2016年4月 8日 (金)

朝堂院の研究(4)

 三朝制については吉田歓の「古代の都はどうつくられたか」(吉川弘文堂2011年)が分かりやすい。彼によれば周礼などに記載された古代都城設計法は「燕朝、治朝、外朝」もしくは「内朝、中朝、外朝」の三朝に分類できるという。 

 燕朝は皇帝が政治を内覧する場所、治朝は皇帝が臣下を謁見する場所、外朝とは皇帝を臣民を朝見する場所だという。

 内朝は皇帝の居住する場所、中朝は燕朝、外朝は治朝だという。

 三朝制にはこの二通りの解釈があり複雑で難解だとするが私はもっと平易な解釈で良いのではないかと思う。ようするに三朝とは天地人の三才の応用だろう。天は神々の天空の領域、地は地母神の領域、その間に人間の領域が広がるというのが古代中国の天地創造の神話の世界観だ。都城はその写しとなっているのだろう。風水的検討を加えれば、複雑と思われている事柄も案外簡単に解ける。
 
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 唐の大明宮の含元殿と平安京の応天門は同じものだ。左右の楼閣がともに鳥の名前となっているが、天の領域は火の世界だから鳥名はふさわしい。難波京前期の朝堂院が14堂だったとすれば、火の数字である7の2倍と言う意味なのかも知れない。それはともかく、含元殿や応天門は天を受け止める呪術装置であったろう。含元殿と応天門との類似は、日本の皇宮が唐の大明宮を下敷きにしている証拠だ。

 こうやって比較してみれば朝堂院と大極殿はセットになっていて天地人の「人」を担当していることがよく分かる。平安京は平城京の写しだから、平城京建設の時点で大唐帝国の大明宮に表れている三才を応用することは既定の事実であったわけだ。これはやはり遣唐使の持ち帰った知識と考えるべきだろう。

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