2015年11月29日 (日)

言葉の起源について考えてみた

 先日車を運転していると突然この道を通ったことあるような気がした。はっきり思い出したわけではなく、沿道の風景になんとなく見覚えがある。記憶をたどると数年前にこのあたりを一度だけ通ったことがあった。そんな何年も経っていても覚えていることに驚いたが、それよりも突然思い出したことのほうに驚いた。トリやアリは風景を覚えて道をたどることができるというが同じ能力が人間にもあるのだろう。

 ここでおもしろいのは一度に全部思い出すのではなく、道をたどりながら少しづつ順番に思い出すということだ。沿道風景はひとつづりの連想として記憶されている。だから糸口が失われると思い出すことができないだろう。そう考えると忘れるということは記憶を失うことではなく単に連想の糸が切れるだけなのかも知れない。

 言語学者でもある作家の高田大介が「図書館の魔女」で言語のもっとも大きな特徴はひとつながりになっていることだと言う。言語には必ず始めと終わりがひとつづつある。たとえば「こんにちは」という言語は「こ」で始まって「は」で終わる。そのことは言語である限り何語であっても同じだと言う。なるほど確かに高田の言う通りだと私も思う。この言語の連続性は、今ここで考えている記憶の連想性とよく似ている。

 言葉は頭で考えるよりも先に出てくるものだ。よく考えてから話しなさいとよく言われるが、そんなことはできやしない。せいぜいできるいのは飛び出しそうな言葉を飲み込むことくらいだ。考えなくとも正しく言葉は出てくる。言っていることが正しいかどうかは別問題だが、言葉は考えることと無関係に出てくる。それは考える能力よりも先に言語能力を獲得しているように見える。

 言語の連続性と記憶の連想性とが似ているとすれば、それは言語が道順を覚える記憶のやり方を応用して生まれた名残りなのではないか。つまりトリやアリが考えなくても道を選ぶように人は言葉をひとつながりの道として表現することができるようになったわけだ。言葉っておもしろい。

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