2018年4月24日 (火)

本野精吾の京都市考古資料館を描いた

 ロケのために3階に初めて入った。すばらしかった。西陣織会館として建てられたので壁は西陣織だった。さすが西陣織だけあって色あせがほとんどなかった。西陣織の建材化は武田五一や浅井忠らが赤坂離宮で取り組み始めたことだが、それは本野精吾にも受け継がれていることがよく分かった。


180413
2018.04.13/ワトソン紙ハガキサイズ、グラフィックペン0.5、固形透明水彩/京都市

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