第1回JIAデザイントーク2016へ行ってみた
摂南大の同僚である田所(たしょ)克庸さんと、兄弟で建築事務所をなさっている中村重陽・中村紀章さんの二組が発表した。おもしろかったので感想をメモしておく。
中村兄弟は「リサーチ」と名付けた街路調査をなさっているのがおもしろかった。歩いてはいけないところに道のできる「都市のけもの道」がおもしろかった。
彼らは徹頭徹尾「はみ出し行為」への関心が高く、「どんつき」では自転車や植木のはみだしが路地の居心地の良さを作ると考えて住宅を設計したり、屋台の暖簾や店舗のテント庇がはみ出し行為を誘発していることに注目して包焼きのピザ屋を設計したりと八面六臂の活躍だ。
「リサーチ」は街のさまざまな行為のコレクションだ。街を見る楽しさが建築を作るモチベーションに直結している。それは一昔前のパターンランゲージのような胡散臭いものではなく、人が暮らす活き活きとした「場所」を発見する楽しさだろう。彼らが見ているのはデザインではなく、人と人との関係性なのだ。そこのところにわたしは激しく同意するし、それを理解できなかったコメンテータに失望もした。
このトークショーがおもしろかったのは、中村兄弟の建築術が田所さんの発表と響き合っていたことだ。田所さんは最初に泉州のタマネギ小屋を取りあげる。わたしはタマネギ小屋の造形美を愛するが、彼はもっと別のところを見ていた。小屋そのものはスカスカのがらんどうだが、秋になってそこにタマネギがぎっしり詰まったときに小屋は建築として完成するという。彼は建築は構造単体では完成せず、そこにタマネギのような「人のいとなみ」が加わって初めて完成すると主張する。これは結構、建築の現在に対する鋭い批判なのだ。
彼と中村兄弟の共通点は、建築は建築家の思ったとおりに使ってもらえるわけではない、という自覚だ。それはマイナス要因ではなく、むしろそこにこそ建築の意外性やおもしろさがあるという前向きな主張である。建築家という祭り上げられた立場を捨ててこそ、ようやく建築を楽しめるのではないか。今をときめく祭り上げられた建築に対する力強い反骨を私は感じて心地よかった。
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