梅田キャンパスから描いてみた
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福知山市の「まいまい堂」の照明の影がとてもきれいだ。まいまい堂は手作りお菓子のおいしい居心地のよい喫茶店。併設したギャラりーの催しも楽しいぞ。
まいまい堂のホームページ http://1st.geocities.jp/tentecomaimaido/menu.html
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初めて見せてもらった。恩師富家先生の出世作だ。観客席のを支える斜め梁をフライングバットレス風に扱っていてローマのコロセウムを思い起こした。
立体トラスは十数本に分割して1本づつリフトアップしたようだ。丹下は300㎡の万博お祭り広場の立体トラスをいっぺんにリフトアップさせて驚かせたが、あれはミースのベルリンナショナルギャラリーの受け売りだった。ここでもいっぺんに揚げてもよかったと思うが、おそらく観客席が邪魔になってトラスを組む平地が無かったのだろう。そうした様々な技術的検討の末に分割リフトアップとなったのだろう。
立体トラスは分解したものを調整しながらつなぎ合わせやすいという利点がある。利点を生かして工期の短縮を図り工事費用の低減を得るという作戦だったのだろう。さすが富家先生である。
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風水講座と言っても占いやスピリチュアル系ではない。わたしは扱うのは江戸時代までの常識であった陰陽五行説や易である。こうした常識が失われて意味や理由が分からなくなったものが日本文化には多い。
たとえば五目寿司は五色の食材を混ぜ込むが、これは5つの気を過不足なく揃えることで完全な状態を擬似的に作りだして祝い事への供え物としているのだ。
たとえば日本では太陽を「赤」で表現することが多いが、これは火気に配当された色が赤だからである。実際の太陽は白か黄色に見える。ちなみに朝夕だけ赤くなるが、そのときは太陽の火気が増していると考えられた。朝日や夕陽にたいする信仰や習慣は火気由来であることが多い。
講座では毎回そんな話をする。決して運気を強める方法などを講義するものではないことをお断りしておく。
<風水講座の特徴>
1.図を使って分かりやすく解説する。
2.謎解きを通して応用力を養う。
3.毎回完結するので途中休んでも大丈夫である。毎回一から説明するので続けて聴講すれば理解が深まる。
< 第1期スケジュール >
4月28日(土)午後6時ー7時半 「伏見稲荷の鳥居はなぜ赤い」
5月26日(土)時間同上 「六角堂ななぜ六角形なのか」
6月23日(土)時間同上 「二条城はなぜ二条にあるのか」
各回の詳細はホームページを参照 http://www.tukitanu.net/2018/02/post-61ef.html
申し込みは神明舎まで http://shinmeysha.strikingly.com/
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今回のロケは西陣を選んだ。最後に訪れた旧西陣織会館はレンガ造とされてきたけど、どう見ても鉄筋コンクリート造だった。正確に言えば、外壁はレンガ造だが床は鉄筋コンクリートなのである。これは武田五一と日比忠彦の取り組んだ旧京都市商品陳列所と同じ構造だ。
会館で見せてもらった沿革誌によれば現場監督は難波新平が担当したとあった。難波は日比とともに京都初の本格的鉄筋コンクリ―ト建築である京都高島屋本店を設計した建築家である。
高島屋の竣工は明治45年で会館竣工の2年前のことなので、会館と同じ構造だった可能性がある。いずれにしても高島屋の飯田家は京都繊維業のリーダーだったから、新会館を高島屋と同じ構造で造ることを推奨したのかも知れない。
日比は武田とともに大型鉄筋コンクリート建築の大阪朝日新聞社本社を1916年に竣工させている。それも併せて時系列に並べると次のようになる。
1909年 京都市商品陳列所(武田、日比)
1912年 京都高島屋本店(日比、難波)
1914年 旧西陣織会館(本野、難波)
1916年 大阪朝日新聞社本社(武田、日比)
見事に繋がるのである。武田と日比は学科は違うが東京帝大の同級生で親友であった。本野は武田が京都高等工芸学校の教員として京都へ招いた東京帝大の後輩だった。
これまで旧西陣織会館はそのデザインの革新性が取り沙汰されることが多く、その構造に注目されることはなかった。しかし振り返ってみれば本野精吾は常に新しい構法に貪欲だった。旧西陣織会館は彼の初期の作品であるが、その時点ですでに新工法を試していたというのはいかにも彼らしいではないか。近代建築はデザインだけではなく構造や設備も含めて再評価したほうがよいと私は思う。
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