2016年4月 5日 (火)

朝堂院の研究(2)

 鎌倉時代の写本に残る朝堂院は平安時代のもので、いろいろ改変があった後の最終形態だろうと言われている。なぜそう分かるのかと言えば、陰陽が入り乱れているからだ。

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 上図(上)が写本に残された朝堂院の図で、そこへ八省の陰陽を書き添えてみた。もともと六部は陰陽に分かれていたので、それに学んだ八省も陰陽に分かれるだろう。大蔵や宮内など日本オリジナルの省庁の陰陽は分からない。この図を見れば乱れているのは陽気である式部が陰気側にあることの一点だ。これを正しく配置すると上図(下)となる。さらに式部配下の大学寮を消して、そこへ大蔵を移すと八省が八堂にぴったり当てはまる。これが朝堂院の当初の形であろう。

 そうだとすれば朝堂院の変遷は次のようになる。

< 朝堂院の変遷 >

1.八省に合わせて八堂を設けた。八省を陰陽に分け、陽気は東、陰気は西に配した。
2.少納言、弁官のために一堂を当てた。そのため式部省が横へずれた。弁官とは八省の事務次官のことだ。
3.同様に大学寮のための一堂が設けられ、大蔵省が移動した。2と3は同時期かも知れない。こうして高級貴族の出世コースは大学寮>少納言・弁官>参議となった。朝堂院の名前で言えば(前項参照)永寧堂>暉章堂>含章堂
となる。

 この移動は少納言・弁官の増加によって引き起こされたとも考えられる。しかし高級貴族の子弟を実務官僚と同席させるのはいかなものか、というような身分観による変更だったとわたしは考えている。そうでなければ朝堂院の陰陽を崩してまで配置転換を行わないだろう。日本の朝堂院は律令の合理性よりも高貴なものを分離させようとする世界観に支配されているように見える。

< なぜ朝堂院にタテとヨコがあるのか >
 これは陰陽に分けられた4堂をさらに陰陽に分けたためだろう。こうすることで八省は陰陽の四象に分けられる。ヨコがタテの逆と読み替えればよい。変則的な読みだが、そうでも考えないとタテヨコの別のある意味が解けない。

 老陽 中務省、治部省
 少陰 民部省、式部省
 少陽 大蔵省、兵部省
 老陰 宮内省、刑部省

 こうやって書いてみると兵部と宮内が入れ替わっているように見える。入れ替えたものが本来の形なのかも知れない。
 

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