20歳のスケッチ
授業で自分の学生時代のスケッチを紹介した。絵の感じが今と同じなのがよく分かる。おもしろいのでここに上げておく。
1981.07.13/マルマンスケッチブックF8、エンピツB4、不透明水彩/京都市左京区、松ヶ崎浄水場
わたしの初めて描いたスケッチがこれだ。中学まで美術の授業があったが嫌いだったので自発的に絵を描いたことは無かった。大学に入って恩師である竹内次男先生に建築をやるならスケッチせよと言われて初めて描いたのがこれだ。絵が右に傾いているところなど今と同じだ。
1981.08.02/マルマンスケッチブックF8、エンピツB4、不透明水彩/大阪市、心斎橋変電所
2枚目は心斎橋の変電所。これはもう無い。武田五一と聞いてスケッチにおもむいたのだが、どのへんが武田なのだろうか。あのころはリストもしっかりしてなかったからガぜネタだったのかも知れない。というより20歳のころから武田を追っかけていることに驚く。
1981.08.03/マルマンスケッチブックF8、エンピツB4、不透明水彩/京都市下京区七条大宮
3枚目は京都。これももうない。このころは色は家に帰って塗っていた。その場で彩色するようになるのは天王寺スケッチのころだから2010年からだ。そうしたのは東京神楽坂の建築家鈴木喜一の影響だった。
スケッチブックはマルマンのF8(452ミリX379ミリ)ととてもでかい。これは恩師の指定だったが、なぜこんなでかいものを持たせたのか謎だ。
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