満月の花「自家農園産の春菊サラダと豚肉と小松菜の味噌炒め」
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仕事をする気にならないのでこれを読んで過ごした。遅読を自認するが1日で読んでしまった。これはアニメ「氷菓」で有名になった古典部シリーズという学園ものの推理小説だ。わたしはアニメは好きで何度も観ているが原作を読むのはこれが初めてだった(ちなみにこの話はアニメ化されていない)。キャラをよく知っているせいか、そのキャラが言いそうなことを言いそうな言い回しで言ってくれるのが気持ちよかった。長編なり連載なりでしか味わえない醍醐味だと思う。今月末に新刊が出るらしい。たぶん買うと思う。
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ゼネコンの30歳代の現場監督。発電所の仕事が終わって一息ついていると部長に呼ばれて京都の現場へ行けという。はい分かりましたと言ってみるとそれが桂離宮の修理現場だった。
離宮ができて350年にして初めての大修理という国家的事業だ。伝統木造のエキスパートが着任するまでのつなぎと言われたはずが、結局ひとりで6年の工期の面倒を見ることになった。上には当代を代表する学者による委員会があり、現場には数百年の歴史を背負う職方があり、どちらも初めて会う人たちばかりのなかを右往左往しながら現場をまとめていく人情話だった。こういう人情が現場から消えて久しい。最後に職人芸は代々受け継がれていくということを力説なさっていたが、現場監督芸は誰が受け継ぐのだろうか。
一番おかしかったのは、現場の覆い屋(素屋根)の設計を構造設計の大家が担当したが、現場の一木一草を損なわないように昔風の木造で作ることになった。その材料に相当長尺の丸太が指定されており、そんな高価なものを使わなくてもいいでしょうと言うとその大家が怒りだしたそうだ。
「そんなものを使わなくてもいいでしょうと言ったら怒り出しましてねぇ。仕方がないので泥川まで先生を連れていって原木を200本買ってきました」
もちろんゼネコンの持ち出しである。このあたり今とは違って現場代理人の権限が強いなぁと思う。おそらく話はすぐにゼネコントップに伝わっており、トップと先生方との話もついていたのだろう。そんなことは露知らず、現場監督は連日先生方や人間国宝級の職方の無理難題(本当は無理でも難題でもないのだが)に振り回されるのであった。
6年の修理を通じて人生が変わったとおっしゃる。わたしはお話しを聞きながら、この人は最初から何も変わらなかったのではないかと思った。結局、先生方も職片も一世一代の大仕事を前にして緊張していたのだろう。それは良い仕事を残したいう純粋な気持ちだ。そのことを理解して、それぞれの力を最大限に引き出したのは現場監督の力量だ。彼は仕事を好きになってもいいが惚れてはいかんとおっしゃった。現場の中心にありながら、現場を突き放して見ることができるというのはただごとではない。こういう得難い方があってこそ、この国家的事業も無事に成功を納めることができたのだと思った。たいへん勉強になりました。水本先生ありがとうございます。
京都建築専門学校市民講座Vol.29-2「桂離宮昭和大修理御殿整備工事の現場から」
講師 元㈱大林組桂離宮工事事務所所長 水本豊弘氏
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明け方に見た夢で少し覚えているのでメモしておく。
大きな交差点で自分の車が私を残したまま暴走してどこかへ行ってしまう。探したところ、交差点の近くの路地に突っ込んでいた。路地の住民のおじさんが、植木鉢を壊したので弁償しろと言うので3000円を払った。
自動車は自転車に変っていた。パンクしている。おじさんが修理するなら近くの万能屋へ行けと助言してくれる。自転車尾を押して路地を行くと自転車屋があったが看板が無いのでその店かどうか分からない。しかたなくその奥へ行くと製材所に入り込んでしまう。誰何されたので、迷いましたと言い訳して逃げる。
路地のなかに空地が多く、これまで見過ごしていた木造の工場がよく見えた。路地の奥に広い更地があった。造成中だが、人の歩く道がある。おもしろいので写真を撮ろうとするがうまく撮れない。近くのビルの上で撮ろうとしていると母親や娘が上がってきて何を撮っているのかと問う。
瀬戸内海に面した河口域で知らない現代作家4人と会っている。新しいアートフェスの下見だ。山に挟まれた静かな水田地域で、小さなあずまやで相談している。4人が話しかけてくれたのでようやく会話に加わることができた。お前は話してみると案外おもしろいなと言ってもらう。
周辺を探索しようと小さなモーターボートに乗り込んで迷路のような水路をいく。途中で観光用のボートをぶつかりそうになる。その後、わたしの管理する空き地のそのばを通るが境界ロープをボートがひっかけてしまう。下船してそれを元に戻す。隣家の門灯を落として壊す。その家の娘が出てくるが、言ってる意味が分からない。
アートフェスで見かけた人と出会うのであいさつする。付いていくと彼女らは2階建てのアパートに入っていく。自分はその手前の医院建築がおもしろいので写真を撮ろうと思アアーチストたちに待つよう言う。写真を撮る向きを考えて空地を移動しているあいだに建築が無くなってしまう。
道端で娘がこの後どうするのかと問う。私は街歩きを続けたいが娘を連れて寺院へ行くことにする。
(夢読み)
暴走する乗り物が出てくる。これは単に体調の悪さを示すのかも知れない。常に仲間といることは良い夢だ。創造性を表すものが娘や女性など会話可能な状態で出てくるところの良い。ただし何かを教えてもらうまでに至っていないという状況だ。空地から見える傾いた魅力的な工場や更地にできた道など、新しい価値の発見を予見している。全体的に良い夢の範疇で、新しい創造性の前で足踏みしている状況を写すのだろう。分かりやすい夢だと言える。
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100章のうち1章分を担当した。1200字の小文だが京都の近代建築の特徴として聴竹居など住宅改良運動の成果と地域に根差した小学校建築群を紹介しておいた。編集部から直で依頼を受けたが、やはり今年出した「京都大阪神戸名建築散歩マップ」のおかげだろうか。ありがたし。
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前から見たいと思っていた。なかなか格好良かった。柱が思ったより細かった。屋根を支えるだけだからだろう。外壁側に不格好な耐震補強が張り付いていたが、昭和25年の東南海地震を耐えた建物だから過剰補強だと思う。大梁も小梁のハンチがついているだけでなく床スラブににもハンチがあった。あまり見たことがない。ようするに屋根スラブの鉄筋を大梁へ挿しこんでいるのだろう。屋根スラブを固めるための工夫なのだと思う。
資料では渡辺節の設計となっているがそれはおそらく間違いで、本当は増田清なのではないかと私は思っている。増田は同時期の奈良機関車庫を設計したことが分かっているからだ。奈良のほうはラッパ柱の無梁構造だった。なぜ京都はラーメン構造にしたのだろうか。やはり設計者が違うのか。
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以前からおもしろいタイルだと思っていた。今日たまたま通りがかり信号待ちの間に観察していた。最初、間違いには気づかなかった。タイルは2種類であることが分かった。たった2種類で複雑な模様が描けるものだと感心しながら、もっと別の貼り方もあるかなぁと考え始めたところで違和感を覚えた。そこでよく見てみるとこの間違いを発見したというわけである。竣工から30年ほど経っていると思うが、間違いに気づいた者はいたろうか。タイル屋さんが気づいておれば貼り直すだろうから気づかなかったのだろう。現場監督が気づくべきだが、ちゃんとタイル屋さんの作品を見ていなかったのだろう。これは監督さんとしてはどうかと思う。もちろん設計者も見ていないわけだ。ちょっと悲しい。
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建工祭の名物のお茶室へ寄ってみた。去年の部材を再利用しているが結構新しくなっていた。シンプルな架構と丁寧な刻み仕事が見ごたえがあった。去年より茅葺きの厚みも増していてかっこよかった。
今回初めてお茶をおただいた。堀川通りの車の音と商店街の有線音楽の日常的な音環境のなかで、濃い抹茶をいただいていると不思議に落ち着く。冷たい初冬の風と暖かいお茶の取り合わせは、開放茶室ならではの醍醐味だろう。
同席したのが裏千家の学校の学生さんたちで、ひとりはウクライナからの留学生だった。彼女らも大層このお茶室が気に入ったようだった。期せずして国際交流も果たした今年の建工祭だった。
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