2016年4月 6日 (水)

朝堂院の研究(3)

 第1次難波京では朝堂院が14もあったらしい。14は多すぎる。その後の都城は12か8の2種類しかない。藤原京、平城京第1期、平城京第2期、平安京が12で、第2次難波京、長岡京が8だ。近江京、紫香楽京、恭仁京の出土例が無いので、これしかないとは言えない。しかし12と8がセットであったことは河図で説明できる。結論だけ言えば12が陽気で8が陰気だ。副都制に陰陽を当てはめたというのが私の説である。

 さて朝堂院12堂の場合、8省が8堂に納まることを前回見た。それでは朝堂院8堂の場合はどうなるかを考えてみた。おそらくこうなる。

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 タテはタテどうし、ヨコはヨコどうしを繋げただけだ。朝堂院の南北の棲み分けを優先すれば実務官僚は北側に押し込められているわけだからこうなるしかあるまい。

 都城制の風水的検討は始まったばかりだ。風水で考えればいろんな謎が解ける。そして、たとえば民部卿や式部卿がどこに座ったのかが具体的に分かるのがおもしろい。研究と言いながら本当は妄想歴史小説の準備をしているようなものである。次回は三朝制の検討を行う。

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