【伊予旅行】2.窯元の土管煙突を観察した
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電話が鳴った。受話器をあげるのは50歳半ばになってもまだ苦手だ。20代後半で社会に出たとき先輩の「ハイ、○○建築事務所でございます」とスラスラ言うのに憧れた。「ございます」と言うのは思っているよりも難しい。言いなれないようすがすぐ表に出てしまう。だから今はたいてい「ハイ、エンマンジです」で済ましている。最近では電話の相手はたいがい年下なので謙譲語は使わなくてすむのが便利だ。
「ハイ、エンマンジです」
「あ、建築学校でお世話になっております」
相手は、建築学校の苦労人事務長だった。年上だが、今さら謙譲語でもあるまいと思っていると、相手は謙譲語で畳みかけてきた。
「先生に折り入ってお話しがあります」
うわ、なにこれ! 長くもない人生だが、人から折り入ったお話しをうかがった経験がない。わたしはとっさに授業を増やしてもらえるのかと身構えた。でもその折り入った話は同総会誌にエッセーを書いてほしいということだった。期限が短いので低姿勢のお願いになったようだ。わたしはがっかりして答えた。
「いいですよ。で、字数はどれくらいですか?」
結局原稿用紙4枚ほどの原稿依頼で、それなら毎日書いているブログ程度じゃないか! どこが「折り入って」だ! 脅かすんじゃねぇよ!
あとでかみさんにこの話をした。
「建築学校から折り入ってお話しがあると電話があったよ」
「!……なにそれ、悪い話じゃないでしょうね!」
「いや、あの、ただの原稿依頼だった」
「脅かさないよ、もう」
かみさんは、講師をクビにでもなったと思ったらしい。ああ、なるほど「折り入った」話ならそっちのほうがありそうだ。クビになるより給料が増えることをとっさに思った自分が恥ずかしい。それにしても「折り入った」話はたいがい悪い話なのだろうか。次からは注意しよう。
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今はもう使っていない。6室の大型窯だ。かつてもいくつもあったようだが、今はここしか残っていないという。元は9室あったそうだが上3室は取り壊された。おそらくガス窯に変えられたのだろう。下6室は斜面であったため、取り壊しを免れたようだ。
わたしは残ったこの窯を砥部焼きの若手で使えばよいと思う。兵庫県の立杭焼きでは登り窯を復活させた。その教育的な成果は現れ始めているように見える。砥部焼は「くらわんか」と呼ばれるお茶碗の産地だ。古い「くらわんか」を見ると、茶陶にはない生活雑器の魅力にあふれている。手間暇かかり失敗も多い登り窯を復活させれば、工芸の魅力を取り戻すきっかけになると思う。
砥部焼きのことは前知識なしで入ったが、砥部焼伝統産業会館と梅山窯の資料館のふたつを見て全貌を知ることができた。砥部焼は伊万里から技術移転した日本で数少ない磁器の産地だ。砥部とあるように、ここはもともと砥石の産地で、その粉を使って焼いている。大洲藩による勧業政策によって生まれた産地のようで、磁器を始める前に陶器を作っていた時代もあるようだ。
窯を作るレンガは「トンバリ」と呼ばれるらしい。何度も積み直しているようで、窯内部で自然釉によって美しく変色したトンバリを外部でも見ることができる。とてもきれいだ。もうこれだけで建築美としては完成しているとわたしは思う。
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コウモリの引き手があった。とても愛らしい。つばさが透かし彫りになっていて美しい。禁撮影だったのでスケッチした(色は宿で塗った)。臥龍山荘のホームページに写真があったのでリンクしておく(参照)。
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梁に手が届くほど小さくてかわいらしい。ありふれた技法だけを使ったシンプルな構造はいさぎよくて美しい。わたしの理想の建築だ。ここまで来て良かった。梁をよく見るために20分ほどしゃがんで描いたので、立つと足腰が痛かった。
いよ観ネットの田丸橋 http://iyokannet.jp/front/spot/detail/place_id/1610/
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久しぶりにザルそばを湯がいた。自家製縁台に準備しておもむろに頂く。食事は箸を使うときは食べ物を見ているが、咀嚼しているあいだは料理を見ない。なぜなら俯き加減だと食べにくいからだ。食事とは食物を口に入れることではなく、咀嚼することだと私は思う。できるだけゆっくりと、そして噛む回数を増やさねば食物は力にならない。そのためには噛むことへ意識を集中させねばならない。だからこそ前を向いてなにかを眺めねばならないのだ。本来ならば目をつむるのが正解だろうが、物を食べるときに目をつむるのは無防備過ぎる。やはり前を見ておかねばならない。そして視覚による雑念を遮るためには、何かをぼんやり眺めるのが手っ取り早い。そんな対象として庭はうってつけだ。わずかな風を受けて左右に揺れるハスの葉などがちょうど良い。ハスの葉を眺めながらモクモクとアゴを動かしていると、唐突にハスの葉がこんな大きいものだったのかと実感できた。さしわたしが40センチほどもある。そうした発見も食事の楽しみだ。
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かみさんに薦められて読んだ。読みやすい上にとてもおもしろい。遅読のわたしでも6時間ほどで読めた。銀英伝のヤン・ウェンリーによく似た野心も覇気もない文官が主人公だ。本人の思いと関係なくその人の天才が現れるところがわたしの好みである。いずれ埋もれた図書館が現れるのではないかと思う。下巻に期待しよう。
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平城宮と平安宮とを比べると長堂が4棟並んでいることが共通する。さらに平城宮では4棟の北側(図では下側)の門の両脇に2階建ての観覧席があった。同様の建物は出雲大社の観祭楼が有名で、それは境内で行われる祭祀を観る楼閣だ。つまり平城宮の4つの長堂で囲まれた場所は祭祀場であり、大極殿は神社の本殿に当たる。
平安京の豊楽院では五節会が行われたが、それは奈良時代を通して整備されたという。平城宮の大極殿中央区では元旦・白馬・踏歌・端午・豊明の五節会が開かれたわけだ。とくに豊の明かりとは新嘗会・大嘗会後の饗宴のことで、酒で顔が赤くなるから明かりと称したという。豊楽院の豊はこれに由来する。だから平城宮中央区の朝堂院は五穀豊穣を祈るためのものだったと考えてよい。
平城宮ではこの祭祀場を宮廷の中心に置き、政治のための朝堂院を脇に配置した。これは統治機構のありかたを示す。祭祀と政治はセットであり、どちらかと言えば祭祀が統治を主導することを表している。もう少し端的に言えば、祭祀を司る大巫が統治を主導し、それを男王が補佐する形式だ。皇統譜を見るとそれに見合う時代がいくつか見受けられる。
推古 ー 聖徳太子
皇極(=斉明)ー 中大兄
持統 ー 草壁・文武
元明・元正 ー 聖武
こうしてみると平城京遷都時9歳だった首(おびと)皇子(後の聖武天皇)を聖徳太子になぞらえていることが分かる。法隆寺の再建は670年の火災後で確かな年代は不明だが、塔内の塑像は711年作とされ奈良時代に入っている。再建は被災直後であったとしても、遷都時に法隆寺は整備されたわけだ。わたしは遷都とは都城を築くことだけではなく、国内の神仏再編を目的としていると考えている。だから、首皇子を聖徳太子になぞらえたのは、単に皇太子を神格化したいがためではなく、律令システムの完成に当たって再び聖徳太子の持ち込んだ仏教の力を借りようとしたのだと考える。
女帝や皇后が大巫であるとすれば、大巫ー皇子、男王ー皇后(大巫)の2セットを繰り返すことで統治システムは永遠に更新されていくはずだった。ここで注意しておきたいのは、大巫が立つのは戦時であるということだ。風水的に言えば、大巫と皇子の関係は易でいう「地山謙」に当たる。これは軍事行動が成功するという易卦だ。聖徳太子が皇太子のままいつまでも即位しないのは「地山謙」の易卦をくずしたくなかったからだろう。
律令システムによる統治、仏教による国土開発、そして大巫による軍事力の呪的増強、こうしたものを平城宮朝堂院の配置はよく示している。豊楽院を中央に置くプランがその後継承されなかったのは、大巫を中心とした統治システムがうまく機能しなくなったことが原因であろう。しかし、私はその機能は後宮に残ったと考えている。たとえば清少納言が描く後宮の華やかさは奈良時代の五節会のままだ。そして歌にしても舞にしても決して呪的要素が失われたとは思えない。それはまた別の機会に検討したい。
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なぜ奈良の都に朝堂院がふたつあるのかについては、さまざまに言われてきたが今泉説が出てほぼ決着がついた。つまり中央区は後の平安宮の豊楽殿のような儀典のための施設で、東区が本来の朝堂院だというものだ。建物配置を見ると平城宮・平安宮とも儀典用朝堂院は長堂が4つ並ぶ形式でありそっくりだ。だからわたしも今泉説で良いと思う。
※今泉隆雄「平城京大極殿朝堂再論」(同左「古代宮都の研究」吉川弘文館1993年)
問題なのは、なぜ平城宮だけ儀式用の朝堂院を正面に据えたのかということだ。これについては今泉説も歯切れが悪く、国家的儀式を通して国家の権威を高めるためだとする。まあそれはそうだけれど、それでは数ある都城のなかで平城宮だけが儀式用朝堂院を正面としていることの説明がつかない。
今回は風水を使っての分析をするつもりだったが、今のところ単純な事実しか分からなかった。それは平城宮も平安宮も儀式用朝堂院が西に、政治中枢である朝堂院が東にあるということだ。つまり儀式は陰気側、政治は陽気側なのだ。これは儀式用朝堂院は巫女の領域であることを示しているのではないか。国家的祭祀の多くは巫女が主導するものだったのではないか。
さて、奈良時代は女帝の時代と言われるが、それはもう少し古く飛鳥時代から始まっている。おもしろいのは、男帝と女帝とがほぼ交互に立っていることだ。
よく言われるように女帝は単なる中継ぎだったと私は思わない。時代は下るが琉球王朝の聞得大君(きこえのおおきみ)のような大巫の系譜が古代大和にもあったと考えている。つまり飛鳥時代の統治は大巫と男王のセットで行われていたが、記録上は大巫が女帝と記されたのではないか。
もしそうだとすれば、平城宮のプランニングも当時の統治状況を反映したものであって、以後このプランが採用されないのは、統治状況が変化したためだと考えれば説明がつく。称徳天皇以降、女帝が長く途切れるのは偶然でなく、称徳前と後とで統治システムが大きく変化したためだろう。そのために、平城宮で実現した儀式用朝堂院を正面に配置するプランは以後放棄されたのだ。
では、儀式用朝堂院を正面に配置するプランにはどんな意味があるのか。それは風水的にどのように読み取れるのか。そして、それは当時の律令国家のあり方とどのように関係するのか。それは次回に検討する。
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高齢の父の足の爪が大変なことになっている。聞くと、今まで切ったことが無いという。足の爪を切らない人がこの世にいるとは思わなかった。それがこんな身近にいたことも知らなかった。
「伸びてきたらどうするの」
「おかあさんに切ってもらう」
「それは結婚してからでしょ。それまではどうしてたの」
「若いころからずっと切ったことがない」
爪の何枚かは厚みが数ミリになっている。メンテを怠ってきたむくいだろう。そうなると母の手には負えないらしい。そこで私が切ることになった。
「すごいよ父さん、サイの角のようだ」
>>サイのツノ!<<
爪切りも普通のものではなく、ペンチ式のものだ。これでこすり取るようにして削っていく。母によれば、お湯でふやかすと切りやすいそうだ。もうそれって爪でないよね。まあ、サイの角も皮膚が変化したものだから人の爪と同じものだけどね。
削っているうちに昔飼っていた亀の爪を切ってやったことを思い出した。
「父さん、まるでカメの爪のようだよ」
>>カメのツメ!<<
かみさんが言うには、かみさんのお父さんも足の爪が大変なことになっていて時々切ってあげるそうだ。足の爪を切らない人がいるというだけでも驚きなのに、それがこんな身近にふたりもいたとはあきれるばかりだ。父とかみさんのお父さんとは昔からの山男友達なのだが、山男は凍傷になるので足の爪を切らないと言う。そんなことあるものか。たまたまズボラなふたりが揃っただけだろう。それとも本当に登山家は皆そうなのだろうか。
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朝堂院を易で読む
朝堂院を易で読むとどうなるか。易は上に3爻(こう)下に3爻の計6爻で構成される。爻とは陽気か陰気のどちらかで、それが3爻揃うことで八卦のイメージの内のどれかひとつを示す。それが上下ふたつ重なって占いの答え(易卦)となる。
まず朝堂院をどこで上下に分けるかだが、これは先に見たように東西の中門を結ぶ横軸で良いだろう。逆に言えばこの中門は易の上下の卦(か=イメージ)を示すためにここに配置されているとみるべきだ。この区切りの下エリアには大極殿と4つの朝堂、上エリアには朝集堂(朝集院)と8つの朝堂がある。図のようにちょうど6段となる。ここへ陰陽を当てはめれば朝堂院は易で読める。
どう当てはめればよいか。これはウブンガイが大興城(後の長安)で当てはめたように王と太夫は陽気、そのほかは陰気でよかろう。そうすると左図のように上は陰気ばかりでイメージは「地」、下は陽気ばかりでイメージは「天」、すなわち易の答えは「地天泰」となる。「地天泰」は天下泰平の良い易卦だ。
これでも良いのだが、別の考え方もできる。それは中国の三省のひとつである中務省も陽気ではないかということだ。中務省は八省の上級組織であり、中務卿は貴族や皇族から任命された。これは陽気扱いとするほうがよい。そうすると上イメージは雷となり易の答えは「雷天大壮」となる。大壮の解釈はいくつかあるが、もっともポピュラーなのは大いに壮ん(さかん=盛ん)というもので、ここはそれでよいだろう。つまり新都の前途を寿いでいるのだ。
この読みは12堂が8堂に減っても変わらない。うまくできている。こう考えてくると三省のひとつであった中書省を一段低い中務省に落としたのも、この易卦を完成させるためにわざとやったようにも見える。
ちなみに工部を六部からはずし仏教勢力の独占としたのは国土開発のためではないかと思う。それは聖武朝になって東大寺ー国分寺の全国展開となる。各地の仏教勢力は地方の原始宗教によるタブーを破り、神々の領域とされた谷や野を最新鋭の土木技術によって切り拓いた。僧侶が龍を封じる伝説はほとんどこのときの開発を背景としているように見える。そして最後の抵抗を封じるために宇佐八幡神を東大寺に帰依させ神仏合体をもくろんだわけだ。まあこれは別の話になるので、また他の機会に考えてみたい。
さて、朝堂院研究は最後の謎に取り組みたい。それはなぜ平城京には朝堂院がふたつもあるのか、ということだ。朝堂院がふたつあるのは奈良だけで、そのときの特殊な事情があったのは確かだ。その理由についてはいろいろ言われているが、まだ通説となるものはない。これを風水で考えるとまた別の見方ができるのではないか。
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三才について
三才というのはおもしろくて、2と3の違いについて考えさせてくれえる。太極が陰陽のふたつに分かれて世界が誕生したというのが東洋の創世記だ。その後、天(陽気)と地(陰気)のあいだに人が生まれることで世界は活動を始める。人は陽気でもなく陰気でもなく、両方の気を持った第3の存在だというのが三才論だ。太極が1、陰陽が2、三才が3というわけだ。世界は1>2>3と成長する。
これは認識論と考えると分かりやすい。二項対立だけでは認識は成立せず、そこに認識主体としての人間が加わって初めて世界は認識される。攻殻機動隊のゴーストみたいなものだ。もしくはキリスト教の父と子と精霊というのが近いか。正三角形が神聖視されるのは、この認識論が由来しているのだろう。
三朝制は家形埴輪にも見られるとする研究がある(どこで読んだのか思い出せない。今探しているところ)。たしかに同じような三段構成になっている。古代神道の場合も3はよく使われる数字で、たとえば宗像大社は辺津宮、中津宮、沖津宮の三段となっている。また、伏見稲荷は上座、中座、下座の尾根上の3つピークをご神体としている。
古代神道における3の意味をもっともよく表しているのは上鴨、下鴨神社だ。上鴨には賀茂別雷神、下鴨には雷神を生んだ巫女である玉依姫と彼女の父であり賀茂氏の租・賀茂建角命が祀られている。神は天、母は地、賀茂氏は人というわけだ。わたしは奈良時代以降の外戚が祭りごとを行う権利があるとする考えはここから来ていると思う。
話を戻そう。わたしは風水思想は古墳時代には日本に入っていたと考えているので、神社の祖型や古墳に三朝制が表れていても不思議ではないと思う。1は点、2は線、3は面をつくる。天地に人が加わり面が発生して始めて世界が生まれるのだろう。
三才論はアリストテレスの三段論法と似ているかもしれない。とりあえず易は三才論の延長上にある。易で使う8つのイメージを天人地の3つの枠に当てはめる。これを2回行って6つのイメージの並び方で占うのが易だ。2回行うのは陰陽の2であろう。朝堂院が三才の応用でできているとすれば、易で読むことができるはずだ。
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先日から蚊取り線香が何者かにかじられている。縁台に出しっぱなので夜中に誰かが食べているらしい。ネコやイタチにしてはかじり方がちいさいのでカナブンのような昆虫だろうと思っていた。この蚊取り線香は殺虫剤の入っていない除虫菊オンリーのものだ。虫に対して忌避効果があるはずなのに、さすが天然ものは違うと感心していた。
ところが食べていたのはゴキブリだった。どうも最近縁台にゴキブリが増えたと思ったら蚊取り線香を食べに集まっていたのだ。びっくりして説明書を読むと蚊取り線香を固めるのにデンプンを使っている。これを食べていたようだ。デンプンは普通の蚊取り線香も使っているが、殺虫剤が練り込まれていると食べないようだ。
さらに注意書きに「蚊取り線香ではありません」と小さく書いてある。え、そうなの?箱に「防虫」とあるけど。とよく読むと「適用害虫、ユスリカ、チョウバエ」とあった。どちらも小さな羽虫で人をささない。なんと蚊を散らさずゴキブリを集めていたというわけだ。あした普通の蚊取り線香を買ってくる。
追記:除虫菊線香には天然由来のピネトリンの含有率が0.1%のものと0.4%のものとがある。わたしの使っていたのは0.1%のもので蚊取り線香ではないが、0.4%の製品は蚊取り線香だ。それだと蚊に対して忌避効果が期待できるようである。(2016.08.16)
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くろやぎさんから お手紙 着いた
しろやぎさんたら 読まずに 食べた
仕方がないので お手紙 書いた
自分で書いた手紙も食べた
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配管の美しさは「複雑化」にある。なぜ複雑になっていくのか。この写真を見て分かることはふたつある。ひとつは配管の思想に違いがあること。もうひとつは断言はできないが、もう使っていない配管を残しているのではないかということ。
配管思想には3つあることが分かる。ひとつは、配管は天井と壁との角を通すべしというもの。これは古い配管が角に多いことから昭和初期の考え方だろう。
二つ目は、配管は天井の中央を通すべしというもの。角に配管すると配管の増加に対応できなくなる。その点、中央から始めれば天井いっぱいになるまで配管できるので増設の余地が大きい。天井中央配管が比較的新しく見えることから、おそらく70年代以降の思想だと思う。
三つめは、配線容量の大きな配管ダクトに集約して配管を減らそうというもの。ダクトがあればいちいち配管する手間がはぶける。写真では壁と天井の角に配管ダクトが走っている。しかしダクトを作ってはみたものの、過去の配管が一掃されたようには見えない。ようするに「複雑化」を創り出す最大の理由は古い配管を撤去しないことにあるのではないか。
日本の公共デザインの特質は、過去のものを取り外さないことにあることを以前考えた(参照)。そのことと配管芸術は関連があるのかも知れない。
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天の羽衣のような雲が躍っている。中央山際で夕陽に染められているのは爆裂した積乱雲だ。兵庫県南部、六甲山北側あたりだろうか。大型の台風5号が関東に接近中で、ここも上空で強風が吹いている。風のために積乱雲上部が吹き飛ばされ、他の積雲も千々に吹き流されてこんなことになっている。
珍しくほかに積乱雲の姿は無かった。つまり台風が接近すると積乱雲は成長しない。それは風で吹き飛ばされるからではなく、湿気た空気を供給するはずの太平洋高気圧が弱体化するからだろう。積乱雲は上昇気流だから、それに見合った下降気流が必要だ。台風も上昇気流だから太平洋高気圧の下降気流を全部吸い込んでしまうのだろう。今年全国的に夕立ちが少ないのは、太平洋高気圧が例年よりも弱いせいだと思う。
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鶏肉がゴロゴロ入っていて食べ応えがある。鶏と野菜とキノコの旨みが豆乳に溶け込んで、優しいあじわいのスープになっている。それがフカフカのジャガイモによくからんでうまい。脂っこくないしおなかもいっぱいになるし、ちょうどこんなごはんを食べたかった。
2016.08.08、京都市、阪急烏丸駅周辺「満月の花」(参照)
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以前、二条駅前の倉庫街をルポした(参照)。そのときには気づかなかったが、ガイドマップの取材をしていた5年前に見つけた。なかなかよい。側面の柱に支えがあり、それが丸太であることがすごい。よくもまあ丸太で組めるものだ。さすが木材の街だ。私は伝統木構造が一番だと思うが、こうしたシンプルなトラス構造も好きだ。わたしの理想のひとつである。
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まあ電気配管なのだがものすごいことになっている。京都線の駅はたいがい見たが、これほどすごいところは十三くらいだ。左側の硬質ビニル電線管はつい最近張られたものだから、今もなお成長を続けているというわけだ。なぜこうなっていくのか、そしてなぜそれが美しいのか考えてみたい。
7年前に西院駅の配管クイズを考えたことがある。問題はこちら。
http://tanuki.la.coocan.jp/picture/171.html
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調査が午後3時に終わったので東野湯へ行ってみた。まだ陽のある内の銭湯は気持ちが良い。人気の少ない湯船を独り占めして天窓を見上げると、天窓から降り注ぐ光線がブルーに塗られた天井に反射してとてもきれいだ。
脱衣室に「東野温泉」と書かれた大きな額がかかっており昭和4年創業とあった。脱衣室はほぼ創業当時のままで格天井に筬欄間がすばらしい。脱衣籠は籐製で番号が大きく墨で書かれている。黄色いプラスチックの洗面器はケロリンだった。
煙突は陶製だ。最近少なくなっているので貴重だ。アングルで組んだトラスの内側に土管が積み上げられている。トラスに土管をどうやって固定しているのかよく分からなかった。たぶんワイヤーで繋ぎ留めているのだろう。いつかこんな煙突を作ってみたい。
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大阪旭区大宮の錦水湯(参照)のタイル。足元は釉薬がけの上品なスクラッチタイル、その上は目高さあたりまで見事な窯変50角タイルだった。いいなぁ、窯変タイル。こうした磁器質タイルは凍害に弱いなどと言って敬遠する向きもあるが、大阪あたりだと十分長持ちするじゃないか。
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