【猪名川町めぐり】 4.多田銀銅山の古い露頭掘り跡
露頭掘りの跡を初めて見た。なかなか迫力がある。この採掘跡は古いことは分かっているが、どこまで古いのかは分かっていない。わたしは秀吉のころではないかと思う。
多田の銅山は奈良の大仏建設のために奉納されたという伝説がある。わたしはそういうこともあったろうと思う。思い返せば丹波高原は鉱物資源の宝庫であるし、丹波勢は神話時代からの一大勢力だ。よく考えれば丹波の「丹」が鉱物だ。丹波=丹庭は鉱山を指すのかも知れない。
こちらが新しい坑道で中が見学できる。この坑道は削岩機を使ったものなので新しい。露頭掘り跡はこのすぐ上にある。
坑道の岩肌に鉱脈が筋となって見える。鉱脈とは岩のあいだに挟まった薄い紙のようなものだ。地上の露出した部分から掘り始め、深くなると山腹から横穴と竪穴をつないで鉱脈までショートカットして掘り続ける。そのことがよく分かった。
青木間歩の横の川は底の岩が平に削られていた。これは高瀬船を通すための大掛かりな整備だろう。これだけ大掛かりでありながら誰も気づいていないのは、地域調査が甘いとしか言いようがない。
採掘された鉱石は小規模ならばその場で精錬されたろうが、規模が大きくなると精錬所まで船で降ろすしかない。これはそのための遺跡であって、そのスケールの大きさから秀吉を思わずにはいられない。
わたしは今まで多田源氏がなぜ川西にいるのかよく分かっていなかった。これは多田銀銅山の猪名川舟運の利権を握った水賊なのだ。戦国時代の丹波勢の強さは鉱物資源の運搬を担っていたことによるのだろう。
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