まで行う。まだ始まったばかりだが、次第に個性化しているのが楽しい。会場は建築家矢部達也氏の運営するまちの縁側「CUT the CORNER」をお貸りしている。体験無料なので興味あるかたは遊びに来てほしい。
教室のホームページ http://tanuki.la.coocan.jp/tanteitop.html
2018.05.07、大阪市
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授業で自分の学生時代のスケッチを紹介した。絵の感じが今と同じなのがよく分かる。おもしろいのでここに上げておく。
1981.07.13/マルマンスケッチブックF8、エンピツB4、不透明水彩/京都市左京区、松ヶ崎浄水場
わたしの初めて描いたスケッチがこれだ。中学まで美術の授業があったが嫌いだったので自発的に絵を描いたことは無かった。大学に入って恩師である竹内次男先生に建築をやるならスケッチせよと言われて初めて描いたのがこれだ。絵が右に傾いているところなど今と同じだ。
1981.08.02/マルマンスケッチブックF8、エンピツB4、不透明水彩/大阪市、心斎橋変電所
2枚目は心斎橋の変電所。これはもう無い。武田五一と聞いてスケッチにおもむいたのだが、どのへんが武田なのだろうか。あのころはリストもしっかりしてなかったからガぜネタだったのかも知れない。というより20歳のころから武田を追っかけていることに驚く。
1981.08.03/マルマンスケッチブックF8、エンピツB4、不透明水彩/京都市下京区七条大宮
3枚目は京都。これももうない。このころは色は家に帰って塗っていた。その場で彩色するようになるのは天王寺スケッチのころだから2010年からだ。そうしたのは東京神楽坂の建築家鈴木喜一の影響だった。
スケッチブックはマルマンのF8(452ミリX379ミリ)ととてもでかい。これは恩師の指定だったが、なぜこんなでかいものを持たせたのか謎だ。
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