写真描きもおもしろい
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京都の三条河原町にあった聖ザビエル教会堂を初めて見た。想像以上に良い建物でここまできたかいがあった。堂内は薄暗く5ルクスも無いだろう。その暗さがステンドグラスの輝きを際立たせている。内陣の床にステンドグラスが映り込んでいた。とてもきれいだ。
身廊の天井は木製の交差ヴォールトで見ていてあきない。わたしは宮津のカトリック教会で同じものを見たことがあるが、よくもまあ木造でこれほど見事な交差ヴォールトが作れるものだと感心する。移築に当たってそれをまるごと復元した技術力もすごい。
外壁はレンガからコンクリートへ変えたそうだ。聖ヨハネも壁はコンクリートに入れ替わっていたから、レンガ壁の移築は難しいのかも知れない。1990年竣工、設計不詳、施工は大阪の横田彦左衛門とある。1967年6-9月に解体し1971年12月-1973年3月に大林組の施工で再建築された。移築設計は明治村館長だった建築家の谷口吉郎である。
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照明作家の猪原(いのはら)秀彦さん(Hand Work Studio ELEMENTのHP)に作ってもらった。何度かワークショップを重ねて彼が考えてくれた。吊り込んでみると教会堂とよくなじんでいて前からあったような感じだ。前からそうだったように見えるというのは私の理想である。猪原さんありがとう。
私はこの修理に取り組んで6年になる。鴨東(おうとう)教会はミラノ工務店の設計施工で1934年に竣工した。ミラノの顧問格であった建築家の大倉三郎が設計監修をしている。和洋がないまぜになった意匠は大倉のものだろう。
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塩シャケの切り身が脂が乗っていてうまかった。
シャケはいつから弁当の王者となったのか。ウイッキは紀伊国屋文左衛門がシャケを江戸から大阪へ運んで大儲けする話を紹介している。当時大阪には少なくて江戸には多かったのか。北国廻船航路が開かれてシャケが大量に江戸で消費されたのだろう。そうするとシャケが一般食材化するのは元禄時代で、ほどなく関西へも広まったと考えて良いのかも知れない。
でも文左衛門の運んだシャケは塩シャケではなく荒巻シャケではなかったのか。干物だからこそ大阪まで運べるように思う。では塩シャケが一般化するのはいつか。これはやはり明治になって鉄道が敷かれてからのような気がする。ここのところまだよく分からない。案外戦後のことかも知れない。
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艦これ近況。現在レベル99の中将。春イベントは乙クラスでE1クリアのみ。毎回のことだけど、イベントが難しすぎて心折れたね。神通はE2用に温存しておいたが出番は無かった。これは潦(にわたずみ)さんの神通(参照)の写し。
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