ラ・ストラーダ「イカナゴとキャベツのアンチョビ風パスタ」
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鶴橋駅のダイナミックな鉄骨とこまごまとした増築のコントラストが好きだ。なかなか引きが無くて描きにくい。ぐるぐる回った後で一番北の端っこを描いた。描いているあいだに角のカフェ「FINO」の店主が覗きに来てくれた。スペイン料理らしい。鶴橋駅は何度も描いてみたいので、今度は寄せてもらおう。
FINOのフェイスブック https://www.facebook.com/ElParadorFino/photos/pcb.996510420433025/996508363766564/?type=3&theater
恩師竹内先生に絵の具をもらったのでその試し描きを兼ねている。固形水彩は初めてだが、チューブのものと同じように扱える。しばらく固形で描いてみる。先生ありがとう。
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来期のパース塾の案内をホームページにアップした。月1回なので多少忙しくても無理なく学べるはず。6ヶ月でパースの基本をマスターできる。できればスケッチの練習も盛り込んでいきたい。見学自由なので興味のあるかたはどうぞ。
京都建築探偵塾 http://tanuki.la.coocan.jp/tanteitop.html
2015.2.6、旧山邑邸(描き順のブログはこちら)
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旧寿屋は初めて見た。元は結納品店だったようだ。大正時代と近代化遺産リストにある。白漆喰の塗籠造りの1階を石張りにしている。デザインが和風なのか洋風なのかよく分からないおもしろさがある。
玄関脇に門灯跡らしきものがあって、とても良い。張り出した石製の笠の下に照明器具がついていたように思ったが看板掛けなのかも知れない。門扉の両側に翁と姥のレリーフがある。結納品の高砂人形なのだろう。門の上の鶴丸の両脇に亀がいてかわいい。良い建物だ。
旧寿屋から少し西へ行ったところのホルモン焼き屋も良い。敷地が三角形なのでショートケーキのような形をしている。2階から上が古いままで正面勝負に半円アーチのペディメントがある。その両脇に欄干の親柱のようなものが付いていて、やはり和風なのか洋風なのか分からないおもしろさがある。これはリストには載っていないが寿屋と同年代に見える。この通りは叩けばまだまだ出てきそうだ。
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再開発著しい梅田かいわいでも、都島通り沿いはまだ結構いいビルが残っている。これは堂山町の交差点から少し東へ行ったところ。硬質な光沢のあるグレーのタイルがきれいだ。1階の窓下だけは緑がかった別色のタイルを使っているあたりデザイン心が行き届いている。敷地が台形なので、西側の角は丸くなっているのもかっこいい。
2階の庇で上下を分かち、下部はピロティ風に見せるデザインは定型だがよくまとまっている。上部の窓割りも美しく、東西端だけ壁の幅を広げたのは、これも定型だが決まっている。パラペットの上の手すりのラインをきっちり見せて、セットバックしたところに庇つきの最上階を載せるあたりもよくできている。良いビルである。
2016.03.13、大阪市北区万歳町、不動産情報によれば1961年竣工で淺沼組の施工
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庭でアヤメが一輪だけ咲いた。いつもより相当早いとかみさんが驚いている。まわりには同じようなアヤメが数十本あるがつぼみさえ付いていない。なぜこいつだけが先に咲いたのか。季節は地域全体で緩慢に変化するという先入観があるがそうではなく、もっとパッチワーク的に早いところと遅いところが入り混じっているのではなかろうか。それが数十本のアヤメのなかの1本というピンポイントで季節が早まったのかも知れない。草1本アリ1匹のサイズで季節は巡るのだろう。
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トトロの家に似ている(上)。4年前に通りがかりで見つけて、どうなってるかと不安だったがちゃんとあって良かった。山の木が減っていたので、前は見えなかった洋館がふたつ見えていた(下)。このあたり探せばもっとあるのかも。言ってるあいだに無くなるかも知れないのがこわい。
そう言えば天保山のハaハaハaで近代建築写真展が始まってるな(参照)。来週行ってみよう。ハaハaハaのオムライス食べたい。
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どうでもいいことなのだが、時間って何だろう。色も形もないし触ることも感じることもできない。ただし体内時間というものがあるようで、花が咲いたり鳥が渡ってきたりすることを支配するらしい。でもそれって気温や風向きなどを感覚的に知ることで判断しているだけではないか。時計のようなものが体内にあるわけではなかろう。
おもしろいことに、日本語では過去のことを「ずっと前にあったこと」などと言う。未来を「この後で起こること」などと言う。時間を場所的用語である前や後ろを借りて表現しているわけだが、なぜか前後が入れ替わっている。つまり我々は「前」である過去から来て「後ろ」である未来へと進むわけだ。
時間を川の流れとしてイメージすることもある。「時代をさかのぼる」「時代が下る」などと言う。イメージ的には時間には初めと終わりがあって上から下へと流れていくものだ。時間をさかのぼれば過去へ戻るし、下れば未来へ進む。この場合も時間は前の時代から後の時代へと進む。やはりひっくりかえっている。
もうひとつおもしろいのは、先という言葉が前後のどちらにも使えること。「後先を考える」という場合の先は前と同じで過去のことだ。しかし、「これから先」と言えば未来になる。文脈で意味が180度変わる言葉も珍しい。これが時間の前後が入れ替わっていることとどう関わっているのかよく分からないが、なにか手がかりになる気がする。
結局、なぜ前後が入れ替わっているのかさっぱり分からない。とりあえず謎ということで。
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年上のことを先輩だとか先達とかいう。先駆者という言い方もある。歴史を切り開いた先達は私たちの前を行く。歴史と言えば、ずっと昔のことで自分の未来とは関係が無いような印象があるが、よく考えれてみれば自分は先達の開いた道をたどっているわけだから、歴史は未来にあるのではないか。そんなことを考えた。
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建築家の市川裕子さんから案内をいただいたので新築の見学会へ行ってきた。重度の身体障碍者向けのデイケアセンターで定員20名ほどの小規模なものだ。コンビニ跡を改造したそうで明るい施設だった。感想をメモしておきたい。
黒い天井一面に色とりどりのさまざまな線が描かれていてとてもきれいだ。寝たきりの利用者が多いが、彼らは天井しか見えない。そこで利用者に描いてもらったものを壁紙に加工したそうだ。筆が持てないのでビー玉を転がして描いたらしい。うまく張り合わせてあって継ぎ目も気にならない。黒いため天井の低さを感じさせないし、なにより見ていて楽しい。これはとても良いアイデアだと思う。
ショップと介護スペースとは向こうが見える格子状の棚で仕切られているほか壁らしいものはない。着替えのときなどは諸所に用意されているカーテンを使う。だから全体がワンルームのようになっていて狭さを感じさせない。こうした施設は閉鎖的で暗いものが多いのだが、ここは明るくて風通しがよい。思い切ったデザインをしたものだと感心した。
そうした工夫がさりげないため、誰の目にもが当たり前の建築として映るだろう。それが彼女の建築の一番おもしろいところだ。おそらくその良さは何年か使ってみて利用者が初めて気がつくのではないか。よい仕事を見せてもらった。ありがとうございました。
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建築学校の1年生たちが昨春から作っているツリーハウスが上棟するというので手伝ってきた。日が暮れるまでに完成するだろうかとハラハラしたが夕方5時過ぎに完成した。なかなかかっこよくできていて1年生もよくがんばったものだと思った。わたしは軒先に上向きの姿勢で釘打ちした。だから今朝から腰やら首やらが筋肉痛だ。
学校のフェイスブック(参照)。
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東大寺二月堂のお水取り儀礼が終わると春が来ると関西では常識のように言われている。お水取りの終わる3月半ばが旧暦の2月半ばであることから、それは春を呼ぶと言うより春を完成させると言ったほうがよかろう。もともとは盛春に子安を祈る儀礼であったように思う。
お水取りは舞台をたいまつが走るのがメインの儀礼だ。火は土気を強める。また、お堂にこもる僧侶の肉体は土気だ。だからたいまつはお堂にこもる僧侶の呪術を強めるものなのだろう。2週間ほど舞台に火を走らせると閼伽井という井戸から水が噴き出す。その水を二月堂の秘仏・十一面観音にささげるのがお水取りの儀礼だ。もともと観音は木気だが、11は木気である3と8の合計なので最強の木気となる。そこへ土用で強められた水気を供えることで水生木の相生の関係を完成させるのがお水取りの仕組みなのだろうと私は思う。
そう考えれば火を使う儀礼はすべからく土用に関係することになる。鞍馬の火祭の意味もこの延長で解けるのかも知れない。
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清水寺の舞台は次第に改造されて現在の姿になった。でも当初から舞台そのものはあったとされている。さて懸け造りと言われるその特異な構造の建造物はいったい何を意味するのか。わたしは春を呼ぶ呪術、東大寺二月堂の「お水取り」と関係があると思う。
思い浮かぶ懸け造りは、とりあえず東大寺二月堂、円教寺マニ殿、清水寺だ。その模式図はこうだ。
正確に言えば円教寺のマニ殿は本堂である三之堂の真東ではなく東南東に当たる。なぜずれているのか、それに意味があるのかは分からない。また清水寺と法観寺とは直接関係がない。さらに各本堂に安置されているのは東大寺は大日如来、円教寺は釈迦如来、法観寺は五智如来とばらばらだ。それでもこの3事例が関係あると思うのは、舞台に祀られているのは必ず観音であるという共通点にある。観音は基本的に木気であり春を象徴する。1年のよみがえりを象徴する観音が本堂の東に位置するのは至極当然ではないか。
おそらくそこには泉湧く聖地であり、水生木の相生の関係が発動する場所だ。二月堂のネーミングにある二月は春である1~3月の真ん中であり木気のもっとも盛んな時である。さらに2月は方角で言えば真東に当たる。だから春の真ん中である2月に春の方角である真東の舞台で火祭りを行うのだろう。火は土気を強める。つまり春を呼ぶための土用を強めているわけだ。懸け造りと呼ばれる舞台建築は、いずれも春を呼ぶための呪術のステージであるように見えて仕方ない。
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2時間ほどで見せてもらった(これを書くのに5時間かかった)。参加者が少なかったのが残念だったが1年生も来てくれたのがうれしかった。この講評会は1年生こそ聞いてほしいと願っている。今回もどれも悩みのたうちまわっているさまが感じられる作品がそろった。これほど真剣な作品を集中的に見ることができるのは卒計展のだいご味だ。その悩んだ時間がこれからの糧となるだろう。よいものを見せてもらった、ありがとう。そして卒業おめでとう。
<全体として>
さて今回感じたことが3つある。
まず配置図が揃っていないこと。平面図、立面図、断面図が揃うのは当然だが、配置図はそれよりも大事だということを知ってほしい。今回円満字賞を出した「木屋町の集合学校」などは配置図だけで受賞したようなものだ。敷地選びで卆計の半分は終わっているとよく言われるが、それも配置図の重要性と関係している。近年増加傾向の空想系建築計画であっても配置図が重要であること言うまでもない。敷地のない建築は無いからだ。
二つ目は田園都市系が増えたこと。なぜこんなに増えたのか理解できないが、中世主義的な田園都市と自然回帰の傾向はしばらく続くだろう。ならばラスキンやモリスからソビエト連邦のコルホーズまでの流れをざっとでいいから押さえておいてほしい。血であがなわれた20世紀社会主義の夢と敗退の歴史を知らずして田園都市を語るなかれ。
三つめは風水系があったこと。ぜひ私に風水の話をさせてほしかった。そもそも伝統建築は風水で理論化されているのだから、風水を知らずして和風建築を語るなかれだ。なぜ今年度突然これが出てきたのか不思議だが私は大歓迎である。
最後に1年生向けのアドバイスをふたつほど。ひとつはドローイング力が無いなら空想建築系は選ばないこと。どうしてもやりたいなら3か月ほどの特訓が必要だろう。二つ目は問いを立ててから答えを探すようでは間に合わないこと。問いを立てたときに施設全体のイメージができていないとだめだ。逆に言えば、答えを用意してから問いを考えたほうがよい。卆計はこれまでの課題と違って問いを自分で立てるのが特徴だ。問いを立てる力を試されているとも言える。だからと言って答えが見つからないとお話しにならない。このあたり戦略的によく考えてほしい。
<個別に>
「水みるミュージアム」
斜面に埋め込まれた半地下の展示室に2層吹き抜けで天井の水の張られたトップライトから光が舞い降りる。金沢の21世紀美術館を思い出した。おもしろいのはカフェを覆った半ドームを水が流れ落ちていること。地下型の落水荘というわけだ。棚田が付属しているのもよい。
「minority-majority」
8戸の集合住宅と保育園で構成された性的マイノリティのための子育て施設。図面が7色であることや保育所が弓型なのは性的マイノリティ解放運動のレインボーフラッグをモチーフとしているからでよく考えられている。住宅が中庭を囲む配置となることは中世主義的なコミュニティを思わせるが、それと性的マイノリティ解放との関係が分かりにくい。施設が住居と保育園だけで良いのか、それらの動線がただの散策路で良いのか。そのあたりが深まればさらに良くなると思う。
「菊猿投山陶芸学校」★
猿投焼きの故地に全寮制の陶芸学校をつくる計画。これも中世主義的なコミュニティ観だろう。おもしろいのは入学時に与えられる個室。茶筒のような形で畳が2枚敷かれている。窓はなく移動式だ。ワンフロア―がこの移動個室のスペースに当てられていて、そこを自由に移動することができる。この発想はとてつもなくおもしろい。上田篤のツボグルマを思い出した(「くるまは弱者のもの」中央新書)。
この茶筒は本当は登り窯で使う立ち匣(タチザヤ)なのだろう。窯の中で作品を入れて積み重ねる容器だ。学生自身が焼き物になぞらえられているわけだ。学校全体のデザインも登り窯を模しているようだ。さまざまなモチーフをひとつにまとめる構想力はすばらしい。
「御神島、不老不死の伝説」★
精神再生のための宿泊型道場。東海に浮かぶ蓬莱島の建築化だ。船を降り丘の上からエレベータで30メートルほど降りる。そこに地底の池があり入島者はそこで古い自分を捨てる。そして大極図を模した斎場で自分の葬式をするのだ。このストーリー感がたまらなく良い。夢のような話かと思えばそうではなく、各施設のディテールが伝統木構造でできていて結構おもしろい。構想力、設計力、表現力の3拍子揃っていた。
「自己と自然を見つめ直す」
自然を五輪(地水火風空)に分けて、それぞれをインスタレーション化した作品。地は四角いはずだとか突っ込みどころはあるがおもしろかった。一番良かったのは「空」だ。壁で囲まれた四角い小広場のまんなかを塞ぐように壁が立っている。四周の壁際のアルコーブに座れば視線は中央の壁にさえぎられて見えるのは四角い空ばかり。これはとてもよい。そこに座ってみたくなった。
「京都演劇ホール」
至極まじめなホール設計。配置図と立面は未完成だが総じてよく描けている。よく勉強していることが伝わってくる。ここまで描ければ大したものだ。配置図はロケーションの読み方、立面はイメージの立て方を覚えれば難なくできるようになるだろう。
「地方を存続させる大学都市」
空洞化した地方都市に農大施設を散開させて都市再生をはかる計画。構想がとてもおもしろい。不思議なのは形態がインターナショナルスタイルだったこと。もっと地域色を出せばさらに良くなる作品だと思う。
「裁きの光と空間」
五稜郭のようなコペンハーゲンの城郭に裁判所を打ち立てる計画。大法廷はアウトスケールな吹き抜けの垂直線を強調した壁面にトップライトから光が射しこむ。この作品は具体的な計画案ではなく空想建築系なのだろう。いたずらにインターナショナルスタイルであることが気になったが、全体によく描けていた。
「Elderly Happy Town」
高齢化対応のニュータウン計画。形態がレッチワースの田園都市そのものだ。ドールハウスのような室内模型がおもしろかった。全体計画から戸建て住宅のディテールまで目を配った完成度の高さは今回展覧会の一番だった。
「人々が集う市役所」
円型コートが鎖状に展開する構成がおもしろい。わたしは卒計で円を使うべきでないというのが持論だが、これは円をよく使いこなしている。建物も円型にすればさらによくなるだろう。
「陰陽」★
斎場と助産所を陰陽に配置した計画。よくできた空想建築系である。陰陽が東西さかさまなのはなぜか、そんな突っ込みもあるがよくできていることに変わりない。斎場と助産所が巴型なのだが、この平面計画に破たんがない。不定形なプランニングは相当に力が無いとできないものだが、それを難なくこなしているのがすごい。
「のうえんホテル」
農業体験型宿泊施設の計画。このテーマの施設を市街地に作る意義が分かりにくいのが難点だ。良かったのは1階ピロティがほとんど池であること。農業関係のテーマなしでも、このまま成立する計画案だと思う。もうちょっとピロティの天井高さを上げて吹き抜けとタテ動線をからめればさらによくなる作品だ。
「やすらぎの湯子」
山間の湯治場計画。谷底の地形にそった建物の配置が旅情を誘う。防災上どうかという突っ込みどころはあるが、それ以上に湯煙ただよう風景の再現に成功している。こうした自然発生的な計画は難しいのだがよくやった。
「山科エキウエ保育園」
駅上に人工地盤を造り、その上に木造園舎を並べた保育所計画。電車好きのこどもたちのためにあるような計画だ。マッシブな人工地盤とそのうえの細々とした保育園の造形の対比がおもしろい。地盤が多層でそのあいだからこぼれるような木造建築群のイメージが湧いた。
「尼崎に浮かぶ交流と団欒の島」
海釣り公園計画。外見はサンフランシスコのヨットハーバーのよう。宿泊施設があり夜釣りも楽しめる。調理室もあり釣った魚を料理できる。そんな夢のような計画だ。これを大きくしていくと水上都市になるだろう。とても楽しい作品だ。
「ぶらぶらホース」
宿泊型の乗馬クラブ計画。まだ未完成なのだと思う。厩舎と支援施設が2棟、それと馬場がある。できれば屋内乗馬施設、放牧場、サイロも欲しい。そして、そうした部分をつなぐ回廊のようなものが備われば完成するだろう。
「ここから京都」
北野白梅町の観光案内所計画。これも未完成だと思う。最初は白梅町駅がテーマだったと聞いたが、それをもう少し押して良かったように思う。案内する内容を考えれば施設の中身もおのずと決まる。京都の料理、京都の歴史、京都の産業、そんなものをテーマにしたカフェ、本屋、ショップ、ギャラリーなどの複合施設。駅舎が小さな都市になる、そんな計画もあったのではないか。
「つむぐ」★
幼稚園とディケアセンターの複合施設。小さな単位が集落のように配置されたようすが美しい。よく見ると中庭と遊戯室が中心になって、そこからウッドデッキが各施設を結んでいる。とてもたくみな計画である。ひとつひとつの片流れ屋根もきれいだ。坂倉事務所太田隆信の大阪府青少年野外活動センターを思い出した。円満字賞を贈る。
「深泥池、人間・自然研究所」
天然記念物の深泥池を見下ろす斜面に三角形平面の小単位を散在させた計画。散在させる計画がおもしろい。単位が三角形なのは地面を乱さないために柱の数を減らした工夫だそうだ。能衣装で三角形の連続は鬼神を表す。ここ深泥池は幽霊で名高いからその連想から三角形になったかと思ったらそんなことはないらしい。
「親子に味方の保育園」★
京都市中央図書館のとなりの保育園計画。静逸な環境を望む病院と図書館の間に保育園はどうかという突っ込みはあるが、計画そのものは気持ちよいほどよくできていた。エントランスに入ってから初めて見える中庭。中庭、プレイルーム、園庭と自然につながる平面計画。既存図書館の施設利用などどれもよく考えられていて、それが形態として破たん無くまとめられている。この計画力は今回展覧会で一番だ。講評会にいれば円満字賞を贈った。
「我が城」
工場の事務所棟として江戸城を模した木造天守閣を建てる計画。天守閣の軸組模型が圧巻だった。今回展覧会で一番よい模型だ。わたしは城郭そのものの計画を考えたてみたいと最近思っているので、これはとてもおもしろかった。私は天守閣から始まって大手門と絡めて門、御殿と庭園、二ノ丸から三の丸までの城割り全体の計画をしてみたい。できれば海城がいい。
「森の秘密基地」★
森の中のこどもための施設計画。図面がカラフルで分かりやすい。この表現力は今回の展覧会で一番だ。講評会に来てくれていたら円満字賞を出しただろう。螺旋型プランで栄螺堂を洋風にしたような外観をしている。内観は木をふんだんに使った温かみのあるもので、外観は中世主義風でとてもよい。わたしはアスプロンドのストックホルム市立図書館を思い出した。講評会に来てくれていたら円満字賞を贈りたかった。
「高齢者施設」
金沢21世紀美術館の近くに敷地に選んだ高サ住計画。芝生の人工地盤が傾斜しており、リハビリの場となっている。施設の共用部分を広めにとってあるあたり、よくできた計画だ。整形のガラスボックスが人工地盤から頭を出している対比が利いている。
「Gest House & Japanese School」
山間部の外国人向け宿泊型日本語学校の計画。石垣に囲まれた民家風の施設が展開する集落風の設計がおもしろいし、よくできている。瀬戸内海の石垣の島・外泊の風景を思い出した。
「木屋町の集合学校」★
今回の講評会でもっとも白熱した作品だった。町中の学校施設を散開させる計画は毎年あるが、これほどコンパクトにまとめた実力は評価されてよかろう。建物のデザインよりも、通りに面して不規則に並ぶ配置計画が圧巻だった。講評会であれほどいろんな意見が出たのはその図面の持つイメージアビリティが高かったからだ。円満字賞を贈る。
「琵琶湖図書館」★
琵琶湖沿岸に小図書館を散開し、それを舟運でつなぐ計画。船を使うというアイデアにワクワクする。各施設はほとんど木造で、石山の六角形屋根や近江八幡の舟屋式などどれもおもしろい。もともと琵琶湖は堅田を中心とした水軍の国だった。それを現代によみがえらせるという途方も無く雄大でおもしろい計画だ。講評会に来てくれていたら文句なしに円満字賞を出した。
「梅小路スポーツ施設」
京都の梅小路公園にスポーツ複合施設をつくる計画。回廊型の計画がよくできている。2層吹き抜けのピロティが入り口となっており、岡崎公園の京都会館を思い出した。回廊からの見え方のスケッチがたくさんあった。建築とは体育室やコートなどの部分をつないで全体を組み上げるものだ。ここでは回廊が「つなぐ」役割を果たしている。回廊を歩くことで風景がどんどん変わる。そのおもしろさに気づいていることがスケッチから分かった。よく考えられていると思う。
「斜面に建つホテル」
ホテルを3棟に分けて山間部の斜面の上下に並べた計画。各棟が等高線に合わせて彎曲している。なによりおもしろいのは、3棟とつなぐ長大な階段だ。長谷寺の登廊を思い出した。長谷寺は登廊を通ることで山の風や見通しを楽しむことができる。このホテルのおもしろさはそこにある。
「トリガイを育てるリゾートホテル」
年6回養殖場を訪れてトリガイの世話をするためのホテル計画。養殖体験型宿泊施設というのは今まで無かったおもしろいアイデアだ。屋根を小割りにしてボリューム感を消そうとしているのは景観上の配慮なのだろう。宮津には吉村順三の文殊荘があるのだから、もう少し和風や木造を取り入れればもっとよくなる作品だ。
「町が育てる」
京都に残る数少ない戦前校舎を使った畳工房と保育所の複合施設計画。畳をテーマにしたのは江戸時代の茶室コンプレックスである二条陣屋に隣接するからだろう。幼児の施設としても畳はふさわしかろうと思う。保育室の家具のモジュール化は戦前校舎設計の延長にあるのでおもしろいと思った。茶室の畳モジュールと家具モジュールの関係がもう少し分かればさらに説得力が増したろう。わたしは旧教業小学校の模型を見せてもらっただけで満足だった。
<1年生>
「水面に佇む美術館」
池の中のギャラリー計画。雁行型プランをうまくこなしている。水面は照り返しがおもしろいから、そこをもっと押せばさらによくなる作品だ。
「日常の中の非日常」
中が透けて見えるカラクリ箱のようなおもしろさがある。螺旋階段がウオーム歯車のように見える。狭い敷地の計画で普通は「1階>3階」か「3階>1階」なのだが、「3階>螺旋階段>1階」というアクロバティックな計画がおもしろ過ぎる。
「風景を切り取る小さな美術館」
細長い敷地をさらに細長く3分割し、真ん中を吹き抜けのコートとした計画。安藤忠雄もかくやというほど思い切りがよくて小ぎみいい。いつのまにこんな構想力をつけたのだろう。よくできている。
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とてもいい。久しぶりにワクワクした。私好みのかわいらしい建築だ。運動場側から見た構成が決まっていてかっこいい。
正面のそっけなさは狙ったものだろうか。玄関ポーチの上の館名を書いた壁が上部の体育館連窓の高さに食い込んでいる。これはデザイン処理としてははなはだイレギュラーだ。このために建物の横長のプロポーションが分断されて寸詰まりに見える。でもそこがかえっておもしろい。じっと見ているとコブタの顔に見えてかわいらしいぞ。玄関ポーチを受ける梁が外へいくほど反り上がっているところなどもよくできている。
ウイッキによれば、このスポーツ倶楽部は居留地時代からの由緒あるものだそうだ。元は東遊園にあったそうで、さまざまな会合や文化行事が開かれたとある。戦前は演劇で有名だったらしい。そんなことも知らなかった。
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日頃、私は町を見ていない。そうすることで嫌な建築やつまらない風景が頭のなかに入ってくることを無意識にシャットアウトしている。ところが最近、近代建築を探すために町を見てまわっている。自転車で町を流すのだがソナー全開なのでいろんなものが頭のなかに流れ込んでくる。
たとえばモルタル塗りの住宅がある。外壁はうらぶれて瓦もずれている。玄関先には発砲スチロールの欠けたトロ箱に半分枯れた多肉植物が植わっている。それは、いつもは見ていないありふれた風景だ。それが頭の中に入ったとたん、いくつか分かることがある。
これはたぶん借家で大家は高齢化してメンテナンスまで気がまわっていない。建物は1970年前後に建てられた。このあたりの開発がそのころなのだろう。玄関横にプロパンガスの配管が残っているので都市ガスが供給されたのはその後だ。店子はおそらくひとり暮らしのばあさんで今日は病院に行っている。花を育てるのが好きで玄関先を飾っていたが、次第に手入れできなくなった。手間のかからない多肉植物ならと植えてみたものの、それなりになっている。
そういったことが同時に頭の中に入ってくる。見えるものすべてが何かしらの意味をもっていて、それが風景から滲み出ているのだ。それが次々と頭のなかを駆けまわる。こんな風景はいたるところに蔓延していて私は次第にうんざりするのだ。
これは町の風景というよりも暮らしの風景と言ったほうがよいかも知れない。最近は景観行政のなかへ暮らしの風景が入るのが当たり前になったが、それは酒蔵や漁村など産業系のものが多かろう。高度成長のころの薄汚れてありふれた風景にはほとんど誰も見向きもしない。しかし戦後の圧倒的多数の暮らしがそうした今は見捨てられた風景のなかで営まれてきた。町を流していると、そうした風景がたくさん残っていることが分かる。いったいこれらの風景をどう理解すればよいのか。そしてどのような評価を与えればよいのか。
私は戦後復興過程の住宅建設ラッシュのなごりなのではないかと思う。高度成長と都市への急激な人口集中、それをまかなったのは例にあげたような地主層の借家と企業の社宅だった。戦後の郊外開発が、そうした小さな資本先導でモザイク状に行われた。まあ、いわば19世紀末ロンドンのスプロール現象と同じことが行われたということだろう。そうした特殊な歴史条件のもとで集中的に作られた風景のなごりの中を私は自転車で走っていたわけだ。
この頃ようやくそうした風景に慣れてきた。さらに高度成長のころの活気にあふれた風景を重ね合わせることができるようになってきた。町はとてもおもしろい。
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