2016年9月10日 (土)

【伊予旅行】12.臥龍山荘(2)

 清水の舞台のような懸け作りの草庵があった。眼下に肱川が一望できる。名を不老庵という。ここは藩政時代からの庭園だったそうだ。吉野の桜、龍田の楓などはそのころのものだというので、庭園の骨格はそのままなのだろう。崖の中腹にしがみつくように作られた細長い庭園で茶室が点在する。ここは茶庭なのである。

 明治以降荒廃していたのを木蝋で財を成した神戸の河内家が復興した。建物はすべて河内の再興したもので、あちこちに呪いめいた趣向がこらされており、数寄屋造りというよりもゴシック趣味である。なかでもこの不老庵が極め付きだ。

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 天井が網代貼りのヴォールトになっている。こんなの初めて見た。船底天井との説明があるが、わたしは南方の高床式民家を思い出した。河内家は南方とも交易していたのではないか。驚くことに対岸から仲秋の名月が登るとき川面に反射した月光がヴォールト天井に踊るのだそうだ。まるで銀閣ではないか。

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2016.08.25、愛媛県大洲市

 この茶室を特徴づけているのはそれだけではない。ひとつは違い棚を設けない2間幅の大きな床の間。こういうのも見たことがなかった。この床の間の右側に小さなお茶室がある。

 もうひとつは床の間左の裏にある生きた捨て柱だ。捨て柱とは軒を支える独立柱のことで、ここには3本ある。そのうち1本だけが生えたままの槙の木を上端を切って軒桁を載せているのだ。生きた柱は初めてみた。今も青々と葉を茂らせているのを見て背筋が寒くなった。これって横溝正史の世界ではないのか。

 いったい謎がいくつあるのか。
 まず、なぜ懸け作りなのか。そしてなぜ床の間に違い棚がないのか。そして生きた柱とは何なのか。謎解きは次回。

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2016.08.25、愛媛県大洲市

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