2017年7月 5日 (水)

【西京めぐり】5.浄住寺から地蔵院へ

 浄住寺には不思議な物語があった。

 昔、お釈迦様が亡くなったとき、お釈迦様の歯が盗まれた。それを取り戻したのが韋駄天(いだてん)だったそうだ。その歯は海を渡って日本に至り、嵯峨天皇がこの寺に納めた。それは寿塔のなかの穴倉のなかにあり、その上に大石が置かれているという。その後、地元の葉室一族が鎌倉時代に西大寺の叡尊を招いて再興し、さらに江戸時代になって鐵牛禅師によって再興された。

 このお話しをうかがったときは分からなかったが、そのあと隣接する地蔵院へ行って葉室の意味に気づいた。

 地蔵院は室町時代の幕府管領細川頼之の建てた寺で、一休禅師が幼少期を過ごした寺としても知られているそうだ。竹の寺の異名のとおりうっそうとした竹林のなかにあり、ここもまた別世界が広がっている。

 頼之公の墓が興味深かった。生前、立派な墓は立てず石を置くだけにせよと言い残したそうで、大きな石がどんと置いてある。ある種の自然葬をイメージしたものだろうが、これを見たときに葉室(=歯室)もこういうものなのだろうと気づいた。

 石の際から生えた木が大樹となり石をからめとった姿は迫力があった。墓なのに生命力にあふれている。歯室を葉室と読み替えたのは植物の生命力にあやかったからだろう。この地域はこうした特殊な埋葬法が残っており、それは再生儀礼でもあったのではないか。

 墓に石を置くことは古代から行われてきた。その石に地蔵を刻むようになり、葬送地には石地蔵があふれることになる。地蔵信仰は仏教以前の葬送儀礼を引き継いでいるように見える。頼之公の墓に木が生えたのは偶然であったろうが、それでもそのようすからは置かれた石には再生の祈りが籠められていることを感じる。


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2017.05.28、京都市西京区地蔵院

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