2018年4月13日 (金)

「続・京都建築探偵団」西陣を行く

 今回のロケは西陣を選んだ。最後に訪れた旧西陣織会館はレンガ造とされてきたけど、どう見ても鉄筋コンクリート造だった。正確に言えば、外壁はレンガ造だが床は鉄筋コンクリートなのである。これは武田五一と日比忠彦の取り組んだ旧京都市商品陳列所と同じ構造だ。

 会館で見せてもらった沿革誌によれば現場監督は難波新平が担当したとあった。難波は日比とともに京都初の本格的鉄筋コンクリ―ト建築である京都高島屋本店を設計した建築家である。

 高島屋の竣工は明治45年で会館竣工の2年前のことなので、会館と同じ構造だった可能性がある。いずれにしても高島屋の飯田家は京都繊維業のリーダーだったから、新会館を高島屋と同じ構造で造ることを推奨したのかも知れない。

 日比は武田とともに大型鉄筋コンクリート建築の大阪朝日新聞社本社を1916年に竣工させている。それも併せて時系列に並べると次のようになる。

1909年 京都市商品陳列所(武田、日比)
1912年 京都高島屋本店(日比、難波)
1914年 旧西陣織会館(本野、難波)
1916年 大阪朝日新聞社本社(武田、日比)

 見事に繋がるのである。武田と日比は学科は違うが東京帝大の同級生で親友であった。本野は武田が京都高等工芸学校の教員として京都へ招いた東京帝大の後輩だった。

 これまで旧西陣織会館はそのデザインの革新性が取り沙汰されることが多く、その構造に注目されることはなかった。しかし振り返ってみれば本野精吾は常に新しい構法に貪欲だった。旧西陣織会館は彼の初期の作品であるが、その時点ですでに新工法を試していたというのはいかにも彼らしいではないか。近代建築はデザインだけではなく構造や設備も含めて再評価したほうがよいと私は思う。


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2018.04.13、京都市上京区

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