スケッチする行為を分析してみた(2)
この話には続きがある。忘れないうちにメモしておく。
考えていることはふたつあって、ひとつは「見る、覚える(理解する)、描く」という3分類は単なる三段論法に当てはめただけなのではないかということ。これはこれでおもしろい課題だが、今は二つ目の課題に興味がある。それは前回の結論であるところの、描くことで初めて風景についての理解が完成するという部分だ。
つまり「見る、覚える、描く」という順序は、三段論法に捉われた見方で、実際には「(描く=理解する)=見る」ではないか。描くという肉体的な行為こそが世界理解の源泉ではないか。まあ今は、手を動かすということの意味をそんな風に考えている。
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