2016年4月 3日 (日)

朝堂院の研究(1)

 朝堂院は都の意味を考える上でとても大事な施設だ。こんな風にタテに長い庁舎は隋唐には無い。都城制は隋唐から学んだことは間違いないが、中心となる朝堂院は極めて日本的だ。これは一体何なのか。そのことを考えるために、各朝堂に何が入っていたのかをチェックした。

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 鎌倉時代に写された別々の本2冊に平安宮の施設配置図が残っている。平安時代中期のものだと考えられている。その図から朝堂院を抜き出すと上図になる。陰陽を考えるために南を上として描いている。各朝堂に何が入っていたのか一目瞭然だ。この図からいろんなことが分かる。

 4つに分かれること
 12の朝堂は4つに分かれると私は思う。まず中心線から東西に分かれる。基本的には左が文官で右が武官だ。官僚を陰陽で分けることは隋唐から学んだのだろう。東側が陽気で西側が陰気だ。さらに東西の中門を結んだ軸の上下に分かれる。下は上級貴族エリアで上は八省を中心とする実務官僚のエリアとなっている。

 おもしろいのは下部分の東側は参議や太政官など律令制の最高機関で、西側は実務に携わらない親王たちが占めていることだ。律令の枠外の皇族のために特別席が用意されているわけだ。行政監査を担当する弾正台が親王に追随するのも行政の頭を抑え親王の優位を保つための工夫のように見える。親王席を設けたことは朝堂院が隋唐の三省六部の丸写しではなく相当にオリジナリティあふれる施設であったことを示している。これは朝堂院の意味を解くうえで大事なカギとなるだろう。

 三省はどこか
 隋唐の行政機関は三省六部に分かれた。行政執行官たる太政官は尚書省に、法案審議担当の参議は門下省に当たる。おもしろいのは法案起草機関の中書省が日本では中務省なり太政官の下部組織に落とされていることだ。これは日本オリジナルだ。

 六部はどうか
 六部はこうなっている。

< 陽気側 >
 礼部=治部省 外交、式典、仏教関係
式部省 教育(大学寮)
 戸部=民部省 財政、戸籍、地方
大蔵省 国庫管理
 吏部=式部省 文官人事
 兵部=兵部省

< 陰気側 >
 刑部=刑部省
 工部=なし
 ※ 宮内省は六部に該当なし

 日本の八省の特徴
 隋唐の律令制を学びながら相当アレンジしている。特徴を列記すると次のとおり。

1.工部省がない。技術は仏教寺院が独占していたと思われる。隋唐では工部は軍制の重要な一部なのだが、日本では仏教の一部と理解されていたのだろう。公共工事の際には朝廷に造宮司など臨時の部局が置かれ仏教勢力から技術者が出向したと思われる。
2.教育関係は本来は治部省管轄だが、文官人事担当の式部省に移されている。役人を科挙によって公募するのではなく、貴族の子弟から集めるためだろう。
3.大蔵省と宮内省が独立している。大蔵は民部省管轄のはずだが、それが独立して陰気側に移されている。宮内省ともども皇族系を西側に集めたのが特徴だ。結果的に藤原系は東側に、皇族系は西側に対置されている。当時の政治状況を反映しているように見える。

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