【伊予旅行】13.臥龍山荘(3)
なぜ懸け造りなのか
懸け造りはたいがい磐座に懸けられる。清水寺が筆頭だが、千葉県の笠森観音、鳥取県三仏寺の投げ入れ堂などいずれも岩に懸けられている。これは磐座に降りた天神に舞を奉納するための舞台だ。ここ大洲神社のある丘が神楽山というのも、ここが奉納舞の聖地であったことを示すのだろう。不老庵が懸け造りになっているのは、それを模倣したものだが、元からそういった舞台があったと考えた方が自然だろう。
生きた柱とはなにか
違い棚の無い床の間は神棚だろう。床の間の中心に床柱を置くのは床柱を神に見立てた神棚の形式だと思うが、これは床板そのもを神棚になぞらえている。従ってここを使うときには神明を書いた掛け軸をかけるか神格を表す唐物を置くはずだ。左右にはもちろん供花があるがこの場合は右側だけでよい。なぜなら左側の壁の向こうにすでに生きた槙の木の柱があるからだ。槙は高野山系が使うコウヤマキだろう。これは生きているのではなく活けてあるのだ。
再生のための茶室
茶室は床の間の北側に置かれる。北は水気の領域だ。茶は知られているように土気だ。五味のうち苦味が土気に配当されるからだ。茶に用いる水は背後の岩にうがたれた穴から汲むようだ。岩は磐座であり神気に満ちる。しかも岩の青は龍を示し、臥龍の名のとおり龍脈が露呈していることを示す。
岩は金気であり水気を生むが、そこで生まれた水は龍脈と神気によって真の水となる。真の水とは木気を生み出す力のある水気のことだ。この茶室が「怡性」と名付けられたのは「怡性养神」つまり怡(悦び)の性(本性)により神(神気もしくは精神)を养(養)うという意味だろう。この悦びとは本来は舞であったはずだが、ここでは茶がそれに代わる。土用で強められた水気が木気を生み出す。神気に満ちた木気によって精神は再生される。
生きた柱のもうひとつの意味
捨て柱の方角は床の間から見て南西に当たる。これは二黒土星の方角で大黒天の方角だ。大黒天は土気でもある。従って、この方角に生きた木気を置けば土用によって木気が完成する形となる。それは大黒天そのものの完成でもあったろう。
生きた柱、青い岩、龍、こうしたものは全て強力な木気を示す。おそらく大黒天は観音と習合していたはずだが、明治期に修験道が廃された今となってはよく分からない。しかし観音信仰の篤い四国ならではの何かがあったのだろうと想像できる。トミス山に冨士の字を当てたのは不死の山を連想した行者たちだろう。そこへ不老庵を向けることで不老不死が完成する。つまり茶の力によって増強された最強の木気が再生を行うという筋書きだっただろう。
長くなったので続きは次回。月光について考える。
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